退院後の日々。退院してから主人は職場復帰の為にと毎日少しですが散歩にとがんばりました。抗がん剤治療がどんな風に身体に副作用をおこすのか実感出来ませんので無理をしない様に気をつけていました。娘が里帰り出産のために11月に入って帰ってきて益々がんばって3人揃い行動しました。 散歩に行ったり買い物にいったりそれぞれの病院に行ったり。 でも確実に主人の身体は弱っていっておりました。 11月5日 私たちの結婚記念日 娘たちから旅行券をプレゼントされました。病気が治ったら新婚旅行で行った京都に行こうと約束をしました。 12月13日 早朝にむすめに陣痛がきました。主人が運転して産院に行きました。私はすぐに大阪の婿に知らせました。私が娘について腰をさすっておりましたらお昼前婿が早速病院に来てくれあまりの早さにびっくりしたのを覚えています。その日の午後4時30分無事、女の赤ちゃんを出産しました。その日から娘と孫のもとに日参です。病室は2階でしたが日を追うごとに2階へ上がるのが目に見えて辛いのが分かるようになりました。手すりをもって一歩一歩、見ていて辛かったです。 1週間して娘は婿の実家でお世話になることになりました。我が家では狭くて赤ちゃんが寝てる場所がなかったからです。婿の両親はまだ若く二人ともお仕事をしてましたので日中は娘と孫だけです。婿の両親にも了解を得て二人で行ける時は顔を見に出かけました。車で20分のところです。私が運転出来ませんので申し訳なかったと思っています。 私が風邪を引いていけない時、主人の身体も限界近くなっているのにかかわらず1人で出かけたことがありました。 この頃、主人はきっと分かっていたと思います。自分の命のはかないことを。 夜になると突然震えが来て高熱がでて座薬をいれる日が続いていました。 12月27日 今年最後の通院です。 最近の不調を伝え、通院はもう無理との事で年明けから先生が自宅にきて治療をして頂くように話ができておりました。 28日 朝、声がちがっていました。声に力がないんです。 もう気力もなくなったのかと思うと1人、何をしてあげられるのか辛かったです。 30日 私の姉がお蕎麦を持って着てくれた時、主人が亡くなってから姉から聞いたのですが主人が姉夫婦に「うちのやつを頼みます」って何度も言ったそうです。その時の主人の気持ちはどんなだったか・・・。 31日大晦日 こちらにしては珍しく朝から雪が降り少し積もっておりました。昼ごろでしょうか、主人がぽつんと言ったんです。「もう、おしっこでなくなったよ」つて、即病院へ行かなければなりません。でも主人いやがるんです。もう行ったら帰って来れないのを主人が一番知っていたでしょう。 |