或る状況下では不道徳は許されないが、不謹慎は許される。
その一つが死体を目の当たりにした時だ。
死体というのは見る者自身の死を自覚させちまう。
自分もいつか死体に変わる、朽ち果てていく。考えれば考えるほど気が狂いそうになる。
だから、精神的に健康な者は死を冗談のネタにする。そうしなければやりきれないからだ。
その時カメラやマイクが向けられない場面では皆こう思っていたのだ。
虞犯者は一生、外に出すな、と。
勿論、それは公には口にできないくらいだから人権など無視した乱暴な意見であることは当の本人たちも承知している。
だが、いつでも乱暴な意見には一分の真実があり、それを覆す筈の反論は理想主義と建前に支えられた空虚なものでしかない。
少なくとも理不尽に親族を奪われた遺族たちに面と向かって説明できる理屈ではない。
所詮、感情に打ち勝つ理屈などありはしないのだ。 |