長崎原爆投下77年経過が昨日8月9日です。
当時の経験者がなくなってしまう時、やはり物申しておかねばならぬ義務がありましょう。
11時2分といいますが、緑色の光がして、しばらくして地響きに驚き蛸壺にとびこみました。
海峡を離れた天草の地ですら振動しました。
海の向こうにおおきな入道雲が沸き上がっていました。
6日に広島にウラン型の原子爆弾投下。20万人も被害があったら、1も2もなく降参になるのがわかりきったことなのに、長崎に、返事がないのをよいことに、ウラニューム型の爆弾ということです。
人類に、両方の実験は済んだから、もう核爆弾はやめてください。と言いたいところだが、今まだ、保有国で、使用ちらつかせているのは解せないことです。
当時は大変でしたでしょう。
8日にはソ連が宣戦布告し満州に9日未明に進行してきてます。
7月26日に米英中よりポツダム宣言が発せられ28日に鈴木貫太郎首相黙殺。8月6日広島原爆。
これだけの被害があれば、お手上げであろうに、長崎の分は、異種原爆の実験遂行の為だったろう。
広島被害があってのトップ層での審議で、まだ本土決戦も話題があったとか、こんな大きな爆弾幾らだもないだろうとか、衆議混沌。長崎被爆にいたりとか。
小倉が目標だったよう。北マリアナ諸島テニアン島から原爆積んで飛んできた。重さ4,5トンだそう。
前日8日、八幡が空襲にあい、300人が殺され、その煙がくすぼり、下界がみえぬ小倉で、視界確認原則がはたせず、長崎に変更したとか。
4,5トンもある爆弾、投下したら飛行機が、軽くなり飛び上がったという。
裏話もきいたが、被害者は地獄だ。
長崎から生きて帰って、看護婦していた隣のお姉さんは、髪が抜け、歯茎から血が出て3年後に他界された。こんな話がアチコチで聞かれた。
核だけでなく戦争はいけない。
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最終更新日
2022年08月10日 10時56分57秒
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