悲恋~
常楽寺あり 焦がるる君は 烏羽玉の闇 諸恋の 袖の別れの あはれさよ蓮の台で 語らへと 佛の訳らし 冥加なしとなり~常楽寺(鎌倉・大船にある)・・創建は1237年で建長寺(1253年)の前になり 蘭渓道隆和尚が鎌倉に招かれ、住持となり中国風禅宗を 広め、多くの僧が教えを乞うた。その後建長寺が創建されたが それ以後も、建長寺派に置いては 「常楽は建長の根本なり」 と重視され続けている。常楽寺の裏山に悲恋の2人の塚があります。 頼朝・政子の長女「大姫」と許嫁だった木曽義仲の息子「義孝」です。 義仲が頼朝に打たれて以後、二人の仲は裂かれ義孝も亡くなりました。 大姫は頼朝夫婦が良き縁談・・と持っていっても忘れられず、20歳の 若さで後を追いました・・・・私はせめて月日は流れても佛の元で 良き夫婦として仲良くあって欲しい・・と、祈っています。