OKの語源 結局どの説が正しいのか?
^^ノ スピですえ~タイトルの通り今回はOKの語源について調べてみました。一番最初に自分が知ったのが「ジャクソン説」(集英社 世界の歴史年表)西部開拓者の子供として生まれ、アメリカ=イギリス戦争で一躍有名になった大統領です。彼は教育をまともに受けることがなかったために書類のサインに発音から All Correctを 「Oll Korrect」と間違えて書いたことから始まったといわれる。となっています。これがもっとも有力なものかと思いきや今回の旅行で買った本THE BOOK OF ANSWERSにはいくつか説があるがと言った上で・・・(正しく翻訳できる自信がなかったので説明は研究社のNEW COLLEGEを参考)Van Buren 大統領の再選挙運動で生誕地であるOld Kinderhook(ニューヨーク州東南)と言うあだ名をOKとして用いたことから広まった。疑問に思ってネットで検索してみたところ予想以上にHITしましたあるQ&Aサイト フランス語版『ウソ・ホント大辞典』ではアメリカの南北戦争時代、軍隊日誌に死亡者がなかった日にO.K.(Zero Killed)と書いたのが始まりで、それが転じて万事順調のことをOKというようになった。フランスの本で面白そうな者を拾い取った感じがあるのでこれは違うでしょうね。でも納得できるw退屈しのぎの世界史びっくり本は ジャクソン説(アメリカの第7代大統領アンドルー・ジャクソン)説を色々と集めてあったサイト確実でないと言われている説ギリシャ語の“olla”=all と“kalla”=goodの短縮形(abbreviation)フィンランド語の“oikea”フランス兵士が、植民地の女性と密会していた場所という意味の“aux quais”北米インディアンのチョクトー民族のチョクトー語で“It is so.”を意味する“hoke”か“okeh”Andrew Jackson という人物がスペリングが不得意で“all correct”を“oll korrect”とつづり、その短縮形がOKになった。あれ?ここでは否定されてますね。そして「最も有力な説として見られているのが、第8代米国大統領Martin Van Burenを支持する民主党の一派が1840年に組織したO.K. Clubが起源であるという説」といってます。その他のサイトでもやはりジャクソン説、またはOKクラブ説を出してます。どれが一番流行するか?と言うことを考えてみるとやはりO.K. Clubか?しかし これが現在あるOKの意味どうやってなったのか?大統領を支持すると言う意味でOK OK OK・・・う~ん ジャクソンの説の方が僕はしっくり来ますねwただそれが世間に広がったとは考えづらいですし、資料として残ってる物が選挙活動のときということを考えると、やはりOKクラブ説が一番ありそうですね。OKクラブ以外は後から作られた、予想されたものと考えてよさそうです。@気になったのが辞書にあった「わざとOll KORRECTと書いたことから」それと先をどのサイトにあった 「1837年ごろからAbbreviation Fad(短縮の流行)が雑誌などで見られるようになっているようです」ということ。言葉が訳されていく中で、ただ訳すだけではつまらないと言うことで生まれ、現代の意味に変わって行ったのかもしれません最後にアメリカ語ものがたりは・・・OKの語源については諸説あり、研究者のなかでも決定的な説はなく、今となっては調べる方法もなく、正確なところはわからない。しかし若いアメリカ合衆国ですが、なかなか分からないものなんですね^^;まぁ民間で広まるものなんてこの時代は歴史に残らないんですかね ・・また何か発見したら c⌒っ,,-_-)φ追記Wikiよりジャクソン大統領についてジャクソンは自分自身の政治家としてのアイデンティティを庶民(common man)の味方におき、イメージを形成させた。彼はホワイトハウスの前にチーズを置き民衆に分け与え、ホワイトハウスへの見学ツアーを企画、その大統領就任の祝賀パーティーでは「民衆」のあまりの行動に収拾がつかなくなる一幕もあった。インディアン強制移住法や奴隷制の拡大、経済的恐慌を引き起こした、白人男性中心的な考え方のある彼ですが・・・ジャクソンは米英戦争で罠猟師や貿易業者の立場に立って戦った戦争の英雄であり、普通の人にとって分かりやすい人であり、政府の行動に形式張らないことをもたらした人でもあった。ジャクソンは葉巻をふかしながら「普通の」人との対話で政治を語ったので、ジェファーソン時代の堅苦しい集会とは対照的だった。時にはジャクソンの古い親友達から、「台所内閣」と言われているとも忠告された。ケンタッキーの猟師:ジャクソンはみんなの英雄としてこの大衆歌の中で称えられている。などを読んでみると民衆に非常に近い存在であり、この中で「OK」が広まったと言う風に考えてもまったくおかしくないと僕は思います。一方Martin Van Burenは就任年の1837年に起こったアメリカ初の大恐慌など、任期中の数回の恐慌に対しても無策で、フロリダ州での先住民との抗争も解決できず、人気は衰微した。また、相当な贅沢好きも災いし、結局なすことなく終わった。う~ん 実際どうなんだろう?w そんな人気のあった大統領なのか?また時間があったら調べてみます凸\(^^ ポチッ と応援お願いします ぺこ ↓人気blogランキングへFC2 Blog Ranking楽天ブログランキングくる天 人気ブログランキング