見えてきた自分の姿
昨晩、頭痛、胃のあたりが気持ち悪くなりました。前歯の付け根あたりにも2~3日前から変な違和感がありました。膝の痛みから足の付け根に違和感がありました。体の変調がありましたが、1つ1つの事には気づいても、その事が何から来るのかまで考えずにいました。昨晩の症状から風邪だと思い、薬を飲みました。体に変調をきたすまで気づかずにいました。1つ1つ自分の身に起きた事を考えて、何か問題点がないのかを振り返る、一呼吸置いて、ゆっくり考え行動する事が必要でした。 今朝のNHKのドラマを見て思った事がありました。現実から逃げている、目をそむけている主人公の父母の様子を見て、自分では気づかずにいても、客観的に見ると解 り、ここで逃げてはだめだと思いました。現実から目をそむけ、逃げていては何も変わらない、逃げるから苦しくなり、逃げている事を隠そうとして苦しくなり、又逃げる。自分が辛い、逃げたい、隠したいと言う今の現実を認め、目をそむけずに、隠さずに、自分が変わる事が必要だと思いました。 私の中にある権力に依存していたと言う現実、事実として認めます。私はその世界から足を洗いました。もう戻りません。頑張る事も欲だと教えていただいたので、頑張るとは書きません。自分自身と向き合い、過去の自分に戻らず、神様からのメッセージを受け取る心を持てるように過ごします。 K子 ;「権力、地位、財産に限らず、人間は欲が出てくると欲に目がくらんで視界が悪くなり、周りがよく見えず、正しい判断ができなくなります。Luciferさん」 私は権力、地位と言う欲に目がくらみ、手放し、もう自分の手中にはないと解っているのに、未練を感じ、過去の栄光を懐かしみ自ら右の世界に移動したと思いました。自分の居場所を変えてしまいました。右の世界に移動し事に気づかず、皆さんと同じ様に左側の世界を目指そうとしていました。どちらにもよい顔をする欲張りな私がいました。欲を出してる事を義母が相手となり、教えてもらっているのに、欲に目がくらみ視界が悪く、よく見えないまま、正しい判断が出来ずに、義母を責めて、自分は正しいと上から目線でい ました。自分を振り返る事をせずにいました。Luciferさんからのお叱り、体調の変化をきたすまで気づけずにいました。申し訳ありませんでした。 K子 妹のメールを読んで気づいたことがありました。先週、叔母が入所している山沿いの施設に従妹と3人で行きました。当日は雪の降るあいにくの天気でした。朝、妹から電話があり、施設に行く時従妹から車を出してほしいと頼まれたそうですが、雪の状態を考えると心配なので、もしかして行けないか、引き返すかもしれないと言っていました。私は自分の車は軽四ですが、購入する時に主人が心配し四輪駆動の車にしていました。今までも雪の山道を走る事がありましたが、四輪駆動のおかげで多少すべる事はありましたが、上がれないとか、心配する事なく運転していました。又、仕事をしていた時には山の方にある短大まで2月の雪の多い時に毎年行っていたの で、私の中には運転をする心配はありませんでした。後で妹と話していて、私が車を運転する事に何の心配(ためらい)もしていない事にひっかかっていました。私はなんの問題もないと思い、妹ガ雪道を心配する気持ちを理解出来ず、私の車は四輪駆動、今までも何度も雪道を山の方に走る事があったけど大丈夫だったと言う気持ちがありました。 妹のメールに書かれていた「ずっと今まで自分がどうにかしてきた(中略)、自分でどうにかしてきたと自慢しました。自分が言ったことの重大さを解っていませんでした。」「神様、私は「自分でどうにかしてきた」と言葉にし、そう思ってきました。それが驕りだと気づかせて頂いても、そのことをきちんと認め謝罪してきません でした。神様を踏みつけにしてきました。何度も何度も踏みつけにしてきました。神様、本当に申し訳ありません。」 と言う文章が目に留まりました。妹が引っかかっていた事はこの事だ、私は今まで山の方へ走る事は毎年していていた、「ずっと今まで自分でどうにかしてきた」と思い、その事に対してなんの疑問も持たず、その気持ちが驕りの気持ちである事には全く気づかずにいました。毎年2月の雪の時期に山道に車を走らせる事が出来ると自慢し、私は大丈夫と驕り、妹が疑問に思い問いかける言葉に耳をかさず、自分にどうにか出来てきたと思っていました。 私は方向音痴です。自分が通っていた短大に行き、帰る時に雪で分からなくなり右に行く道を間 違えて左の墓地のある山道に行き、雪の中で方向が分からなくなった事もありました。別の年には同じ様に道を間違え正面に見えた建物は実践倫理の建物でした。それでもどうにかなっていたので、自分でどうにかしてきた、どうにか出来てきたと思っていました。神様が助けてくださっていたのに、自分の力でどうにかしてきたと思っていました。 こんな風に思う自分の気持ちが「自分の力」と言う言葉になって出てきたんだと、初めて解りました。自慢し、驕る、傲慢な態度でいました。自分の言った言葉の重大さを解ろうともせずに過ごして来ました。「自分の力」と言う言葉が無意識に自分の今の心を現していました。自分は以前と違うと甘え、まだまだ右の世界に未練を持っている事を 隠していました。今も自分(の力)でどうにかしようと動いているんだと思いました。神様に助けて頂いただいたにもかかわらず、自分の力だと驕る私がいました。感謝し謙虚になる気持ちを忘れていました。神様、今まで助けて頂いてありがとうございます。そして、自分の力だと驕る私がいた事を認め、謝罪させてください。本当に申し訳ありませんでした。 K子Y美ちゃん、誤字を教えてくれてありがとうございます。もう一度自分でも読んでみました。まだ一箇所ありました。訂正させてください。 妹が引っかかっていた事はこの事だ、私は今まで山の方へ走る事は毎年していていた→毎年していた です。文字が多くなっていました。誤字、脱字、文字が多くなっている事はまだまだ注意深く、いつも心に留めておかなくてはいけない一呼吸置いて、行動する事が必要だと注意を促していると思いました。私は今まで なんでも一番と思う気持ちがあったために、気づいても一番に伝える事をためらう気持ちがあります。事実を事実として上から目線でなく伝える、愛を持って伝えれば、気づいた時が一番であっても伝えていいのだと思いまいた。今までの私は自分を可愛がり、伝える事に躊躇し、自分に愛のない事を隠し、上から目線でいる私を隠し振舞っていたと思いました。きちんと気づいた事を伝えさせてください。私の言葉の中に傲慢な態度が見えた時は教えてください。お願いします。 今、買い物から帰りましたが、928と128に5.3.0の数字が付いた数字を沢山見ました。 K子N子さんお返事が遅くなり申し訳ありませんでした。「「Luciferさんが何度も言ってくださっているのに!」という呆れる気持ちがありました。」とありましたが、当然だと思います。何度も同じ事を繰り返し、反省しても又戻る私がいた事は事実です。 N子さんや妹が気づいてくださった事に対してメールを読んでそのままでいるいい加減な私がいました。そんなに細かい事いちいち言わなくてもと言う気持ちがあったと思います。本来であれば、教えていただかなくても自分で気づき、又間違えのない丁寧な文章を書く事をしなくてはいけないんだと思いました。前のメールに教えてくださいと書きましたが、甘えでした。申し訳ありませんでした。 K子