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セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

ある孤児の話

互いに慰めあいながら片寄せあって生きている二人の孤児がいました。

 小さい頃、両親を亡くし、親戚中をたらいまわしにされ、

 ある教会に拾われたのです。



 幼い頃から厄介者扱いされてきた二人に、

 きちんとした教育を受けさせる者などなく、

 道徳心や良心に恥じない行いがどういうものかを理解できなかった二人は、

 欲しいものがあると、人のものだろうとおかまいなしに手に入れ、

 自分にないものを人が持っていると、

 人のものがうらやましく思えて、嫉妬心もあり、

 平気で横取りしてしまうところがありました。



 二人が拾われることとなった教会は、怒りの神を信仰しており、

 怒りの神の逆鱗に触れるようなことをする人は、

 生きている資格がないと見なされ、

 理由も聞かず、拷問か或いは即、死が待ち受けていました。



 もちろん、二人の子供達が虐待を受けることも日常茶飯事でしたが、

 人をいたぶり、恐怖が支配するような世界が嫌だったわけではなく、

 自分達孤児を受け入れてくれた場所を、

 自分達が帰る場所はここしかないと思い、

 もう二度と人から拒絶され、捨てられ、たらい回しにされたくなかった二人は

 異端の世界を受け入れていました。




 拷問や死刑の現場を見て、時として手伝うことのあった孤児は今、

 良心の呵責や罪の意識にようやく目覚め、

 自分のしてきたことを懺悔し、謝罪し、改心すると強く心に誓い、

 実践しています。




 もう一度生き直す機会を父から与えられ、

 ある意味生まれ変わったイエスは、

 そういう罪深い孤児も、

 自分や弟子達を偶像として崇める教団も見捨てることなく、

 その手を広げ、優しいまなざしを投げかけながら、

 罪に目覚める日を今もなお神殿で待ち続けています。


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