テーマ:毎日、一歩一歩。(2526)
カテゴリ:おしらせ
そばにいても、人と人とが、心を通わせるのは難しい。
人間は、100人いれば100通りの考え方があって、違って当然だと人は言う。 同じ人間がいたら、そのほうが気持ち悪い、と言う人がいる。 人と人とが親しくなるとき、私は相手の中に、どこか共通項を探す。 自分の中でそれが見つかると安心して向かえる気がするのだ。 出逢いにおいて、強烈にそれを感じたことがかつてあった。 自分が感じたのと同じ思いを、相手が同時に感じていた。 それが何なのか疑問に思っているときに、相手から明確な答えが出されてきた。 「 人間が、自分を形成しようとしていく段階で、得られた母校の校風は、 私たちの中に、深く息づいているのです。 人が人と知り合っていくときに感じる不安や恐れが、全く感じられず、 まるで自分を知っていくかのように、お互いを知り得たのは、 私とあなたは、土の奥底、根っこが繋がっているからなのです。 共通の根っこを持っているからなのです。。。 」 人が聞いたら、狐につままれたように思うか、後から聞けば、ただの口説き文句である と思うだろう。 でも私は、それを言っている人と同じことを同時に考えて、先に言葉にしてくれた人に、 違和感は全く感じなかった。 運命だ、出逢いだと、私と相手は、共に高揚し、道をどんどん開いていった。 その後に、強い絆ゆえの葛藤や、しがらみや、わがままや、憎しみや、 究極の喜怒哀楽をすべて経験していくことになった今も。。。 いや、今だからこそ、 余計、運命という言葉を使わないと、片付けられない状況になっている。。。 なぜそこまでぶつかり合うのか、なぜそこまで関わりあうのか、 なぜ懲りないのか・・・ 誰にも理解されない嵐の中、「根っこが繋がっているから」と言う答え以上には 正解は無かったと思う。 未だ時に生じる迷いを、何がかき消しているのかは、もはやお互いもわからない。。。 ただ今は、お互いの嵐を巻き起こす意味も失って、「凪」の状態を保とうとしている。 なにかを発することを止めたお互いは、凪の中にいる。。。 嵐の予感は今はないが、嵐がまた訪れるであろうことは、覚悟しているお互いだと思う。 根っこが繋がっているのだと、言い合って手を取り合った自分たちを、 汚したくない想いが共通なのかもしれない。 選び取った道が、間違いだと思いたくなくて、茨の中をも進んでいくのは 母校で培ったプライドなのかもしれない。。。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 そんな中、イギリスからメールが届く。 ああ、イギリスだったんだ、と改めて思う。 「ゆみさん、こちらはテロのあった場所から、車で10分離れていたので、 何事も無く無事です。ご心配なく。。。」 ご心配なく、と言われて、急にに身が凍る。 車で10分。 それは、充分徒歩圏内ではないだろうか。 もしも・・・ そんな危険と隣り合わせの中、使命を果たしている、「恩師」を想う。。。 「ご無事で何よりです・・・」とメールを返す。 人は、いつもそんな命の危険にさらされているというのか。。。 だとしたら、私が悩んで迷っていることはなんとちっぽけなことなんだろう。 進もうとも、立ち止まろうとも、私たちは生かされている。 それが一瞬にして消えてしまう運命になるかなんて、誰も予想しない。 このままずっと道が続くと信じてるからこその、今の葛藤なのだから。 「先生無事でよかった。。。」声に出していってみる私の目に飛び込んできたのは、 「7月6日の読売新聞に載りました。」の一文。 早速、新聞の中、記事を探す。 あ、これだ。。。 懐かしい笑顔が、大きな写真で載っていた。。。 富澤、の文字は、かなり大きい。 「読売教育賞、最優秀賞」 !!! ☆第54回読売教育賞の受賞者が決まり、23区からは、国語教育部門で 東京学芸大附属大泉中学校前教諭で、文部省海外子女教育指導員(欧州統括)の 富澤敏彦さん(59)が、最優秀賞に選ばれた。「書写教育に貢献」。 そうか、富澤先生は、とうとうやり遂げられたたんだ。 その功績は、今輝かしい栄誉を得られたんだ。 熱血という言葉が当てはまるくらい熱心に書道や漢字を指導してくれた先生、 その課題の多さに私たちは泣いた。 「あの頃は、多くの課題をやらせすぎましたね。」 二十年を経て先生は穏やかに笑っていらっしゃいました。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 そう、二年前の二月だった。 中学の富澤先生が、イギリスへ帰国子女教育のために行かれるから、 お別れの会がしたいとおっしゃってるらしい、 と連絡が入った。 付属中に赴任して、初めての教え子である私たちに会ってから出発したいと。 そういうときにはなぜかゆみちゃん。いつもゆみちゃん。何でもゆみちゃん。 と決まっていた。 でも私は喜んで引き受けた。。。。先生は、中2、中3の担任で私は国語大好き少女したから。 思えば私の一生は、ここで何もかも決まったんです。富澤先生。 ここが、今の私の、喜び、幸せ、悩み、葛藤、涙、やりがい、希望・・・ すべての始まりだったのです。 先生は、ご自宅の高田馬場よりも新宿寄りでやりたいとおっしゃったと聞きました。 私は、適当なお店を知りませんでした。 そこで、頼りになりそうな、同級生のO君にお店探しを任せました。 「あのさ、中学のHPにさ、俺たちの先輩って人がさ、 恵比寿に店出したって広告出してんのよ。 ワインカフェだって言ってるから、良さそうじゃん。」と電話が来ました。 「あたし、恵比寿なんて、ガーデンプレイスしか行ったことないから任せる。。。。」 数日後、「あのさあ、店に電話したらさ、オーナーの白井先輩って人が、親切に、 相談乗ってくれたから、決めたよ。 でさ、俺、明日から韓国出張だから、あとお前頼むわ。 HPよく見てさ、あと全部決めといて。大丈夫、白井先輩優しそうだから。。。」 そうです。O君、あなたも私の運命を決めた一人。。。 イギリスに向かわれる、富澤先生と、 韓国に行っちゃったO君が・・・ 今の私を、いーねさんとこのゆみちゃんを導いてくださった(?)わけです。 その日、忘れもしない2003年1月31日・・・ゆみはメールをいたしました。 「ワインカフェ「イーネ・イーネ」オーナー白井さま。 31期卒業生の○○裕実と申します。。。このたびは。。。」 そこであまりにも親切すぎたマスターと、あまりにも頑張り屋だったゆみちゃんの、 物語は幕を開けてしまっていたのです。 2003年2月15日 この日、43人をぎっしり詰め込んでイーネ・イーネで 「恩師、富澤先生をイギリスに送る会」が行われ、 乾杯にさえジュースしか飲めなかったゆみちゃんが、幹事をさせていただき。。。 2003年3月15日 この日、ゆみちゃんは、イーネ・イーネのトータルコーディネータ-として契約、 という紙切れにはんこを押し、 その日の夜にはもう、貸切パーティーのマダムになってワインをついでいたのでした。。。 それから、私が一途にこの道を歩む間に、 富澤先生は、使命以上の大功績を果たし、日々輝いて、 このたびの受賞を迎えられたのでしょう。 この二年半、たゆむこと無い努力を続けていらっしゃったこと、 教え子として、また、あの日、送り出させていただいたものとして、 誇りに思います。 遅くなりましたが、改めて、「教育賞ご受賞おめでとうございます。」 心よりお祝い申し上げます。 私のほうは、迷い道ばかりで、まだまだ功績が出せていませんが、 あの日、信じた道を進むことが、今の使命だと思っています。 私の功績をたたえる小さなエピソードは、たぶんお客様が下さるのでしょう。 それをここで、少しずつ発表できたらいいと思っております。 この日記をお祝いの心として、贈らせていただきます。 ますます輝く、私たちの誇りでいてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年07月12日 04時58分54秒
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