バリ島での事故から2年
2年前の夏、私はある事故により、脳内出血で倒れ、
緊急入院し、手術をして奇跡的な生還を遂げました。
「寝たきりになるかもしれない」「歩けるようになるか分からない」「言語マヒが出るかも」と言われた絶望的状態から奇跡的な速さで回復を遂げ、今では、半身マヒの回復途上ではありますが、自分で歩いて、1人で出かけられるようになりました。
医師や理学療法士さんからも驚かれています。
退院後は、ヘルパーさんの介助も受けながら、毎日の料理は、ずっと続けて来ました。
この夏からは、つぶつぶの料理動画の撮影アシスタントの仕事にも復帰しています。
脳も正常に機能しているようで、記録の作成もタイムキーピングも間違いなく進められました。
やっと心の整理もつき、事故の顛末をみなさんにお伝
えする責任を果たす時が来たことを感じてこの記事を書いています。
あれ以来、つぶつぶ関係者のみなさんの心の中に「つぶつぶ生活を楽しんでいたのに、なぜ病気に?」と、
大きな疑問と不安、不信感を持たせることになってしまったことをずっと気にしていました。実は、それは、私自身の気持ちでもありました。
それでは、事故の顛末をお伝えしていきます。
2014年7月、友人から誘いを受けました。
「今後開催を計画しているツアーの下見に参加しないか」といものでした。行き先はバリ島でした。
ツアーのプログラムのハイライトが神さまの宿る滝に当たるというものでした。その滝の水には体と心の不純を洗い流す力があるということで、友人は一度体験して良かったので、自分でもツアーを主催したいからと・・・。
結婚後にアメリカに転勤になった夫との海外生活以来、外に出たことがなかった私だったのに、
また、体と心を浄化する必要など感じていなかったのに、なぜか、バリ島に向かいました。
陰性な食事や飲み物や果物ばかりの日々のあとに、神さまの宿る滝に行きました。
神さまに祈りを捧げながら、崖の下の滝のある場所まで降りていきました。
一緒に参加した方が滝に入っ
て、身体に当たった水が白濁するのを目の当たりにしました。
そして、私の番になり、滝に入りましたが、滝の水はいつまでもきれいなままでした。
それを見た現地運転手さんとツアー参加の方から、美香さんもっと奧に!と、言われ、
顔に水がかかるのが怖いのを我慢して、奥に行っても滝の水は濁りませんでした。
顔に当たる滝の水がものすごーく怖かったのに、さらに、もっと奥、もっとと
いう声が聞こえ、他の人より長く滝の下にいることになりましたが、水が濁ることはありませんでした。
寒くて寒くて、トイレに行きたくなってしまいましたが、神さまの宿る滝で、オシッコをもらしたら大変と思い、必死で我慢しました。
そこまでは、覚えています。
そして、気がついたら、日本にいるはずの夫がご飯を食べる私をニコニコと見つめて、一人で食べてスゴイねと、褒めてました。ご飯を食べるのを褒めるなんて、変な人だなと思って、そこで、私は、病院のベッドの上にいることを知りました。私が目が覚めたのは、手術から約一カ月後、その間、このまま目が覚めないかもしれないと、執刀医に言われていたことを後になって知りました。そして、自分で食事をする事が出来なかった私が自分でご飯を食べるようになった日に私は目が覚めたそうです。つい最近まで、手術の翌々日、息子がバリ島に着いた日に目が覚めたとおもっていたのに、それは、一カ月後だったと知り、それまでの間、夫や息子は、どんなに不安で心配の中にいた事だろうと、申し訳ない気持ちになりました。
結局、私は、その滝で脳出血を起こして意識を失い倒れたのでした。脳外科医がいる外国人用の設備の整った病院へ運ばれ、
運良く、いのちの助かるタイムリミットギ
リギリに手術を受けることができたことを後で知りました。
そこに至るまでは、ツアーを主催した友人、ツアーに同
行した方々、現地運転手さん、ご一緒させて頂いた皆さまが一生懸命私を滝のある場所から病院まで連れて行ってくれたおかげです。
感謝の気持ちでいっぱいです。
手術を担当してくれた医師は、高血圧や脳の疾患など、
脳出血の原因になるような体内の問題は何もないのにどうして倒れたのかと不思議がっていました。
医師と看護師に付き添われて日本に帰って来た私は、リハビリに励む一方で、脳出血の原因をこの2年をかけて、病院で、あれこれ調べてもらい、私自身もいろんな文献を読み、あらゆる情報に行き着き、自分の当時の身体の状態と照らし合わせましたが原因は見つかりませんでした。
そして、あれは、事故だったということを納得しました。
滝に入った時点で、私の心身は、15年に及ぶつぶつぶ生活
で、滝の水が濁らないくらい健康でクリアーだったのです。
なぜ、あの時、滝の水が濁らないことを喜び、誰よりも先に滝から出て、その感動と喜びをまわりに伝えなかったのかと、悔やまれます。
まわりの人々の、水が濁らないのがおかしいという意識に感化されて、私自身もそういう気分に引きずられてしまっていました。
今、思えば、「何で?」と思いますが、その時には判断ができなかったのです。
私の脳内出血は、通常にないほどの陰性な食事の連続の上に、滝の水への恐怖と冷えによる血管の異常な収縮、
その上に生理現象を我慢することがかさなって、血管が破裂した事故だったのです。
私が脳内出血を起こし、その後遺症である、左半身麻痺になってしまったことは、事実ですが、それは、肉体的病気の結果起こったのではなく、判断ミスによる事故だったことをお伝えする責任を今、果たします。
そして、事故後のつぶつぶの食の実践とつぶつぶの学びによる前向きな心のおかげで、
奇跡的な回復の過程にいるという事実をお伝えします。
私が事故を起こしてから2年の間、「つぶつぶをちゃんと実践していても病気になるのか。」というショックを
受け、不安を感じていたみなさん、ごめんなさい。
私は、天女の学びのおかげで、起きた事を悔やんだり嘆
いたりすることなく、起きた意味や回復の過程で気がついた事を受け止めて、また、夫やつぶつぶグランマゆみこや
つぶつぶマザー仲間に支えられてこの2年間を幸せに過ごすことができました。
飛行機のシートを倒した状態で、寝たままの体勢で飛行機に乗り、
到着した日本の病院に、
ゆみこが雑穀ご飯のおにぎりと常備菜を持って駆けつけてくれました。
その時に、一口食べたおにぎりの味は忘れることができません。
体にエネルギーが広がるのを確かに感じました。
現在、体が思うように動かす事ができず、
辛い事や悔しいこと、不自由なことがたくさんありますが、
そのおかげで、気づいたことを大切に
これから、この経験を社会に還元して、
生きて行こうと思います。
「脳内出血の後遺症で、料理の段取りをすることは、出来ないかもしれない。」とも言われましたが、つぶつぶ料理をすることは、頭で考えなくても自然に身についていた為、
また、「料理がしたい!」という強い思いのおかげで、
立っているのも辛い状態でも、左手が使えない為、出来ないことがたくさんある中でも、
日々料理をすることで、頭が回転して、体を動かして、私の体は、回復してきました。
生命力溢れるつぶつぶご飯を食べることで、私の体に力が漲り、
また、その食べるものを作る料理をすることで、
私のいのちは、生きる力を強くして行ったと確信しています。
日々料理をする暮らしがどんなに人のいのちを支えているかを、自分の体で経験しました。
やっと、この事故は、私のもっともっとという欲張りな気持ちから起こったことだと気付くことができました。
幸せに囲まれていながら、それを支えくれている家族や仲間やつぶつぶをあたりまえと思って、感謝を忘れていました。
ともに楽しむ幸せを、傲慢な上から目線で遮っていました。
それが今回の経験からハッキリと分かりました。
強がりではなく、心からのやすらぎとともに家族との暮らしを楽しめている私がここにいます。
自分の求めていたものをハッキリとつかんで、
今ここを心から楽しんでいる私がいます。
こんな貴重な経験をした私だからこそ伝えられることを、伝えて行きます。
読んでくれてありがとうございました。
PS
只今、新しいブログの開設準備をしています。
うまれ変わった私の、ワクワク愉しい毎日を
綴っていきますので、愉しみに待っていて下さいね。
準備が整い次第、お知らせ致します。