フェルメール展
先週金曜日、「フェルメール展」へ行ってきました。昨年、「牛乳を注ぐ女」を見過ごしてしまってがっかりしていた時に「来年は、今世紀最大のフェルメール展があるらしい。」というニュースを目にして、とても楽しみにしていたんです。それでも、結局行けたのはやっと開館3ヶ月後。すっかり混雑してからになってしまいました。期待どおり、今回の展覧会は7点ものフェルメール作品を生で観ることができるという信じられないような企画10時には入館したので、ひとつひとつの絵の前で並びはしましたが、どの絵も、すぐ目の前で観ることができました。(お昼帰る頃には、入場制限もされていたようで、入館を待つ人たちの長蛇の列ができていましたので、これから来館なさる方は、できるだけ早い時間にいらっしゃったほうが良いと思います。)手を伸ばせば、本物が届くところに自分がいるというなんともいえない感動を味わえるというのは、伝説の天才画家フェルメールの名前の威力だったのでしょうか。昨年、偶然BSで映画「真珠の耳飾りの少女」を観たのですが、その時感じたのは、たった一枚の絵が、数々の人の手に渡り、そして色んな人の人生に影響を与えてきたということ。芸術の背景には、必ず人間ドラマがあるのだなということでした。約400年経って、それが私の目の前にある。心が震えました。中でも一番印象深かったのは、「小路」というフェルメールとしては珍しい風景画でした。煉瓦の赤や木々の緑色の深さ、そして雲の中からかすかに覗く空の色など決して、写真では伝わらない色がそこにあります。思わず景色にすいこまれそう。後に待ってらっしゃる方たちのことを思うと早くこの場所をお譲りしなくてはと思う気持ちともっと眺めていたいという葛藤があった絵は初めてです。他に7点のフェルメール作品の他にもデルフト出身の数人の画家たちの絵もありました。そして、会場にはフェルメールの数々の有名な絵が実物大で紹介してあり、そこに私が20歳くらいの時に観た「「真珠の耳飾りの少女」が。(ずっと私は、これを「青いターバンの少女」って呼んでいましたけれど。)その時、どうして展覧会に行ったのか、誰と行ったのか全く記憶はないのですが、目の前にこの絵が現れた時の感動は、今もなお、はっきりと蘇ってきます。私の中では、ものすごく大きい絵に感じられていたのに、今回、実はそれがとても小さい絵だったことに驚いてしまいました。こうやって、見る人それぞれのフェルメールがあるのですね。今回、私の見た7枚は、時間を経てどう映っていくのかと考えると楽しい。やはり本物との出逢いって素晴らしいなってつくづく思いました。今月中には「消えたフェルメールを探して」も観たいなって思いながら、スケジュール帳を眺めているところです宇治のお抹茶の味が忘れられず、思わず購入。届くのが楽しみ~