「坂の上の雲」&「JIN」を視聴しました
舞台となる時代が近いこの二つのドラマ昨夜続けて視聴しました~~ネタバレってほどのモンじゃありませんがこれから視聴する方はご注意ください「坂の上の雲」は司馬遼太郎先生の同名小説をドラマ化したもの日露戦争の作戦参謀となった人が主人公・・・・でしたっけ?実は私、小説の方は読んでないんですよ主人が好きなんで家にあるんですけど原作読まずにドラマとして楽しんじゃえ!のノリで観ました昨夜は主人公秋山真之の子供時代~青年期の入口までの話悪ガキだった子供時代が可愛かったですねそしてお兄さんの秋山古好の優しいことこの兄を慕い見習って成長していくわけですね明治維新っていうのは(特に)武士階級だった者達にとって今までの常識とか価値観がひっくり返る大変な出来事武士が起こした革命なのに、実際に最も大きく転落したのは武士階級元々生産しない層だから、その波紋は非常に大きかったわけで一部の武士を除いて経済的に貧しい暮らしに落ちぶれた人々が多く精神的にも複雑だったでしょうね西南戦争はその最たるものだったわけですし下級武士の息子である真之の兄・古好は風呂焚きで金を稼ぎ真之はと言えば近所の子供らに馬鹿にされて喧嘩したりまぁ、一口に言って主人公たちは”普通の”落ちぶれ士族の子供・・・・と言って良いんでしょうそんな彼らを支えたものは何だったんだろうかと考えたやはり、「たった一つでも良い、何か大きなことを為す」という夢そのものだったんだろうと思う主人公を見送る若者たちのエネルギー送り出す大人たちの思いを一身に受けて旅立つ真之の涙が清々しいそして、自由民権運動云々と叫びながらも(封建的な色合いを残した)武士としての誇りや精神的な繋がりがあったからこそ主人公もその兄も困窮の中でも背筋を伸ばし卑屈にならずに成長できたのだろうと思う東京で共に暮らす兄の禁欲的かつ頑固な姿勢それはもういないはずの武士そのものそういう一本筋の通った姿が主人公が背筋を伸ばして生きていく土台になっていったのだろう西洋から猿マネと馬鹿にされた当時の日本それでもがむしゃらに真似をし続け外国文化を吸収し我が物にしようと滑稽なまでに必死になったとしても真似をしているのはあくまでも”文明という形”精神は武士であり、奉公するのは大名ではなく国に変わっただけひとえに西欧列強に蹂躙されていた清のようになるまいと富国強兵に邁進したわけだそれが行き過ぎて後世、日本は軍国主義に突き進んでしまうわけだけれどこの「坂の上の雲」の主人公たちが志を高く持って今の日本の基礎の基礎を作ったのは間違いないそしてそれは、たった一人の英雄がそうしたのではなくて沢山の国民一人一人がそれぞれ大望を抱いて生きていたからこそなんだろうなと、そう思った次に観た「JIN」でも、人の器とは何か・・・という事に触れていた南方の器は小さいだがとても美しい形をしているだからこそ、周囲の人間はそれに惹かれ助けたいと思うそしてそれが大きなことを為し得る力となる一人では何もできないかも知れないが全ての人は誰かの夜道を照らす灯りのようにそれぞれの形、それぞれの大きさの命の器として存在する「坂の上の雲」この時代の人々も、そういうことなのだろうと思う明治維新は下級武士が多くの働きをし多くの者が命を落とし、その血で為された革命幕末明治を支えたのは英雄たちではないいや、後世偉くなった人もいるし、振り返れば”英雄だった”と評価される人もたくさんいるわけだけれどきっとその当時は極々”普通の人々”だったはずだ器も大きい人ばかりではなかっただろうだが、一人一人精一杯自分の為せることを為してその結果、一つの大きな時代の流れが作られた事は間違いない今の日本の閉塞感今こそエネルギッシュな時代に生きた人々の想いや情熱に思いを馳せわが身を振り返ることが必要なのだろう・・・・・ま、そんな事を少しばかり真面目に考えていたって事でたまに真面目なこと考えたから知恵熱出そう(笑)