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2007.06.11
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カテゴリ:生活
羽田健太郎さん死去





日曜日の朝、何気なく見た。
「題名のない音楽会」

すると・・・。
知らされた彼の死。特に好きだったわけではないけれど、聴いたことのある曲が流れてくると涙がでてきた。
「音」の記憶は「心の記憶」

ご冥福をお祈りいたします。

羽田健太郎さんが死去 テレビの人気ピアニスト
2007年6月4日(月)16:40


 テレビ番組「題名のない音楽会21」の司会などで親しまれた人気ピアニストで作曲家の羽田健太郎さんが2日深夜、肝細胞がんのため死去した。58歳。通称、ハネケン。
4月に体調が悪化、「題名のない-」の出演を見合わせ、休養していた。
桐朋学園大を卒業後、フリーのスタジオミュージシャンになり、クラシックから映画、CM音楽まで幅広く作曲、演奏。
「渡る世間は鬼ばかり」などの音楽を手掛け、編曲家としても活躍。

羽田健太郎 プロフィール
1949年東京都生まれのピアニスト、編曲家、作曲家。東京音楽大学客員教授。桐朋学園高等部から桐朋学園大学音楽学部ピアノ学科卒業。有賀和子、井口基成、柴沼尚子など、業界では特にスパルタで知られる高名な教育者たちに師事。

1歳の時に銀行員の父を亡くし、住宅会社に勤める外交員の母親と祖父によって育てられた。

4歳のときに他人との協調性を学ばせるため、東京少年少女合唱隊に入れられた。これが羽田と音楽との出会いであった。

小学校2年(北区立王子小学校)の時にピアノに転向、田鎖直江に師事。7ヶ月後に安藤たかに師事。安藤には3年間習う。その後志田芳久に師事する。中学2年の進路相談で「音楽学校へ進みたい」と意志を明らかにし志田の知り合いの有賀和子(当時 桐朋学園助教授)を紹介してもらう。

中学2年のときには師匠の有賀に「(桐朋高校受験は)間に合うかしらね。あと一年半で……」と心配させた。当時練習していたチェルニー50番をチェルニー30番へと戻され、基礎から学びなおすことになった。高校受験の自由曲はシューマンのノヴェレッテでビリから2番目の成績で合格した。高校2年生の夏休みに一日12時間もの猛練習でライバルとの差を一気に縮め急速に実力を伸ばし、大学生時代には音大生のトップレベルに上り詰めていた。羽田が『徹子の部屋』で語ったところによれば、「片手ずつゆっくりさらい、完全に出来るようになったら片手ずつ速くさらい、それが出来たら今度は両手でゆっくりさらい、それが完全に出来るようになったら、最後に両手で速くさらう」という地道なものであったが、これを実際に実行すると長い練習時間を必要とする。

なお、桐朋音楽大学への進学は羽田自身が希望したわけではなく、当時(現在も)の習慣どおり師事した師匠の母校へ進学する、という慣例のため。羽田は自伝でその点について記している。

大学に進学した1967年、第36回日本音楽コンクールを受け第1次予選で落選。その後ホテルのラウンジでピアノを弾くアルバイトをして実演の経験を積んだ。

大学4年の時に第39回日本音楽コンクールピアノ部門第3位入賞。入賞曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。大学のピアノ科を首席で卒業、卒業試験では最高点を取り桐朋音楽賞を受賞した。

桐朋音楽大学卒業後はクラシック演奏家の道を進まずに在学中からアルバイトをしていたスタジオ・ミュージシャンを経て編曲家・作曲家として活躍。本人の意向としては外車に乗り、一戸建ての家を買い、家庭を築きたいという現実的な夢をかなえることに興味があった(本人の著作による)。

スタジオ・ミュージシャンとしては、クラシック出身で指が確実に高いレベルでよく動く人材が当時は乏しかったため、非常に重宝され、朝から晩までスタジオにこもり、次から次へと録音をこなしていった(そしてこなせるだけの高い技術があった)。著書によれば、当時のサラリーマンの月給を2日で稼げるほど売れっ子だった。羽田の回想によれば、金は要らないから休ませて欲しいと思うほど、当時は仕事が次から次へと回ってきた。スタジオ録音全盛期の時代と、羽田の活躍の時期が重なったことは幸運であった。

1978年から1980年頃はシンガーソングライター渡辺真知子のバックバンドのリーダーを務めていたことがある。ちなみに彼女の初期のアルバムでピアノを弾いているのは羽田その人である。

当時収録されたレコードの謳い文句には、羽田はクラシック出身であるがポピュラーにも強い、というプロフィールが書かれており、現在のプロフィール(桐朋音楽大学出身で、クラシックに造詣が非常に深い)とは正反対の売り方をしており、若き日の羽田は現在とは違う営業方針をとっていた。それは上記のスタジオ・ミュージシャンとしての活躍のためだったと推察される。

師匠である有賀和子に対して、このような行動はおそらく不快であろうという羽田の配慮から長年、羽田の側からの有賀への接触を遠慮していたが、有賀は「羽田を破門した覚えはない」という意思を表明し、羽田の一方的な思い込みによる誤解は解けた(羽田は破門されたと思い込んでいた)。

1982年5月のNHK交響楽団定期公演で羽田はリヒャルト・シュトラウスのピアノと管弦楽の協奏曲『ブルレスケ』のソリストを依頼された。そのときに有賀和子へレッスンを申し込んで師弟関係を戻している。羽田の言葉によれば、楽譜を渡された時点で弾けるだろう、と高をくくっていたが、N響との公式リハーサルの時にまだ暗譜が出来ておらず、楽譜を見ながらリハーサルをしていた、それくらいに切羽詰まったものだった。

30代後半にはN響とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリストも務めている。

40代にはいってからは服部克久の『ピアノでポップスを』(NHK教育)をはじめとする音楽バラエティ番組に出演を増やすようになり、スムーズにポピュラー音楽奏者へとシフトしていった。『タモリの音楽は世界だ!』ではかつらを被り、ベートーヴェンの役を演じてピアノを弾いたり、クラシック分野からの出題を担当するなど、クラシックとポップスの橋渡し的役目を果たした。またCDの製作にも意欲的で、『フックト・オン・シリーズ』を手がけ、クラシックを気楽に聴けるように編曲・録音にも力を入れた。

『ニュースステーション』では富士山山頂からの中継や、自然豊かな森林、風情のある寺、夜桜中継など映像と音楽を調和させる演出の中で、情緒あるポピュラーピアノ曲(自作)の演奏を行うようになり、視聴率の高いこの番組で一般人にも知られるところとなった。

この頃から純粋なピアノ演奏以外のトークを交えた仕事も引き受けるようになる。『おもいッきりテレビ』でコメンテーターとしての出演、舞台(ピアニスト役、実際舞台でピアノを弾く)も出演した。この頃の羽田はテレビへの露出を多くし、知名度を上げることでさらに仕事が増えるというパターンをとっており、結果としてコンサートなどの演奏機会を増やすことに成功した。

1998年12月からは慢性的な飲酒がたたって体調を崩し、『ニュースステーション』を降板した。『新 ハネケンの音楽は愉快だ』によれば、朝、昼、晩と飲酒を繰り返し、1998年12月3日の朝、顔色が悪いのを長女に指摘され病院を受診。その病院で倒れて一週間意識不明となる。診断は急性肝炎。ICUで血液透析を1週間繰り返してなんとか一命を取り留めた。その後は飲酒は一切やめたが、体調不良のため不定期にコンサートのキャンセルなどを余儀なくされていた。療養後は色白だった顔がやや色黒に見えている。

音楽家生活35周年コンサートでは、長年の飲酒による肝障害によりコンサート直前に入院を余儀なくされたが、病室に電子ピアノを持ち込んで練習を重ね(ガーシュウィンのピアノ協奏曲へ調)、コンサート当日に高熱を押して見事コンサートを最後まで持ちこたえた。

以前はピアノ独奏・トリプルピアノ主体の演奏会を開いていたが、近年は指揮者へと傾向を変えている。ピアノ演奏は多少するが、難度の低い曲にとどまっている(雨だれの前奏曲やノクターン第2番など)。英雄ポロネーズなどの難度の高い曲を取り上げるときもある(羽田の自主公演では無い)。最近は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番やラヴェルのピアノ協奏曲など、羽田個人が演奏しておきたい曲(必ずしも有名曲とは限らない)を積極的に企画し、オーケストラと交渉して演奏会を実現させている。

晩年は、ソロコンサートと同時にジョイントコンサート、指揮者としての出演が多く、また長女(声楽家)とのジョイントコンサートも多かった。

プロ野球東京ヤクルトスワローズのファンであり、何度か神宮球場で『東京音頭』を演奏したことがある。

2007年4月、体調悪化に伴い入院。同時に『題名のない音楽会21』への出演を見合わせ、休養に専念するようになる。

2007年6月2日、午後11時53分、肝細胞癌のため、東京都新宿区の病院で死去。享年58。法名は「妙音院釋穏健」。



テレビ
東芝日曜劇場(TBS)'80年代の作品のほとんどを手掛けた
渡る世間は鬼ばかり(TBS)
キッド(NTV)
西部警察 PART-II(テレビ朝日)
西部警察 PART-III(テレビ朝日)
事件記者チャボ!(NTV)
気分は名探偵(NTV)
瑠璃色ゼネレーション(NTV)
刑事物語'85(NTV)
爆竜戦隊アバレンジャー(テレビ朝日)※羽田健太郎 with Healthy Wings名義
NHK連続テレビ小説青春家族
NHK月曜ドラマ風子のラーメン
ただいま絶好調!
久米宏のTVスクランブル(日本テレビ)番組テーマ曲
砂の器(TBS)ピアノ協奏曲『宿命』(千住明作曲)のピアノ演奏


 






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最終更新日  2007.06.13 23:57:49
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