高橋流紋岩を求めてさすらいました。
高橋流紋岩は、三朝町の一部落の名称をつけたもののようです。
特異な流離結晶を持ったブラウンカラーの何ともいえない岩石です。
天神川の勝宿禰神社前の千人波止と称される大水と格闘した堤防の上に、灯篭があります。文政6年の銘があります。
今は石河原で想像もつきませんが、このころ川船の通行がありその安全を祈り、照らしていたんでしょう。
この灯篭の台石が高橋流紋岩でした。
コケの間からそのきれいな流離模様がなにものか判定つかず、堆積岩か火山岩かもわかりませんでした。
貴重な文様を愛でて、塔建設時に価値あるものとして、提供されたことは想像に難くありません。
何処から持ってきた岩石か判じの時を過しました。
田中君が、その話をきき現場にいき「昔、地学研究会で現地研修した高橋流紋岩だ」と電話くれました。
さっそく彼が案内してくれて高橋地区にその路頭がありました。
見事な流紋の結晶が一定方向でなく乱流の形でありました。でも大岩の形でしかなく、あとは土砂に埋もれて関連がわかりません。
ネットで調べたら町誌で高橋流紋岩は町の宝とあります。
図書館に問い合わせたら、あの記事は町長の就任挨拶の一部と聞き、町長さんはすごいですと褒めました。
でもあまり人人には知られていないようです。
執筆担当者が後で詳しい連絡をするのでと連絡先を聞かれました。
忙しいのか4日めだけどまだ連絡ありません。