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セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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<お知らせ>
これからは、皆さんのアクセス数を見ながら記事を書きます。
つまり、皆さんが何に疑問を感じているのか、何が知りたいのかをアクセス数の多い記事から読み取るつもりです。
これからも、多くの方のアクセスをお待ちしております。

<コロナ禍でのパワースポット&山城活用術>
コロナ禍ではありますが、だからこそ知って欲しいパワースポットがあり、紹介しております。
規制されていて行けなくても、画像を見て感じ、受け取れるパワーもあるため、自由に待ち受け画面などにご利用いただいて構いません。
そもそも、パワーをゲットしてもらうために紹介しているので。

日本には、山城や古墳が多数存在します。
ネット検索してみてください。
近所にもあってビックリしますよ。

山城攻めは、体力があってよほどの城跡好きか、山好きでなければ頂上まで登ろうとは思わないのでしょうね。

多くありませんが、ロープウェイで登れたり、途中までバスが出ていたりと、登りやすく観光地化されている場所は別です。

それ以外は、混雑時間もネットで確認できますが、一度も混雑に出くわした試しがありません。
従って、3密にならないのが良い!
体力、体調、健康維持にご活用ください。

ちなみに、高い山ばかりではなく、探せばマイナーで散歩をするのに丁度いいコースもあります。
近所であれば、あらかじめ人通りも確認できるでしょう。

自然に感謝し、パワーを頂きながら上手にコロナ禍を乗り越えて行きましょう。

<マーガレット・F・パワーズ著 「足跡」の補足説明>
幾百万もの人々を感動させた「あしあと」という詩は、長い間、作者不明とされていました。
ところが思いがけないところから作者が判明したのです。
カナダに住むマーガレット・パワーズさんは、夫と娘が水難事故に巻き込まれ、自分も腕を折るという試練の時「この詩をお読みすれば、きっと励ましになると思うの」と看護婦さんが夫に読んでくれたという詩を開いて驚きます。
なぜなら、それは彼女が若い頃に作った「フット・プリント(あしあと)」という詩だったからです。

この詩は1964年に書かれた詩なのですが、その後、引っ越しのときに間違って配達されて行方不明になってしまった荷物の中に入っていました。
それがいつのまにか誰かの手によって「作者不詳」ということで発表され、有名になったのです。
それがこのような形で作者の夫を励ます詩となって作者に戻ってきた。
以下がその原文と日本語訳です。
聖書にも同じことが書かれているので載せておきます。
皆さんの励みになりますように。

足跡(Footprints) : 作者  マーガレット・F・パワーズ

One night a man had a dream. He dreamed he was walking along the beach with the Lord. Across the sky flashed scenes from his life. For each scenes he noticed two sets of footprints in the sand; one belonged to him, and the other to the Lord.

When the last scene of his life flashed before him, he looked back at the footprints in the sand. He noticed that many times along the path of his life there was only one set of footprints. He also noticed that it happened at the very lowest and saddest times in his life.

This really bothered him and he questioned the Lord about it. "Lord, you said that once I decided to follow you, you'd walk with me all the way. But I noticed that during the most troublesome times in my life there was only one set of footprints. I don't understand why when I needed you most you would leave me."

The Lord replied, "my precious, precious child. I love you and I would never leave you. During your times of trial and suffering. When you see only one set of footprint, it was then I carried you."
(原文)
ある夜、彼は夢を見た。それは主とともに海岸を歩いている夢だった。
その時彼の人生が走馬灯のように空を横切った。
その場面場面で彼は砂浜に二組の足跡があることに気がついた。
ひとつは主のもの、そしてもうひとつは自分のものであった。

そして最後のシーンが現れた時、彼は砂浜の足跡を振り返って見た。
すると彼が歩んできた今までの道の多くの時に、たったひとつの足跡しかないことに気がついた。
そして、それはまた彼の人生で最も困難で悲しみに打ちひしがれているときのものであることに気づかされた。

彼はこのことでひどく悩み、主に尋ねた。
「主よ、かつて私があなたに従うと決心した時、あなたはどんな時も私とともに歩んでくださると約束されたではありませんか。でも私の人生で最も苦しかった時、ひとつの足跡しかありません。私が最もあなたを必要としていた時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?私には理解できません。」

主は答えられた。「私の高価で尊い子よ、私はあなたを愛している。決して見捨てたりはしない。あなたが試練や苦しみの中にあった時、たった一組しか足跡がなかったのは私があなたを携え歩いていたからです。」

<聖書:イザヤ書 63-9 より>
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって主は彼らを贖い(あがない)、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。

彼らのすべての悩みのとき、主も悩まれて、そのみ前の使いをもって彼らを救い、
その愛とあわれみとによって彼らをあがない、いにしえの日、つねに彼らをもたげ、彼らを携えられた。

<病について考える>
自分が「マイナス」にいて「悪夢」にうなされていると、「病」も辛く苦しいものでしかなく、また「人が自分に与える精神的な苦痛」も相当なものです。

私は癌になった時、自分の「病の辛苦」より、この「精神的な辛苦」から解放され、「伴侶の愛に満たされた喜び」のほうが勝っていました。

病にも「プラス」と「マイナス」、「有」と「無」の側面があります。

何度も言うように、「プラス」は他者のために働くことを本望としているので、誰かの中に眠っている愛を呼び覚まし、引き出すのに有効であると判断すれば、自ら「病」になります。
イエス・キリストが、他者のために磔になったように。
そこに「絶望感」はありません。
つまり、「無」なのです。

しかし「マイナス」は、自分に意識が向いているので、ただただ「病」を「悪夢」と捉えて「絶望感」に苛まれる。
これが「有」。

「プラス」は、他者のためなら命を惜しみません。
そもそも自分の命より「愛=神」が大事なので。
「愛」を捉えて離さなければ、「病」も「死」も「試練」も「悪夢」にはなりません(「無」)が、「愛」から離れてしまうと、途端に人は「悪夢」にうなされてしまいます(「有」)。
だから、「神」であり「プラス」であり「光」であり「愛」である存在から離れてはならないのです。
自分がまだ「マイナスの世界」にいる間は特にね。

私の周りにいる人たちは、「マイナスの世界」にいる人がほとんどです。
従って、「マイナス」にいる人たちに付き添っている間は、私も「マイナス」のやり方に従わざるを得ません。
つまり、人間が「悪夢」から逃れるために編み出した「医療」や「試練という捉え方」を使うしかない。
それが「マイナスの世界にいる人たちに付き添う」ということだからです。
納得してもらうためには、利用するしかないのです。
もちろん、自分の「試練」も「病」も利用します。
イエス・キリストが、磔刑を甘んじて受けたように。

全て自分がどうしたいかではなく、「他者への愛を優先させた結果」であり、「他者を愛に導くため」です。

<死について考える>
このところ、「有」と「無」について書く機会が多いですが、「死」にも「有」と「無」の側面があります。
「死後の世界が有る」「死んだら無に帰す」の2つです。
「有」と信じて疑わない人にとって「死」は、メンテナンスが必要な肉体から離れられ、人間由来の世界を卒業するまたとない機会ですし、生前の行いによっては、イエス・キリストのように、天の父の元へ帰れる喜ぶべき日と言えます。
あくまでも、「生前の行いによっては」ですが。

しかし、死んだら「無」に帰すと信じて疑わない人にとって「死」は、「消滅」を意味し、「恐怖」以外の何ものでもありません。

死後の世界をイメージするのは自分です。
人間がこの世をイメージしながら作り上げて来たように、死後の世界もまた、それぞれのイメージによって作られると言っていいでしょう。
つまり、イメージできない所へは行けないし、自分がイメージした場所からは出られないということです。

それは何もあの世に限ったことではありません。
この世にいても同じこと。
光り輝く愛ある世界がプラスだとわかっていても、プラスになろうと努力する人もいれば、今のままでいいとその場に留まる人もいます。
この世でどんな世界に自分がいるかを見れば、自分が行くであろう死後の世界も検討がつくというわけです。

今いる世界に満足できなければ、生き方を変えてください。
生き方を変えた結果、最終的に辿り着いた地点がどこになるかで、死後の世界は決まります。

空気は澄み渡り、明るく温かく穏やかで優しい愛=光に満ちた世界は最高です。
皆さんと手を取り合って、パラダイスに辿り着けることを切に願ってやみません。

<「有と無を操る」と「イメージが作り出す形あるもの」>
般若心経の内容を踏まえて、このところずっと「有」と「無」について考えていました。
私たちの目に見えているもの全てが、この
「有」と「無」の繰り返しによって存在していると聞いたからです。

そこから導き出された答えが、「人が想像でき、求め、信じるものは、形となって現れる」です。

「全ては無に帰する」と信じると、人は「どうせ消えてなくなるのだから、どうでもいいや」と開き直り、全てを捨て、投げやりになって自殺するか、暴挙に出るしかなくなり、道を見失ってしまいます。
そこで、歯止めをかけるために登場したのが地獄の閻魔大王です。
死んだ後も天国と地獄があり、「悪いことをすると地獄へ落ちる」と戒め、人を善の道に導いてきました。

イメージし信じるものは、明るく温かく愛に満ち、崇高で気高くなければなりません。
つまり、プラスのみであること。
一人でもマイナスをイメージし、「有」としてしまうと、この世からマイナスはなくなりません。
一人でも「無」を望み信じてしまうと、「無」もなくなりません。

つまり、人間の「信じる力」が「有」と「無」を操るというわけです。

ずっと「(神(プラス)を)信じる者は救われる」と言われてきたのも、完璧な神(愛、プラス)がイメージでき、存在すると信じられれば、完璧な神は現実になり、人は救われるからです。
それを知らしめるために力を貸してくれたのが、イエス・キリストであり、仏陀であると言えるでしょう。

宗教団体がなくならないのも、人が教えを求め、神をイメージし、信じてきたからで、そこに集まる人たちのカラーが同じなのも、皆が同じ神をイメージし、揃って同じ信仰心を持ち、それを心地良いと感じているからです。
皆で作り上げた世界に生きることを望んでいる人がいる限り、人がイメージして現れた世界は消えてなくなりません。

劣位の神の神殿もしかり、この世もしかりです。

であれば、プラスによって守り導かれるマイナスのない世の中をイメージし、信じて生きたほうが幸せではありませんか?

それができれば、劣位の神の神殿のマイナスもなくなり、神も劣位ではなくなるでしょう。

<「神殿の中にある異物(マイナス)」と「コロナ禍は神と対話する良い機会」>
人が、イメージして作り上げた神を信仰している限り、神の住まう神殿にいても神には気づけず、マイナスもなくなりません。
ユダの福音書とマグダラのマリアの福音書に出会うまで、私も従来通り、人が信じてきた神の姿を追っていました。
だから神殿に群衆が現れたのです。(意味がわからない方は、トップページにある「神殿の夢」を一読してください)

今までずっとその状態が続いていたのは、自分たちが作り上げた神の世界の居心地が良く、そこに住み続けることを人が望んだからです。
「居心地の良さの正体」は、人が操る「有」と「無」を見て、身近にいる人を崇め拠り所とし、安心できる点にあります。
イエス・キリストは、その代表格と言えるでしょう。

宗教のトップに君臨してきた人たちの中には、その「有と無を人間が操れること」に気づき、それを「売り」にしていた人たちがいます。(イエス・キリストにそのつもりはありませんが、従う者の中にいないとは言い切れません)
それにより集められ集団となった信者たちが、トップに煽動されて結果的に神を無視し、神の住まう神殿を我が物顔で闊歩するようになったのです。

しかし、「有」と「無」を操れるのは、何も選ばれた特別な人ばかりではありません。
私たち人間全てにできます。
「この世」や「この世にある作り出されたもの全て」がその証拠です。
一つ人によって違いがあるとすれば、思いやイメージが形となって現れるまでにかかる「時間」でしょうか。
具現化するのにかかる「時間」は、各々の「信じる力の強さ」に左右されるからです。

そこに気づき、一人ひとりが自分に課せられた責任の大きさ、重さを感じて、個々に神と対話し、マイナスを消さなければなりません。

その際、人を介すのではなく、直接神に話し、身の回りにあるものからメッセージを読み取ってください。
もちろん、その中には夢も含まれます。
自分で解読できるようになるまで諦めず、根気強く夢と付き合ってください。
上手に付き合えるようになると、正夢、予知夢が増えてきます。
私の最近の夢がそうで、個人に関することなので、あえて載せていませんが。

神と直接話すようにすると、神の姿が見えてきます。
私の場合は光です。
目を閉じてリラックスし、祈っていると光が見えてきます。
優しく暖かく包み込む光です。
見えなくて困っていたら、「神様に会いたいです。どうか会わせてください」と直談判してください。
とにかく一人で悩まず、神様に何でも話してください。
どんな些細なことでも、くだらなくても何でもいいです。笑
いつもそこに神様はスタンバっていてくださるのですから、ありがたくすがってください。
神様は、子を守る親なのですから。

コロナ禍は、人間関係を整理し依存を断ち、神と対話し絆を深める良い機会と言えるでしょう。

<全知全能の神を信じて初めてプラスに働く「有」と「無」>
人が操る「有」と「無」は、全知全能の神を信じて、初めてプラスに働きます。
なぜなら、プラスと完璧な存在である全知全能の神はイコールだからです。

しかし、人間は自分にとって辛く苦しく悲しいことが起きると、「神も仏もあるものか!」と簡単に神仏を否定してしまいます。
そこでマイナスの出来事を「(神が与えた)試練」と受け取り、信仰心を保ち続けてきました。

ですが、「試練」は神が与えるものではありません。
簡単に言うと、神殿の夢の中で私が「イエス様の役をやりたい」と言った結果、命を落とすかもしれない癌という試練が与えられたように、試練は自分が望んだこと、または業の流転(自分の過去の過ちが巡ってくること)なのです。

全知全能の神をどのように思い描くかは、人の想像力にかかっていると言えます。
上記のことからも、神にマイナスの要素はありません。
完璧なプラスなのです。
ユダの福音書を読むと、それがよくわかります。

マイナスは人間由来のものでプラスは神そのもの。
そう覚えておいてください。
従って、「有」と「無」を「プラス」と「マイナス」それぞれに照らし合わせると、善良なものが存在(有)し、悪や辛苦、魂の消滅がない(無)のがプラスの世界=天国で、悪や辛苦、魂の消滅が存在(有)し、善良なものがない(無)のがマイナス=地獄となります。

この世でどちらをイメージし、現実にしていくかは私たちの肩にかかっています。
責任重大です。
そこを忘れないでください。

<悪夢からの解放により天国=極楽に至る>
嘆き悲しみ苦しむ辛さは、人間特有のものです。
プラスにはありません。

この人間特有のものを乗り越える方法があります。
それは、嫌なもの、嫌いなものや苦手意識から決して逃げないこと。
つまり、そういうものと出遭った時こそ「試練」と受け止め、決して目を背けたり、人のせいにしたりせず、自分の身から出た錆だと自分に言い聞かせて、マイナス(内なるマイナスの感情も含む)と戦うのです。
人間が勇気を奮い立たせ、悲劇を乗り越えるために編み出した、「試練」という捉え方を、こういう時にこそ活用してください。

私がそうであったように、乗り越える作業は決してたやすくありません。
山あり谷ありです。
しかし、この茨の道を歩かない限り、自分の業はずっと消えずについて回り、いつまでたっても地獄のような悪夢から解放されることはありません。
逃げ回るとその結果、解決されずに積み上げられた業により、さらなる不幸に見舞われてしまいます。
つまり、それを自業自得、業の流転と言うのです。

では、嫌なもの、嫌いなものや苦手意識を克服するとはどういうことなのか?
「我慢することなく、心から素直に全てを愛するということ」です。
つまり、自分の中からマイナスの感情や思いを排除し、プラス(愛)になるのです。

嫌なもの、嫌いなものや苦手意識を克服すると、その先には「プラスの世界=天国」が広がり、自分の行く手を阻むものは何もなくなります。
自分がプラス(愛)になってマイナスと縁が切れ、悪夢から解放されるからです。

悪夢は人間由来のものであって、プラスにはありません。
つまり、人は業という悪夢から解放されると、ようやく生きながらにしてプラスの世界=天国=極楽に至ることができるのです。

<この世で起きる奇跡について>
この世で起きる奇跡は、この世が劣位の神によって創られた世界である以上、劣位の神の領域を出ません。

従って、何かと引き換えに奇跡を求めると、見返りを求められるなどといった痛い目に遭うので気をつけてください。

本来奇跡を起こすには、純粋な愛=光が必要です。
光の国バルベーローから来た魂であれば、純粋(完全)なプラス(光、愛)のエネルギーによって、マイナスをプラスに変えられるでしょう。

人が起こす奇跡には以下のようなことが考えられます。
愛(プラス、光)を見失えば心に闇(マイナス、影)が生じ、完全であったものも不完全になってしまいます。
不完全なもの(陰りのあるもの)を完全体(光)に戻そうと思ったら愛を取り戻せばいいのです。
つまり「奇跡」とは、プラス(愛)のみになることでマイナスと縁が切れ、人間由来のものに全く影響されなくなること、マイナスが全て消えてなくなることを言います。

<最高のスピリットの器に選ばれたイエス と 器としての心構え>
いつどこでどのように密約が交わされたのか、イエスはスピリットの器であり衣であった。

選ばれた肉にとっては光栄であると同時に、器としての役目を終える時は自分の意に反しているため覚悟が必要となる。

ボディースーツとして生きて行く勇気と覚悟と誇り、それに事を成すにあたっての大きな使命感がなければ任務を全うするのは難しいだろう。

スピリットにとっては終始窮屈極まりなく厄介な衣であるが、交わされた密約には期限が設けられている。
その日が来るまで留まるしかないのだ。

イエスと弟子達の壁画は神殿にあったが、存在はどこにも見当たらない。
そこにいるのは戒律によって己の分身を増やし続ける支配者と大いなるスピリット、そして天使達だ。

「誰の役をやりたいか?」という問いかけに、「イエス様か十二人のお弟子さんのうちのどなたか一人の役を」と私は答えたが、同じ問いかけに答えた人が他にもいた。

「役を担う」

つまりスピリットに器を提供するということなのだ。

なるほど、それでやって来たのだ、ピンク色に輝く光が。
その光は右上から降りてきて心の扉が開くのをしばらく待っていた。

受け入れる決心がつくと扉は開き、ピンク色の光はスッと中へ入ると、心を大いなる愛で温めてくれた。

イエスの弟子達の中でスピリットとして目覚めていたのはマグダラのマリアとユダだが、他の弟子達はスピリットを理解するところまで行っていない。
ただ教えられたことを伝えるだけの肉の支配者に近い。
他の宗教の教祖達も、戒律や教えを設け、従うように命じた時点で皆肉の支配者だ。

「器になる」と名乗り出た時点で、自分はそこにないものとしなければならず、自分の口から出た言葉は自分の手柄にしてはならない。
また、スピリットは永遠に変化しながら私達の世界を導いているため、変化を受け入れられない存在はいつか滅びる。
過去の祈りにも教えにも決して縛られてはならないのだ。

それらは生きている。

だから時代ごとにスピリットの器が必要なのだ。

スピリットのボディースーツとして名乗りを上げた人は過去に何人もいたようだ。

私はラストシーンで槍のような物が後頭部に当たっているので、人生の終わりは頭に何らかの衝撃を受けて亡くなるのかもしれない。
イエスも予めスピリットとの密約の際、自らの最期について明かされていた可能性がある。
ただあまりに衝撃的なラストシーンに我を失いかけた。

役目を終えた人々は過ぎ越し(任務完了)の祭りを輪になって祝っているようだった。





<スピリットの祈り>
(十字を切りながら)アイオーンと子と聖霊の御名(皆)によりて、アーメン。

アイオーンと一致し、我、バルベーローに住む。

アイオーンの豊かなる愛の恵みに心から深く感謝を捧げます。
ありがとうございます。(数回繰り返す)

アイオーンの御名の尊ばれんことを。
バルベーローの来たらんことを。
アイオーンの御旨のバルベーローに行わるるごとく我らにも行われんことを。

我らを今日も一日アイオーンの元で全ての存在のためにアイオーンの遣いとして働かせたまえ。
アイオーンとの一致。(数回繰り返す)
我、
バルベーローに住まう。(数回繰り返す)

全ての存在はアイオーンと一致し、この世は
バルベーローになる。(数回繰り返す)

この世から悪夢は
消えてなくなる。(数回繰り返す)

聖なるかな聖なるかな、すべての存在はアイオーンと一致し、聖なる存在となりアイオーンの元に来る。

アーメン

<イエスの磔刑と病=肉にとって辛いこと>
イエスがなぜ磔刑を甘んじて受け入れたのか、なぜこの世に死に繋がる病が存在するのか?

肉にとって肉体は自らの存在そのものであり、それを傷つけるという行為は自らを否定するという、これ以上ない耐え難い苦しみに相当します。
つまり、愛あるスピリットが身に纏った肉体に愛を見失った肉が苦しみを与えると、愛を見失った肉の内に「罪の意識」が芽生え、「罪の意識」は「愛を目覚めさせるスイッチ」となり、目の前から愛ある肉が消える、或いは消えかかると、愛を失いかけた肉の中で眠っていた愛が稼働し始めるのです。
肉にとっては荒療治と言えるでしょう。

「辛いこと」というのは「肉にとって辛いこと」であって、「スピリット」にとっては「喜び(解放)」なのです。

<ヨハネの黙示録13節が天使の集いに与える役割>
 負の連鎖が始まり、不安と恐怖にかられると、人間は目に見えるものを頼ろうとし、偶像崇拝が始まり、欲に目がくらみ、刺激的なものに対する執着心が芽生え、必死で不安を紛らわせようと、獣(虚偽、幻想、中毒)の世界に身を投じ、獣に依存し、支配され始める。
 この負の連鎖が始まらないよう、獣が住まう世界の扉が開かないよう、私達は日々心して生活をしていかなければならない。
 万が一、獣の住まう扉が開いてブラックホールに吸い込まれるようなことがあったとしても、そこから抜け出す努力をしなければならない。
 そのためにこの天使の集いは存在するのである。

<神とは?>
 神とは、愛であり、豊かさであり、全てのものの中に内在する可能性である。

<神と対面する(天へ辿り着く)ためには?>
 全てのものの中に愛(真実)を見、自分自身が愛そのものになること。
 そうすれば神と一致でき、神に辿り着ける。
 愛になると愛だけが見え、それ以外の次元の違うもの(666や獣、蛇といった人の弱さ)は見えなくなる。

<天と人>
 天は常に完璧な状態でそこにある。
 人がいかに天に同調できるか、同調できるように変化するかである。
 この関係は永久に変わらない。

<最後の審判>
 神を信じ、神に忠実に従う者にとって、最後の審判は喜ぶべき婚儀である。 

<感情を支配するために>
 エデンの園の蛇は、人の中にある「逃避」「怠慢」「正当化」といったものと密接につながっており、人が自分の逃げ場として創り上げた「迷い」の産物なのです。人=蛇なのでも、蛇がエデンの園にもともと存在していたのでもなく、「人の弱さが蛇をつくり出し、人は自分の迷いから湧いて出た蛇に依存しているだけだ」ということなのです。人が「悪」なのでも「蛇」なのでもないのですが、ただ、蛇に対する「依存の度合い」が過ぎると、麻薬中毒と一緒で離れるのが難しくなり、更に、「自分が楽なのだからそれでいいのだ」と「蛇に依存する自分」を認めてしまうと、人がつくり出した蛇に逆に犯され、利用されることになり、悪循環を繰り返し、元に戻れなくなってしまう危険性があるのです。だから辛くても、今の自分がどのような状態にあるのかを見つめ直し、早急に自分と蛇との繋がりを分析、解明し、依存し合う関係を絶つために、自己啓発する必要があるのです。ここが理解できていないと、「感情」を自分で支配することはできません。

<負の連鎖と必要悪>
 負の連鎖と悪を正当化せず、直ちに天とつながるべし。
 イエスが言われた「疲れたもの、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜なものだから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ11.28)」という言葉に素直に耳を傾けて欲しい。
 
<刺激を手放す>
 人がなにものかに利用されないためにも、刺激的なもの(エデンの楽園にあるりんごのようなもの)に飛びついてはならない。
 なぜなら、刺激的なものに飛びつくと、人の魂はその重さに耐えかね、病むからであり、また、人の魂、霊が本来住まうべき世界は、平和で明るく穏やかで、静寂な愛に満ちた聖なる世界だからである。

<怒り>
 怒りは、愛が感じられないと生まれる。

<怒りの出し方と挑み方>
 まず、相手をへこまさないと気が済まなくなるような怒りの出し方はしてはいけないということ、そうならないためにも、理性で収まりがつかなくなるまで自分を追い込み、気持ちに蓋をして抑え込んでしまわないこと、理不尽な事に対して怒りを露わにすることはあっても、怒りを言葉に込めて暴力を振るうのは良くない。
 また、怖いからといって、その怒りから逃げていても道は開けないので、自分に弱みや負い目がないのであれば、怒りを向けられたときは冷静に勇気を持って正面から立ち向かうこと。忍び寄る幻は、逃げ腰の人に常について回ります。頑張って戦いを挑んでいって下さい。

<恐怖や不安>
 大いなる愛によって守られているという自覚が得られないと起きる。

<危機感と嫌悪感から生まれる拒絶>
 自分と相手のエネルギーが酷似していると、人は相手の嫌な部分と同調しやすい自分自身に危機感と嫌悪感を抱き、相手を拒絶し、離れようとする。
 そうなりたくないという強い思いが自分自身の中にあるからである。

<嫌なもの>
 嫌なものから逃げようとすると余計追われるので、嫌いな気持ちを克服し、いつでも平気で懐へ飛び込めるよう、常に平常心でいることである。

<我慢を手放す>
 我慢しているうちは、まだまだ問題解決には至っていないので、我慢しなくてもすむように、思い(重い)の浄化に努め、我慢をしなくても、常に愛ある理想の形が保たれるようにしていかなければならない。

                   <モーゼの十戒>
                   我は神なり他の者をも神となすべからず
                   汝、偶像を拝むなかれ
                   汝、みだりに神の名を唱えるなかれ
                   汝、安息日を忘れるなかれ
                   汝、父母を敬うべし
                   汝、殺すなかれ
                   汝、姦淫するなかれ
                   汝、盗むなかれ
                   汝、偽証するなかれ
                   汝、人のものを欲するなかれ

<蛇に存在感と攻撃性が加わるわけ>
 本来人の迷いから出た姿形なき蛇に存在感と攻撃性が加わるのはなぜか、それは人間が十戒に書かれている戒めに背き、背いた自分を正当化し認めてしまうからである。

<病のない世界>
 病を治す、病を癒す、病を必要悪のごとく扱う、病を消すというように、病と付き合っていると、人はいつまでたっても病から解放されない。
 浄化しきれない思いを、病になる前の段階で手放す努力をしながら、最終的に病とは無縁の世界へ辿り着かなければならない。
病気SNS illness


<豊かな生活を送るために>
 私達の生活を支え、潤いを与えてくれるものは全て大切に扱って下さい。
 そして、それらの持つ能力を最大限に引き出す努力を人が怠らなければ、相手がたとえお金や物であったとしても、必ず私達の気持ちや努力、期待に応えてくれます。
 お金や物を軽んじたり、もてあそんだりしてはいけません。

<食を通じてできること>
 料理を食べることで、作り手の人となりを知り、愛を知り、その日のコンディションがわかり、作り手自身を受け入れることができる。

<人とのつながり>
 人は人とつながることに喜びを感じる。
 つながることで、そこに愛が生まれるからである。
 つながることのできないもどかしさ、理解できない辛さから、怒り、悲しみ、苦しむのである。

<愛と憎しみ>
 朝風さんのブログから、「愛と憎しみは根が一緒」「表と裏のようなもの」「愛を確かめるための破壊(憎しみ)と再生(更なる愛)」

<魂の進化への鍵>
 魂の進化に必要な鍵は「理解」である。
 それぞれの違いを理解し、その違いを認め、受け入れ、互いに尊重しあう。
 協調と調和を共に生み出し、それぞれの中に必ずある愛を見失わないことである。

<アースエンジェルに渡された鍵と仕事の内容>
 本来鍵は、全ての人間に渡されており、一人一人がその人にしか出来ない、果たせない使命を大いなる存在から授かり、担っている。その鍵を使って天の扉を開けるためには、強い精神力と信仰心が必要とされ、常に天と波長を合わせながら、その上に自分の人生を創り上げて行かなければならない。
 強い精神力とゆるぎない信仰心を育むためには、人を見るのではなく、霊を見るよう心がけ、目に見えるものに惑わされて人や神を偶像崇拝するのではなく、その人の中に宿る霊を見て、その霊が住まう世界を理解するよう努めなければならない。
 それともう一つの鍵の意味は、それぞれのパワーの暴走を食い止め、コントロールするようにとの意味も持つ。

 古代ケルトにおけるトネリコ精(宇宙の調和)と魂でつながるキー:鍵、ルーン文字、3という数字、天文台、星砂、シマトネリコ

<ルシファー(サタン)>
 ルシファー(サタン)は、人がつくり出した偶像である。
 地獄に落とされるような存在は、もともと天界には存在しない。
 善も悪も人の内に見、人の管理下にあり、決して人と切り離して外にあるものとして捉えるべからず。
 人がサタンという悪夢から解放され、天使達と手を結び、自らの闇と戦い、光の剣によって闇を蹴散らし、魂が浄化され、不安や恐怖から解放されることを天は望んでいる。
 人の中から闇が消えてなくなった時、初めて人は胸を張って最後の審判に臨み、天との婚儀に胸躍らせることができるのである。

<善悪>
 天に善悪といった概念は存在しない。
 天においては、どちらも天に属すものであり、あるのは調和のみである。
 
 人が人間に危害を加える存在や行いを悪と言い、愛に満たされた存在や行いを善と言ったのだから、そういう概念を作り出した人間には、豊かな愛情を持って善なる人間を世に多く送り出す義務がある。

<光への道>
 人の魂が光を目指すには、まず、自分が受けた苦しみから、自分がしてきたことを省みて反省し、罪悪感を感じ、そこから許しと助けを天に乞い願い、謝罪の言葉をもって改心しなければならない。
 いくら様々な苦しみを味わっても、この作業が抜けてしまうと闇に留まることになり、光に向かって歩を進めることはできない。
 病気や不幸な出来事が魂のステップアップに必要なのだと豪語するものがあるとすれば、それは、人の中から自然と湧き出てくる懺悔の気持ちと、天に助けを求める心の叫びを導き出すための一材料として役立つからである。その苦しみは、その人にしか絶えられず、その人個人にしか受け取ることの出来ない唯一無二のものなので、人それぞれ違って当たり前であり、同じことを他人に強要することも、自他を比べることもできない。
 謝らなくてもすむと思っている人などどこにもいない。
 自分自身を傷つけてごめんなさい。人を傷つけてごめんなさい。と素直に謝ることが大事である。

<天とつながるためには>
 全てのものと調和するために、互いの中に必ずある愛を見失わないこと。
 その愛こそが神なのだから。

<神殿を表す数字>
 846468の環
 8:調和
 4:天の天使
 6:地の天使

<天使>
 天使は天(愛)の一部であり、天の一端を担う使命に忠実に従う存在です。

<ミカエルの剣> 
 ミカエルの剣は、光(愛)の剣です。
 決して相手を傷つけたり、攻撃したり、倒すためのものではありません。
 この世の剣とは違うのです。
 その光(剣)によって貫かれた魂(心)は、不安や恐怖から解放され、癒され、浄化され、愛で満たされることでしょう。
 人の内にある蛇を倒すために、自らその剣の前に進み出て、「我が闇を打ち砕きたまえ!」と叫んでみて下さい。

<罪の意識からの解放>
 罪の意識に囚われ、そこを何ものかによって利用されている場合、その罪の意識(謝罪)を感謝に変えることで、罪からは次第に解放されていきます。
 「ごめんなさい」を「ありがとう」に意識的に変えていくことです。
 心の底から言えるようになれば、「罪」も「利用するもの」も木っ端微塵に打ち砕かれ、跡形もなく消えてなくなるでしょう。

<家と土台>
 「そこで、わたしのこれらの言葉(イエスの教え)を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイによる福音書 7.13-29より)
 
<テンプル騎士団>
 ウィキペディア以外にも、http://www.voynich.com/templar/index.htmlにアクセスすると、詳しく書かれた内容のものを読むことができ、またそこには、シオン修道会やシトー修道会(トラピスト修道院1121に関係がある)、1112や1118といった数字も見ることができます。

<アナニア(神は情け深いと言う意味)>
 ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、「直線通り」と呼ばれる通りへ生き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を尋ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入ってきて自分の上に手をおき、元通り目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」
 しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」
 そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現われてくださった主イエスは、あなたが元通り目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元通り見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。(使徒言行録9.8-22より)

<メンバーやメンバーの道具に関わりのある数字、及びメールの並び順>
Y美ちゃん:12-08(誕生日)、444(メルアド)
K子さん:224(誕生日)、10-25(結婚記念日)
M代さん:523(誕生日)、111(結婚記念日)、666(陽の鏡の鍵が閉じていると同時に、陰の鏡の鍵が開いている。)、999(陽の鏡の鍵が開いていると同時に、陰の鏡の鍵が閉じている。)、11-23
Sみさん:13(誕生日)
アナニア:928(誕生日)、239(車のナンバー)、4444(メルアド)

イエス・キリストが生きた年代:BC(Before Christ)4年~AD(Anno Domini)28年

四大天使:929(祝日)

ハヤット神父様:626(誕生日)
 
 それぞれの数字をどこかで見かけた時は、その数字と関わりのあるメンバーから連絡が入ったり、何かが起きていたりするので、必ず相手に確認して下さい。

<数字の8の意味>
 8は6(俗世)と9(天使、天界)の意味を持ち、双方のバランスを表している。人がどちらに傾いているかによって、周りに与える影響、世界観が真逆に変化するので、注意が必要である。
 3の鏡文字でもある8は、お金も含め、神から人間に与えられる豊かさが無限に存在することを表す。
 増幅、増長させるパワーを持つため、この数字を持つ人は、物事を平等に見る目、感覚を養い、バランスを保つことを心がけ、決して負のものを増長させないこと。
 6は8を頼る傾向にあります。
 なので、8が6を救おうと思ったら、8の中からまず6(影)を消し、自ら光(9:アースエンジェル)とならなければなりません。その上で手を差し伸べるのであれば、それは偽善ではなく、誠の愛ある行為となりうるでしょう。

<666の意味>
 自分が振り回される何者か(人だけとは限りません。トラブル、仕事、物、お金、団体等々)が近づいていることを知らせています。そのものが何であるのか見当がつく場合は、予め予防策を練り、対処法をイメージトレーニングをしておくといいでしょう。自分が振り回される相手だからといって怖がる必要はありません。自分自身が上手く対処できさえすれば別段問題はないのですから。上手に付き合って行きましょう。
 ただ上手く対処するためには、体調を整え、心にゆとりを持ち、自分自身の用事を終わらせておく必要があります。自分に何か問題があり、様々な課題を抱えているのに、近づきつつあるトラブルを万事上手くかわそうと思っても、それは無理な相談です。ほとんどの人の場合がそういう状態なので、6を見ると恐怖心が先に立ち、慌ててしまうのです。

<666のもう一つの顔>
 666を上手くかわすためには、予め自分の用事を済ませ、体調を整え、心にゆとりを持って臨むことと書きましたが、これらの条件は同時に、常にゆるぎない愛情を持って人と接し、事にあたるために重要なことでもあるのです。666は、私達人類が常にどのような状態にあるべきかを、穏やかな大海原に漂う一艘の小舟を見つけては、大波となって押し寄せるかのように、ゆるぎない愛情を試したり、神と共にどう事にあたるべきかを考える機会を与えたりしています。聖書に書かれているように、「自分の乗った小舟がたとえ嵐に見舞われたとしても、神と共にいることを信じて疑わなければ、何を恐れることがあるだろうか」ということなのです。そして、666を上手にかわすことができたかどうかを見れば、その人の持つ愛情の深さ、キャパシティーの広さ、そして、神への忠誠心を推し量ることができるのです。

<666を見かけたら>
 666を見かけたら、「懺悔」と「許し」と「和解」をしなければならないことに遭遇する。負の連鎖の始まりを知らせる。

<66-66>
 物欲から来るわがままに振り回され、疲れる。

<6が求める救いとは>
 神殿の右側にいる人達は、愛という盾を見失っているために、6を食い物にする塵芥の餌食になっていて、その塵芥の発する毒を自らが撒き散らしているということに気づいていません。6そのものが塵芥ではないのですが、愛を知り、自ら愛を身にまとう必要があるということです。そうすれば、6を犯していた塵芥は木っ端微塵に打ち砕かれ、6本来の光を発することができるようになります。6は自分を見ても逃げない相手を見極めることができるようです。そして、逃げないとわかると相手に救いを求めてきます。
 
<6が光り輝くためには>
 6は塵芥の餌食になりやすい(弱さを甘んじて受け入れてしまう)性質を兼ね備えているので、人間の弱さを決して正当化せず、常に自分の行いをチェックするように心がけ、愛を生活の中心に据える(愛を引き寄せる)こと。愛(慈愛)を持ってあらゆるものの良さ、能力、価値、評価を最大限に引き出そうと努力をすれば、塵芥の餌食となることもなく、6本来の持つ光を存分に発揮することができ、9と調和して∞となりうるでしょう。

<6とは?>
 人を構成する一部分であり、自由意志であり、魂の成長を促す弱点。

<ロザリオの意味>
 ロザリオは祈りを捧げるための道具ですが、それだけではなく、人と人とを繋ぎ、結びつきを深くし、絆を作るものでもあります。
 特にそのロザリオが作り出す世界観は、その世界に入ることのできる人とできない人とをはっきりと区別するため、波長が合わなければ入り込むのは難しいかもしれません。
 ロザリオを手にする時は、そのロザリオがどういう世界とつながっているのかをよくよく見極める必要があるでしょう。

<祈るということ>
 神との対話、自分を見つめる時間、閃き、インスピレーションを得るための時間、心身共に浄化することで神聖な世界とつながるための時間、人や時間に流されないために必要な気づきを得るための時間

<悟りを得るために>
 大いに疑問を抱き悩むこと。疑問や悩みを抱いたら、逃げたり放棄したりせず、とことん向き合い、必ず気づきを得ること。産みの苦しみを味わうこと。

<洗脳されないために>
 素のままの自分をさらけ出せる場を必ず持って下さい。
 自己との対話、自己分析は、自分をさらけ出せなければできません。
 その為にも、人間同士くじけぬ愛を持ってお互いを受け入れていって下さい。

<神殿の夢>
 夢を見た。ふと気がつくと、私は丸い井戸の前に立って上を見上げていた。そこには二人の天使が宙を舞い、どちらも見た目は男性なのだが、絵画に描かれているような羽根は生えていなかった。言葉は発していなかったが、どうやら一人は善、もう一人は悪の役を担っており、争っていた。どちらが勝つのだろうと不安を抱きながら、しばらく戦況を見守っていると、善が勝って私の脇に降り立ち、同時に悪も私の隣に降り立った。二人の天使は一人は私よりもとても背が高く、もう一人は私の肩ぐらいの背丈しかなかった。私の心の中に、「善が勝っても、悪はなくならないんだ」という思いが残った。二人の天使に付き添われ先へ進むと、違う世界へ通じる穴が見えた。そこをくぐり抜け、見えてきた場所は、今でいうサン・ピエトロ大聖堂によく似た造りの神殿だった。神殿は、大理石で出来ており、壁を背に大勢の人達が横一列に並んでいた。しばらくすると、目の前の廊下を左の方から、ギリシャ神話にでも出てきそうな、パーマのかかった髪に赤ら顔、上半身は裸でお腹の出ている、どこかの王様といった感じの男性が、長い杖のような物を右手に持ち、大勢の熱狂的支持者を従え現れた。その歓声は、群衆が近づくに連れ、益々声高になり、呆然と立ちつくす私の目の前を通り過ぎて、右端にある広場へと向かった。何が起きたのかわからず、広場で歓声を上げる群衆を横目で見ながら、ふと今し方彼らが通り過ぎた廊下に目をやると、一人のシスターのような女性がそこに立っていた。日本語を話していたわけではなかったが、何を言いたいのかが、私の言語を使って伝わってきた。「あなたはどなたの役を担いたいですか?」そう聞かれた私の思考回路は、さてどうしたものかとものすごいスピードで回転し始め、早く答えを出さなければと焦って背後の壁に目をやると、そこにはイエス様と十二人の弟子達の顔が描かれていた。私はすかさず、「十二人のお弟子さん達のうちの一人の役か、恐れ多いのですが、イエス様の役をやらせて下さい。」と言った。するとにっこりうなずいたシスターは、広場で歓声を上げている群衆に目をやり、私に「あなたは彼らの言うことを見たり聞いたりしてはいけません。」というようなニュアンスのことを伝えてきた。次の瞬間、目の前には白か白銀の布地に、金の刺繍が施してあるような立派な衣服をまとった、私よりも背の高い方が現れ、女性のような細く長い指をした手を、私に向けて差し出した。顔は逆光の陰になって見えなかったが、差し出された手を取ろうとした瞬間、私のそれまで着ていた服が、一瞬にして白一色の布地で出来た、足の先まで隠す丈の服に替わり、私の体は大理石から30センチほど宙を浮いていた。ひんやりとした優しい手に引かれ、左の方へ廊下を滑るように進むと、左脇に祭壇があった。上方から幼い天使が、膝当てのようなクッションを持って降りてきた。「ここに膝をつけばいいのだろうか。」と、自然の流れに逆らわないよう膝をつき、祭壇の前で手を合わせた。静かな時が数分流れ、次の展開へと促されるまま低い階段を数段下り、広場というには少し狭い空間へ向かうと、途中悪役の天使が近づいてきた。何をするのかと見ていたら、私を助けるような形で、善の天使が間に立ちふさがり助けてくれた。その時以来、私のことを、いつもその天使が見守ってくれているような気がする。踊り場には、長いヤリのような物を持った人達が数人、輪になって踊っていた。その中に入るよう背中を押された私はよろめき、後頭部に後ろの男性が持っていた槍が当たると、謝る男性の声が聞こえ、私は列に加わった。すると、それを見ていた天使の一人が、「この人(実際には何か違う言い方をしていた)は初めてここへ来たのに、輪の中に入ることができた。」と呟き、次の瞬間、私はベッドの上で目が覚めた。今見た夢が過去に見たどの夢とも違って、特別であることがその時の私にはわかった。なぜなら、それは、この世とはまるで次元の違う美しいところへタイムスリップしたような、荘厳で羽根のように軽く、澄んだ次元で過ごした至福の時を心が感じ、今までにないほど喜んでいたからだ。(「アメリカで見た神殿の夢」より)

<大いなる神の子として生まれた人類がなすべきこと>
 大いなる神の子がなすべきことは、神殿を守り、聖域(大いなる存在(光、愛)の住まい)として維持し続けることであり、それは、神殿=聖域=家庭=自分自身とも言えると思います。それが出来ると、一人一人が放つ光が世の光となり、この世が明るく照らし出され、益々人類としての進化を遂げて行くことができるので、日々、光を仰ぎ見ながら頑張りましょう。

<愛を見失わないために気をつけなければならないこと>
 大義名分を設け、自分に嘘をつきながら限界を超えて忙しく働く→世間から自らの存在価値を認められることで、良いことをしているという錯覚に陥る→思い込みの内に自分が本当にしたいこと、しなければならないことを見失い、世の中の流れに乗せられてしまう→本来自分自身でかけるべき歯止めが利かなくなり、お金や欲望、見栄や世間体のために働く奴隷と化す
 この流れに乗らないよう気をつけて!

<アメリカインディアンの教え>
 批判ばかり受けて育った子は批判ばかりします。
 敵意に満ちた中で育った子は、だれとでも戦います。
 冷やかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。
 ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。
 心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。
 励ましを受けて育った子は、自信を持ちます。
 誉められる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
 公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます。
 思いやりのある中で育った子は、信仰心を持ちます。
 人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。
 仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。

<スピリチュアルな本>
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「エドガー・ケイシー 超チャネリング」と「超意識革命10の法則」三村寛子監修 ヘンリー・リード著 加納眞士訳 大陸書房 定価各980円
 人の中に眠る様々な能力を知るための書物として推薦します。アナニア

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「スウェデンボルグの霊界からの手記」とその続編 エマニュエル・スウェデンボルグ 今村光一抄訳・編 タツの本 定価各750円
 霊界の様子がとてもよく分かる衝撃的な本です。アナニア

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「シルバー・バーチの霊訓」1~12巻 トニー・オーツセン編 近藤千雄訳 潮文社 定価各1009円
 この他にも同じシルバー・バーチの本で「古代霊は語る」という霊界から見たこの世の意味を記した本があるのですが、最初はその本から読んでみるといいと思います。一巻で完結しています。アナニア

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「古代霊は語る」近藤 千雄訳編 潮文社 定価1236円の本を見つけたので写真を載せておきます。

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「夢の事典」ラッセル・グラント 豊田菜穂子訳 飛鳥新社 定価1500円
「決定版 夢占い大事典」不二龍彦 学研 定価2500円+税

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「詳細 夢解き事典」不二龍彦 学研 定価1500円+税
 夢を分析、解明するのに役立てています。アナニア

<イージスの盾とメデューサの首>
*アイギス(イージス)*
アイギスとは、ギリシア神話において主神ゼウスが娘の女神アテーナーに与えた防具である。ありとあらゆる邪悪・災厄を払う魔除けの能力を持つとされている。鍛冶神ヘーパイストスによって作られたとされ、形状は楯であるとも、肩当てまたは胸当てのようなものであるとも言われている。なお、「アイギス」とは元々、山羊皮を使用した防具全般を指す名称であった。

アテーナーの立像。彼女の胸当てには、しばしばメドゥーサらしき顔が彫り込まれている。ギリシア神話においては、アイギスがアテナに与えられた後、英雄ペルセウスが、目を合わせた者を石化させてしまう魔物メドゥーサを討伐し、その首を持ち帰ってアテナに捧ると、アテナはその首をアイギスにはめ込んだと伝えられている。メドゥーサの持つ、目を見た相手を石化させてしまう能力は首を斬り落とされた後も残り続けており、ペルセウスはメドゥーサの首を持ち帰る際、いくつかの局面(巨神アトラスに会った時、ケフェウス王の娘アンドロメダを救出する為に怪物を倒す時、アンドロメダとの結婚の祝宴中に乱闘が発生した時等、ただしこれらについては諸説ある)においてメドゥーサの首を使って相手を石化させている。アテナはその首をアイギスに取り付ける事で、アイギスをより優れた防具にしたという。

なお、ペルセウスがメドゥーサを討伐する際、彼がメドゥーサの姿を見て石化するのを防ぐ為、アテナはペルセウスに、青銅鏡の様に輝く楯を貸した。ペルセウスは眠っているメドゥーサに忍び寄る時、楯を利用してメドゥーサの姿を直接見る事なく近づいた為、石化する事なく首をはねる事に成功した(近づく時の方法は、楯を通してメドゥーサを見ながらだとも、楯の表面に映るメドゥーサを見ながらだとも、それ以外の方法だったとも言われる)。この時に使われる楯がアイギスだと言われる事もある。ただし、形状については上記の様に、肩当てまたは胸当てとして伝えるものもある。

*メドゥーサ*
見たものを石に変える能力を持つ魔物。頭髪は無数の毒蛇で、イノシシの歯、青銅の手、黄金の翼をそなえた容姿をもっている。

海の神であるポセイドーンの愛人であり、ポセイドンとのあいだにペガソスとクリュサオル(「黄金の剣」の意)がいる。ペルセウスによって首を切り落とされスズメバチ化された。

「自分の髪はアテーナーの髪より美しい」と自慢したメデューサはゼウスの娘とされるアテーナーの怒りを買い、美貌は身の毛のよだつような醜さに変えられ、讃えられるほどの美しい髪ですら、一本一本を蛇に変えられてしまう。しかし、アテーナーはそれで許そうとせず、ペルセウスがメドゥーサを退治しようとした際には、ヘルメースとともに彼を援助している。

もともと美しい少女であったメドゥーサは、海神ポセイドーンとアテーナーの神殿のひとつで交わったためにアテーナーの怒りをかい、醜い怪物にされてしまう。これに抗議したメドゥーサの姉たちも怪物に変えられてしまう。姉のエウリュアレーとステンノーは不死身であったが、メドゥーサだけは可死であったためペルセウスに討ち取られたとされる。アテーナーはその首を自分の山羊皮の楯アイギスにはめこんだ。

別の伝承では、美しい少女であったメドゥーサは次第に傲慢になっていく。そして、とうとう女神アテーナーよりも美しいと公言してしまう。この発言がアテーナーの怒りを買い、醜い姿に変えられた。

この伝承では、姉妹が存在する場合としない場合がある。メドゥーサは元は単独の女神であったとも考えられる。この話は機織りの娘アラクネーの物語とも混同されやすく、同一視されることもある。

ペルセウスとメドゥーサ
醜い姿に変えられたメドゥーサはアテーナー等に手助けされたペルセウスに首を切られる。このときペルセウスの持っていた盾は、アテーナーの防具アイギスとも言われる。

アンドロメダと怪物
その帰路の途中、ペルセウスは海から突き出た岩に縛り付けられた美女を見つける。彼女の名はアンドロメダといい、母親が自分の娘アンドロメダの方が海のニンフより美しいと公言した為、海神ポセイドーンの怒りに触れ、海の怪物ケイトス(鯨の事と思われる。)の生贄にされるため、岩に磔になっているのだと言う。可哀相に思ったペルセウスは美女を助けることを約束する。 美女を襲いに来た海の怪物に剣は全く歯が立たず、そこで彼はメドゥーサの首を取り出し、怪物を石に変えた。 ペルセウスは無事に課題を終えたことの感謝の意を含め、加護してくれていたアテーナ女神にメドゥーサの首を贈る。アテーナは自分の盾アイギスにメドゥーサの首をつけ、最強の盾とした。(ウィキペディアより)

 メデューサの首を討ち取る(蛇を消化する)ことができると、その瞬間からメデューサの力を我がものとすることができ、この世で怖いものは何もなくなる。イージスの盾にメデューサの首をはめることで、蛇と戦わずして勝利を手にすることができるのである。

<メデューサの怖さ>
 「冷酷」、「理不尽」、「怒り」、「猜疑心」、「執着心」、「怨念」、「恨み」、「執念」、「欲望」

<プレアデス出身の人>
 プレアデス出身の人は、人の優れている点をまねるのが上手なようです。
 それは特に技術面でです。
 その反面、人の心や気持ち、感情、罪悪感というものが理解できず、あちこちで痛い目にも遭っているようです。
 地球で様々な道のプロフェッショナルとなり、名を成している人達の多くは、プレアデス出身の人かもしれません。
 ただ、頂点を目指す途中で、人間関係をこじらせ、挫折せざるを得なくなったり、ついついお金に目がくらみ、商業主義に走りすぎて、人から白い目で見られたり、自分の首を自ら絞めるような憂き目にも遭っているようです。
 あらゆるものを大切に扱うことを学ぶために、他の人達と共に存在しているようです。
 
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「エンジェル・ナンバー 数字は天使のメッセージ」ドリーン・バーチュー リネット・ブラウン
牧野・M・美枝訳 ダイヤモンド社 定価1429円+税
 「数の意味」を調べるために毎日参考にさせて頂いています。アナニア

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「祈りの科学」新選 谷口雅春選集 日本教文社 定価1240円
 「祈り」を様々な角度から捉え、祈りのあるべき姿、祈りによって生じる様々な事例が事細かに記されている大変参考になる書物です。アナニア

 これらの本は、私が日頃から参考にさせて頂いているものばかりですので、きっと皆様のお役に立てるものと確信しております。
 それでは、皆様に素晴らしい霊的人生が訪れることを心からお祈り致しております。アナニア

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「イエス・キリスト 失われた物語 聖書が書かなかった生と死の真実」 フロリゼル・フォン・ロイター著 近藤千雄訳 ハート出版 定価1500円+税
 
 私は個人的に、この書物に書かれた内容に、限りなく真実に近い信憑性があると感じています。
 私がアメリカで夢に見た「神殿」は、イエス自身だったのでしょう。神殿の外での出来事も内での出来事も、神殿の廊下を大勢の群集を従えて歩いて行った王様も右の広場での出来事も、神聖なる霊が現われ、左の祭壇へ導いてくれたことも、どれも皆イエス自身であると同時に、彼の身の上に起きたことなのだと思います。
 この本の訳者である近藤千雄さんがイエスとその使命を「率先垂範(皆の先に立って物事の模範を示すこと)こそイエスの使命だったのである。無位無冠の身の上で不正と不条理と闘った、霊的能力を備えた社会革命家(霊的心理を説きながら、当時のローマ政府のくびきから平民を解放しようとした人)だったということである」と解説しているように、霊的ヒーラーでもあり革命家でもあったイエスの二面性が、聖なるイエスと人間イエスを同時につくり上げていった。そして、そのどちらにも共通して存在していたのが「人類へのゆるぎなく深い神に通じる愛」であったからこそ、今でもイエス・キリストの信奉者は後を絶たないし、その彼の住まう霊的世界の心地良さを夢の神殿(イエス)からも感じ取ることができたのでしょう。岩の上に立てるべき教会の教会とは、「霊が宿る器」、つまりその人自身を表しているということがこのことからもよくわかります。
 神殿の中に現われたシスターらしき女性が注意するよう促した言葉が、イエスが自分の人生から学び、唯一私達に伝えたかったことだとしたら、それは「ヒーラー(人々を心身ともに癒す人)、或いは聖職者(祈りを捧げる者)としての人生を選択し、全うすることをあなた自身が望むのであれば、自分が王のようになって大勢の人を従え、先導するようなことは考えないようにしなければならない」ということなのでしょうね。なぜなら、神殿の廊下を黄色い歓声に包まれながら歩いて行った王様と群集の姿は、誰が見てもとても滑稽で異様なものでしたから。それに相対して、神殿の祭壇側はひっそりと静まり返っており、神聖な空気が立ち込め、聖なる方と天使達、それに数人の信奉者が静かに勤めに励んでいるだけでした。
 晩年大工としてひっそり暮らしていたイエスの元をペトロが訪れ、(イエスを)三度知らないと言ってしまったことで臆病者呼ばわりされ、まだ汚名をすすぐことができずにいると訴えると、イエスは「そんなこと、気にすることはないよ、ペトロ。世の中には人の醜い噂はすぐに信じたがる人種がいるものだ。」と慰めます。そして、いよいよ最期の時を迎えたイエスは、マグダラのマリアの元を物質化して訪れ、マリアが「先生、私も連れて行ってください。もうこんな汚らわしい地上生活はイヤです」と訴えると、イエスは顔を横に振って「君の気持ちはよくわかるが、君にはまだ使命がある。いずれは天界の緑の草原で会う日が来る。今日こうして君の前に物質化して出てきたのは、死後の世界が間違いなく存在することを証明するためだ。私の甦りの噂よりもずっと大事なことだ」と言い残して消えていきます。
 さて、皆さんはこの話をどう受け止めますか?私は是非一度、この本を通して、もう一度イエスという人物を皆さん個人の見解でこの世に新たに生まれ変わらせてあげて欲しいのです。イエスのしてきたことを必要以上に美化したり、神聖化したりせず、ありのままの姿を是非見てもらいたいのです。そうすればきっと、誰からも好かれる高貴でハンサムで人間味あふれる青年イエスに生まれ変われるに違いないのですから。アナニア
 
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「ザ・サード・ジーザス 高次の意識へシフトするための聖書解体」 ディーパック・チョプラ著 宮崎朔 訳 サンガ 定価1800円+税 

<祈りは神様へのテレフォンコール>
 神様は自分の親だと思って毎朝神様に電話をかけて(祈って)下さい。
 待っていれば必ずその問いかけや願いに対する答えが返ってきます。
 大丈夫、神様は一人一人のことを誰よりもよく知っていらっしゃるので、その人に一番合った贈り物を下さいます。それは、「何でも好きな物を」ということではなく、「自分自身の魂の成長に一番必要で欠かせないものを」と言うことです。
 人間の浅知恵など足下にも及ばぬような深い意味のある贈り物が来たりするので、手にしたものを嫌だからといって拒絶してしまわぬよう気をつけて下さい。
 全知全能の神に全信頼を寄せて、どうぞ心安らかで穏やかな日々を送って下さい。

<和解の必要性>
 「和解をしなさい。なぜなら、争いの念波は神の救いの念波を受け取れなくするからです。」(生長の家「聖教」より)

<人がこの世に生まれ変わってくるわけ>
 全てのものと「和解」をし、神の元へ立ち返る為に、人は何度も生まれ変わって来ているように思います。全てのものと「和解」が成立すれば、この世から争い事は消えて無くなり、生きて極楽浄土を味わうことができる。私達人間が目指すべきはそこなのだと思います。

<神殿の内と外>
 「善い」「悪い」や「争い」の概念が働くのは神殿(神の住む世界)の外での話で、神殿の中(神の住む世界)では、二つの両極端の世界はあっても、争いが起きることはなく互いに共存している。

<低級霊を寄せ付けないために>
 お墓、お仏壇、家、車の管理及び掃除、入浴を怠りなくすることは、低級霊から身を守ることにつながります。自分も含め、家族が皆安泰で健康に恵まれ、家内安全でいられるように、常に掃き、拭き、洗い清めることを心掛けて下さい。

<覚え書き>
頭痛や動機がする時:メンバーに危機が迫っている。早急に対処する必要あり。
ロザリオが切れる時:後悔から自分を責め続けていることが多い。何かを知らせている。虫の知らせ。体調を崩す前兆。6と9のバランスが崩れる。
色が変わる:二重人格の人がいる。何かが大きく変化する。変化している。担っていた役が変わる。
耳鳴り:高次からのメッセージ音
光:高次から来た霊が自らの存在を知らせるもの、正しい答えや道を指し示す。
蕁麻疹:甘えたいのに甘えられない時、我慢している時に出る。拒絶反応の現れ。不安が発端となり、様々な物や行為にはまりやすい人によく見られる。
夢に現れた足のない人、歩けない(車椅子の)人:その世界から出たいと思っていない。或いは、出たくても出られない人
痛み:負の念が飛んできている。波長が合わないか、もしくは、人を利用しようとする打算や下心があって近づいてきている存在が側にいる。痛みが起きたら原因を突き止め、問題を解決する必要がある。良心の呵責に苛まれている時にも起きる。同じ問題を抱えている人が、弁護や同意を求めて近づいている。
左首の付け根の痛み:家族が体調を崩す予兆
頭痛:不安からくる怒り
心臓の痛み:恨みからくる
スカイプや電話の雑音:「どうしよう、どうしよう」という不安から心が動揺し、パニックになると雑音が入る。
腰痛:腰痛を持っている人の思念が飛んで来ている。
指を切る:そこにメデューサの首があることを知らせていて、取りに行くためには、幻を消し、愛だけが残るように人間関係を築かなければならない。理解しあえない、相容れない相手と出会う。
C穂さんの具合が悪くなる時:肉の組織や団体の活動が活発になっている。
出産の夢:取り組みが完了する。
低気圧に覆われている時:体調不良、発作、事故に注意。
昔の友達から連絡が来る時:進歩を阻むものが過去に引き戻そうとしている。
受信拒否と迷惑メール:メールを受け取れなかった、或いは迷惑メールに入ってしまった側に、相手を拒否したり迷惑がるような理由がある。
良い気を入れ、悪い気を出す:両腕をピンと指先まで伸ばし、右腕は右回り、左腕は左回りに回す。
神様を信じることの出来ない人を、私も信じることはできない。
ピンクの携帯:誘惑を表す。
1028:同じ物が欲しくなるスイッチ
私に知られたくないことがあると、私のところにK子さんからのメールが届かなくなります。
動悸(心臓、胸):恨みの念が残っている。
夢に出てくる大学の教授:苦手なものの象徴
体の痛みは心(行き場のなくなった気持ち)の痛み
Y美ちゃんの胸の痛み:娘さんからくる
スカイプの雑音やつながりの悪さは、自分の中にある闇に反応している場合と、良くも悪くもチャネリングしづらい場所(次元)にいる生命体と無理につなごうとしている場合、つまり、上手く意思の疎通が図れていない可能性が考えられます。
 
2022.04.08
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カテゴリ:スピリチュアル
「ロシアははめられた」と言う人がいます。

政治において、裏(陰)の動きは表に出てきません。
従って、何が真実で何が嘘か、我々一般人にはわからないのです。

軍事侵攻を先に始めたのがロシアだとしても、もしかしたらそうなるように仕向けられ、ロシアはその企てにまんまと乗せられただけなのかもしれません。

しかし、世界中の人たちが「絶対それが真実に違いない!」と思うには、日頃から現在のトップ率いるロシアがそれなりの良い行いを積み重ねていなければ信じるのは難しいでしょう。

国のイメージを落とすような行いを日頃からしていると、それが善悪の判断基準になってしまいます。

政治に闇はつきものですが、それぞれの国に生きている人たちが人に恥じない行いをし、平和的で世界をより良くするために日々努力を怠らず励み続けていれば、それが国全体のイメージアップにつながり、国の評価は高まり、世界中から非難を浴びるようなことにはならないはずです。

スポーツで例えるなら、オリンピックで勝つためにドーピングを行ったり、国をえこひいきするようなジャッジをしたり、相手国から無理やりファウルをとる、ルールを変える、負けて自国に帰った選手に制裁を加えるなどといった倫理観や道徳心のなさが公にされると、ロシアでなくても国の評価は地に落ちます。
そして、それがその国のイメージとなって定着するのです。
評価が地に落ちると信頼は失われ、力を貸そうとする人はいなくなります。

人も国も日頃の行いはとても大事で、善い行いはいざというとき自分の身を助けます。
敵ではなく味方に囲まれ、自他共に手を携え、幸せに生きて行けるように頑張りましょう。

Seraphim






Last updated  2022.04.08 19:36:37



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