つるべおとしとはよく言ったものです。
食後の散歩に、戸口を出た時は、まだ明るかったのに、途中で陽がくれてしまいました。
街のはずれの天神さんの森にきた時は、もう真っ暗になっていました。
鳥居の下で頭をさげ、境内にはいりましたが、神主さんが忘れたのか、節約からか、照明の電気はきれていました。
石段を用心して足をすすめました。闇をすかして向こうに誰かいます。一人、その向こうにも。だんだん近づきました。なんにも言いません。
「こんばんわ」と言をうとしたら、それは灯篭でした。その横のススキの穂がかすかに動いていました。こんなに灯篭があったのかとおもうくらい、並んでいます。
雨にさらされたおみくじが張り付いた木の枝が首筋をなでます。
神社なんだから陰はないと思いますが、呪いの祈願をして、人型のわら人形を境内の木に釘打ちする事もあるので、ちと愉快でない気持ちもします。
製材所で、神社の払い下げの木を製材する時は、注意します。中から、釘がでて鋸の刃がおれる事があるからです。いわゆる呪い釘です。
年輪が釘を包み表面にはみえなくなっているんです。昔は多かったんですね。
気をとりなおし、社殿の前に行き、昨日コンビニの買い物のおつりがポッケにあったんで、賽銭箱に入れました。
途端に。チャラチャラ、キューン。チャラチャラ、キューン。
闇をつんざく音。UFOがきたかと思うくらいのあの音です。
1-2分でしょうが、その長かったこと。
賽銭箱から鳴っていることはすぐ分かりました。
泥棒よけが設置してあったんです。普通の角度では鳴らないのでしょうが、横の方に泥棒角度が設置してあるんでしょう。たまたま私が、泥棒角度にフィットしたわけです。
静かな、暗闇で、いきなりやられたら、ドッキリも最高だなと思いました。
ええいままよ。ぶらさがっている大きな鈴を左右さに振り鳴らし、チャラチャラキューンに対抗しました。側からみてたらおかしかったでしょう。
拍手を打ち、精神統一して、祝詞奏上を終えました。
散歩していると、いろんなこともあるもので、これまた人生の醍醐味というものでしょう。神社も泥棒よけがいる時代ですね。
幽霊の正体みたり 枯れおばな”
老婆心ならぬ、老爺心ながらのつるべの意味です。
水道がなかった頃、地下にむけて掘った穴から水を得ていました。これが井戸で、地下水層まで掘ります。ここ溜まった水を、縄の先に小さな手桶かバケツをつけて汲みあげていました。これが、つるべです。
手元から、地下の水面までつるべは、一気におとされます。
秋の夕暮れが一気に暮れるので、ちょうどつるべを落とすようだとなずけられました。日本の言葉は、風流な表現ですね。
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