関金町に要害山という標高399メートルの山頂に古城砦跡があります。
山頂に八幡神社の社祠と広場があり、毎年秋に収穫感謝奉納相撲があり近郷からの参拝社でにぎわったそうです。
今も秋に祭典は続いているようです。
草幾山城主三浦弾正景元の砦で天正の頃羽衣石城の南条伯耆守に攻められて滅亡したことしかしられておりません。
この八幡宮を改修しようとすると村人に祟りがあり、占ってもらったら祭神は5尺8寸の太刀を帯びてるので小さい社では相かなわないからそのままにしておくようにとのことで今に至るも社は従前どおりだそうです。
つっかい棒はありましたが、屋根などはそんなに古ぼけてはいませんでしたけど。又城山の木を切ると祟りがあるので決してきってはならぬそうです。
相手に厳しく味方を優しく守るのが要塞だそうで、目もくらむような断崖が切り立っていました。
頂上からの眺望は手にとるごとく下界がみえました。
登山道はコンクリートの偽木で整理し頂上付近は階段をつけて立派な観光地になっていました。
6歳ぐらいの男のこをつれた若い夫婦が参拝をすませて帰ってくるのに会いました。
此処の地も今西の砂鉄、峰続きの奈良時代から有名な大河原のたたらがある産鉄地帯の一部です。
南条羽衣石城も産鉄地、尼子が石州から伯耆産鉄地侵略に来る前に、この地域でも産鉄小競り合いがあったもようです。
小蛇を中蛇が呑み、それを大蛇が呑み込む、弱肉強食は時のならい。
侵略する時は神社仏閣居住地まで悉く破壊するというから傍迷惑この上ありません。
だからここらには歴史の記述も定かなのが残っていないのでしょう。
(2008-7-27)