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わたしのブログ

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続きですが、

続きですが、ここまで、と言うよりは少し前から、私が少し編集しなおしています。おそらく、新風舎も倒産になる少し前に出版されたために、原稿のまま本にしたのではないかと思える節があるのだ。そうではないかもしれないこの部分は想像で書いている。それにしては出版社としてセンスが無いと思わる。以後、原文とは少々表現を変える箇所がある。

 こんな事を思い出しながら、病院船は揚子江を静かに上海へと下っていく。
戦争なんてどこ吹く風、のどかな風景であった。上海まで幾日かかったかは覚えていない。途中、九江、安慶、南京・等に上陸して休みながら下った。
 安慶で内地より来たという現役の初年兵の四、五十名にあった。「どこから来たか。」聞いたら「牛品からきました。」と答えていた。見ると水筒は竹,剣の鞘も竹、軍衣は継ぎだらけであった。可愛そうになってきた。本科だと言うのに銃も無い。こんな体裁で出してよこす内地の様子を想像すると内心この戦争は負けると思ったが、口に出して言えることではない。
 遠く紫金山見ながら上海に着いた。桟橋には看護婦たちが迎えに来ていた。上海は夏の盛りだった。ホロつきのトラックに乗ったとき、衛生兵が「病症日誌は積み込んだだ?」と言って各車をチェックしていた。これでハッキリした。私たちの持ち物は病症日誌と共に病気から病院に運ばれていたのだ。
 看護婦の案内で病室に入った。大理石の建物で涼しい。ベットは決まっていた。
 まもなく看護婦が来て「片山さん明日はレントゲン室に行きますよ。今日はゆっくり休んでください。私は兵庫班の何になにょ。」と名前を言ったがわからなくなってしまった。顔にソバカスのある人だった。
 夕方の点呼だ。看護婦がやるのである。廊下で「お点呼ョ。」と大きな声で知らせる。いかにも女らしい点呼だ。軍医が入ってきた。またも、私の前でとまった、「片山だな。」「はい」と答えた。どうも私は要注意患者のようだ。私の顔を覗き込んで看護婦に何かいって出て行った。発熱患者だそうだ。そういわれてみれば背筋が寒い感じがした。


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