テーマ:毎日、一歩一歩。(2526)
カテゴリ:ゆみの一歩一歩<何気ない日常の中で>
今年のお正月の終わり、久々に親戚が集まりました。 すぐにそのことを日記に書こうと思いつつ、忙しい仕事に追われ、なかなか日記の 順番が回ってきませんでした。 「きっと、ゆみちゃんが日記に書くぞ。また勝手に俺たちの写真が載るぞ。」と、 覚悟を決めてたいとこ君たち、載らなかったなあ。とほっとしたでしょうか。 ちょっと時間がたってしまったけれど、そのとき思ったことを少し書いてみます。 思えば、この日記を始めてすぐに、 祖母の訃報を聞いたのでした。 すぐに親戚が集まりセレモニーがあったのですが、まだ日記に対して、 どういう風に向き合っていいかわからなかったので、こんな書き方をしています。 きっと、祖母が亡くなって、お葬式でみんなが会ったんだ、ってことは伝わってないですね。 2005年3月31日(木) 久々に勢ぞろい 今日は夕方から、我がいとこたちが全員揃いました。 たぶん通常のいとこたちの関係より私たちは、だいぶ仲がいい仲間なのですが、 それぞれの生活の中で、それぞれの仕事の中で、なかなか会うことは、 難しくなってきていました。 「今度会うときはおそらく・・・」と言っていた日がとうとうやってきて、 私たちは今夜一同に介しました。 こんな日は思い出話をするのが本当なのでしょうが、 前置きもいらない、肩肘も張らないで打ち解けられた私たちは、今の話をしましたね。 今を精一杯生きてる同士だから、思い出話は10年早いかな。 「ゆみちゃんは恵比寿のお店まだ頑張ってるの?」 「自宅ショップはまだ開いているの?」 「いったいいつ寝てるんだよ。」 「頑張ってるよ。早く見に来てよ。」 「続けてるよ。ライフワークだもん。」 「・・・あんまし寝てない。」 働き盛りのパパたちは、それこそ、恵比寿のワインカフェでのんびりなんて、 10年早いのかもしれないね。 でも、ずっと頑張るから。ずっと続くように私頑張るからね。 今はとにかくひたすら働きましょう。 世のため、家族のため、自分のため。 そしてまたみんなで会おうね。イーネ・イーネで仲良く会おうね。 そんな孫たちを見たらきっと、明日見送る大事な人も、遠くで喜んでくれるから・・・。 4月1日(金) 昼間、静かに逝った人とのお別れを終え、、親戚の集まりから仕事にひとり向かいました。 さあ、それぞれの道、みんな頑張っていきましょう。 強がっていたのですね。頑張らなくちゃいけないと。 ゆみ自身、イーネ・イーネのフロアをやっていたので、気持ちは引きずらず 仕事に駆けつけて、その日には、もうイーネ・イーネのフロアのことを日記にしています。 それでも、兄弟のように近くで育ったいとこたちと集まることは、ゆみの中で 一番ゆみらしい時を持つ、ということ。 今年、みんなが集まって、ゆみはそれを強く感じました。 2005年、長生きだった祖母が亡くなったのですが、今回はゆみたちが 小学生だったときに亡くなった、祖父の33回忌で集まりました。 「33回忌がしてもらえる人は幸せなんですよ。」 というのは、ゆみの父が、若くして亡くなった自分の両親の33回忌をしたときに、 お寺のお坊さんが父に言ってた印象的な言葉です。 子孫がちゃんと生き残り、仲良く繁栄しているからこそ、亡くなって33年目の法要を ちゃんとしてもらえるのだと。 子供の頃に両親を亡くしながら、ちゃんと一家を持って、そういう法要が出来た父を お坊さんがねぎらった言葉に、思わず父が涙を浮かべていました。 父は偉かったんだな、と思ったものです。 今回は、母方の祖父の33回忌。 とても仲のいい親戚の中で兄弟のように育ったゆみたちのその中心を担っていたおじいちゃまが 亡くなってから、もう33年。 小学生だったいとこたちが、成人し、結婚し、子供の親となり、 親戚の人数は、当時の倍になりました。 忙しい生活の中で、時の流れを感じることなどあまり無い毎日ですが、 久々に、あれから33年もの月日、みんなが順風満帆だったわけじゃなく、 それぞれにいろいろありながらも、 こうして揃って33回忌が出来る親戚でいられたことを、感慨深く思いました。 ついこないだまで、親世代に支えられ、成人式を一緒にしたいとこ君たちが、 今やすっかり世代交代。 みんないいおじさんになってる姿を、おじいちゃまはどんな思いで見てるでしょうか。 みんなで走り回った大きなお庭はもう無いのですが、今はゆみだけが その庭だった場所に家を残させてもらって、暮らしています。 みんなで集った場所を、せめて残したいとゆみは思っています。 だからゆみはこの土地と家を手放さず、そこでお店を開いて残し、 祖父母が、広いお庭でいつもたくさんの花を育てていたところで育ったので、 せめても花のある生活を心がけたいと思っています。 いとこがそれぞれお嫁さんをもらい、 いい父さんになっていますが、(中には4人の子持ち君もいます。) ゆみにはやっぱり、一番気の置けない、一番ゆみをありのままに出せる兄弟なんだと 思いました。 よくできる人しかいない学校に育ったので、小さい頃学校ではおとなしかったゆみでしたが、 親戚の集まりの中では、ずーっと喋り続けで仕切ってたゆみでした。 今回も、またずーっと喋ってたように思います。 ずっと展覧会の宣伝をしていました。褒めてもらおうと。 実は親戚には本物の画家のおば様がいて、ゆみなんて足元にも及ばないのですが、 でもみんなゆみがずっと何かに頑張り続けてるから、呆れながら感心してくれました。 本当はいとこたちも絵がうまかったのですが、働き盛り、誰も絵なんて描いてないみたい。 小さい頃は、よくチラシの裏に、一緒にお絵かきをしていました。 年がおんなじSちゃんと、迷路を描きっこしたり、レストランのデザートメニューを いっぱい描きあったりしてました。 思い出は尽きないほどぎっしりで、そんなことをのんびり語れたら、 それが一番楽しいのでしょうが、 やっぱりみんなそれぞれに家庭を持ってるから、ゆみは遠慮して突っ張っているんだな と感じました。 それは3年前も同じで、途中何度か集まったけれど、今回も同じでした。 「ゆみちゃんはずっと頑張っているんだね。」と言われ、ゆみも、 「きっと止まると死んじゃうんでしょ。」と答えるのですが・・・ ほんとになんでこんなにゆみは忙しくいつも何かに挑戦してんだろー、と、 自分に問う機会でもありました。 ほんとはのんびり甘えてみたいんでしょうが・・・ それよりも、頑張って褒められたい、って気持ちのほうが強いんだろうなあ、 と、自分に結論です。 親戚の人が集まって、ゆみは山ほどの近況報告を抱えている自分に きっと満足していたんだろうなあと思います。 33年もの月日が流れて・・・ 当時小学生だったゆみは、祖父の死に涙するよりもまず、たくさんの来客に対して、 とにかく「接待」の係に徹していました。 お茶を入れたり、お座布団を用意したり、ご飯を運んだり・・・ 悲しみに打ちひしがれてる大人たちの、役に立ちたい、と頑張っていたんです。 あれがゆみの「接客業」に目覚めたきっかけだったと自分で思っています。 「偉いねー、ありがとうー。」と言われて嬉しくなっていたんですね。 まさか、33年後、レストランやデパートでお仕事してるとは思ってなかったけど。 自分のことはよくわかっていなかったけど、今回、親戚の方たちが、 「やっぱりゆみちゃんだねえ。」「ほんとにゆみちゃんだねえ。」と言うのを聞いて、 もうすっかり自分がそういうキャラになっていることに改めて驚きました。 今、同じ年のいとこ君と、新たに一緒にお仕事に関わったりしてるのですが、 自分を昔から知ってるいとこたちと、 いつかゆっくりじっくり語り合う機会があったらいいなあと思っています。 三年前、「今を精一杯生きてる同士だから、思い出話は10年早いかな。」 と書いたのですが、 それは今も変わらず・・・です。 ずっとイーネ・イーネで頑張る、と書いていたゆみですが、今はフロアを退いて しまいました。 それでもイーネ・イーネはまだまだあり続けてくれるからいつか奥の個室で 語り合おうね。 みんなも頑張ってる。だからゆみももっと頑張る。 それは今回も変わらなかったけど、ひとりでゆみが頑張らなくてもいざとなったら 頼ってもいいのかなあ・・・とちょっと感じられた今回でした。 友達と同じ。持ちつ持たれつ行きたいね。言いたいことは言い合おうね。 いつの間にか、チビ組のゆみたちまで大台に乗ったから、ちょっと大人になったかな。 年老いて来て、体の自由が利かなくなっていく両親をそれぞれに抱え、 でもまだもうしばらくは、親世代に頑張ってて欲しいと思います。 せめて次世代がもう少し大人になるまで。 中間管理職のゆみたち、今こそ頑張らないといけないねえ、もう一踏ん張り。 お忙しいと思うので、ゆみちゃんの展覧会は無理しなくていいので、 せめて写真見てもらおうと、のっけときました。 いとこ5人のお写真は今回は載せないでおきました。(ほっとしたかい?) いとこ物語を見てくれる方は、こちらを覗いてみてください。 ちょうど日記解説一年のご挨拶になっています。 2006年03月30日 祖母の一周忌に集ういとこ達。 2006年03月31日 ゆみの日記も一周年だった!いろいろ変わった一年だけどね。 六本木の展覧会はまだ続いています。2月4日まで。 ゆみは明日が日本橋の最終日です。 頑張って行ってきますね。 クリックお願いします。(*^_^*) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年01月28日 01時09分32秒
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