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聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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2011.11.11
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ブログを読みました。
劣等感からダメダメだらけになっていた事に気付かせて頂きました。


この前、義母から「任せるね」と言ってもらえた事は、嬉しかったのですが、その反面「~しなければ」とプレッシャーを感じていました。それも、一緒に暮らすまでにもっとこうした方がいいとか、もっとできるようにならなければと自分で「制限」を作り、できない事に焦っていました。
何かあっても全て自分の責任=できないのは自分が悪いと思ってしまっていました。できるようになりたいと欲を出し、できないから焦り、自分が悪い、引っ越しまでにと思えば思う程、早く直さなくてはと焦り、悪循環になっていました。


一緒になったら「任せる」と言われた時に「これから何もしなくていいから楽になるわ。あんたに言われた事だけするわ」と言われ、私は勝手にさせてはいけないと思ってしまったんです。(幻を見ていました)
義母は、「あれができなくなった、これもできなくなった」と、年と共にできなくなっている事を話してくれていました。私は、義母のできなくなった事ばかりに気を取られ、私がしなければと思ってしまいました。
確かに、力を使う事はできなくなっています。でも、台所に立つ事や、編み物や、他にも沢山の事をしてくれています。私が、義母の家の事を片付けると、義母は、夕飯のおかずを一品作ってくれたりします。


主人は、「おふくろが、しないと言ってもしないわけがないだろ」と言っていました。その言葉を聞いても自分でしなければと勝手に思っていました。主人に従いませんでした。


義母の送り迎えも、いつも私に頼んでくれている事を「お父さん(義父)に頼んだからいいわ」と言われると、私が何か気に触る事をしたんだろうか、私が悪いからと勝手に不安になっていました。でも、先日解った事は、私が大変だからと義父が自分から送り迎えをすると言ってくれていた事が解りました。
同居する事を一番楽しみにしてくれているのも義父ですが、姑と嫁の関係を一番心配しているのも義父です。後々もめないように細かな事も決めておいた方がいいと言っています。私は、自分ができていないからと、ここでも勝手に思っていました。幻を見ていました。だから、余計にできない自分が悪い、悪い所は直さなくてはいけない、あれもこれもできるようにならなければと欲を出し焦っていました。


完全に許容量を超えていました。


先日、義父母と話し声が聞こえてきました。(義父母は声が大きいんです)義父は、義母に「おまえが余計な事を言わなければうまくいく」と言っていたんです。義父は、義母が一言多い事を心配しているだけで、私の事を言っている訳ではなかったのに、ここでも私に悪い所があるから不満に思っている事があるんじゃないかと勝手に思っていました。(もちそん、直したい所はあります)


最近、義母が義父に従っている様子がよく解るんです。義父も、義母が無理して動こうとすると「おまえには無理だからやめておけ」と、義母の事をよく解っているんです。義母も、いつも「お父さん(義父)がこう言っている」からと、義父の言う事に納得できなくてもちゃんと従っているんです。
それが、すごくよく解るんです。「すごい!」と思う事がよくあるんです。お手本にしたいと思いました。
今まで、悪い所ばかりに目がいき、義父母に不満を持っていた事がすごく申し訳く思いました。
だから余計に、一緒に暮らすまでにできない事も、今は無理しないとできない事も、無理なくできるようになりたいと思ってしまいました。
許容量を超えている事すら解っていませんでした。


michaelさんが、何度か忠告してくれていた事も、きちんと立ち止まって自分を振り返る事をしていませんでした。
きちんと聞いていなくてごめんなさい。
以前、子供たちに「注意しているうちに聞かないから、怒られるんだよ」と言っていましたが、まさしく自分の事だと思いました。


許容量を超えているのに、自分が悪いと自分でなんとかしようとしてしまっていました。


昨日,娘の会社の感謝祭があり、義母と出掛けました。いつもなら、お昼を食べても私が払っていましたが、昨日は、「いつもありがとう。今日はごちそうするね。手伝うよ」と義母が言ってくれました。はっとしました。
義母に「任せる」と言われた事や、できなくなってきている事を聞かされている事から、私は、自分で何でもできるようにならなければと思っていたんだと気がつきました。義母は、できなくなってきている事を教えてくれていたんです。できる事は沢山あるのに、できない事ばかりを見ていた自分に気がつきました。
義母は、解ってくれていると感じました。緊張がとれたように感じました。こんなに緊張していたんだと思いました。


義母に、遠慮しないで甘えよう、頼らせてもらおうと思っていたのに、いつの間にか自分でなんとかしようとしていたんです。甘える事はだめと勝手に思っていたんです。甘えが出る自分を直したいと思う事が、全ての甘えがダメと思ってしまっていました。甘える自分を嫌っていました。(もちろん甘え過ぎはいけないのですが)


義母も年と共に同じ話しを何度もしたり、一度話し始めると1時間以上話したりする事が増えてきています。それが、いつやって来るか解らず、朝の忙しい時等は、負担に思う事もあり、でも、余裕のない自分が悪いのだと思ってしまいました。特に、したい事ができなかった時は、自分の責任との思いから自分が悪いからと思ってしまいました。
ダメダメだらけの自分になっていました。


だから、姉に怒ってしまった時も、怒ってしまった自分に落ち込み、まだまだダメだと思ってしまいました。


ブログを読んで、「劣等感」からダメダメになっていた事に気づきました。


今日も朝から何度も義母は来ました。その度にしばらく話していくのですが、今日は予定を立てず、1つ終わらせ次に気がついた事を1つ1つしていくと、予定を立てて動いている時よりも色々な事ができました。
義母が話し始めても「手を止めてしまってごめんごめん」と戻って行きます。すぐに来たりするのですが、その度に、話し「ごめんごめん」と戻って行きました。思い方で状況が変わるんだと思いました。
前にも、同じように思った事があり、こうすれば焦らなくていいんだと思ったはずなのに、いつの間にか戻っていました。周りが見えなくなっていたので、差し伸べてくれていた手も見えなかったです。


「身を任せる」事、もう一度学びます。


自分の許容量が超えそうなとき、手伝って下さいと、素直に言えるように、もっともっと義母の事を信頼します。


引っ越しが近づくにつれ焦り、ダメダメにならないように気をつけます。 Y美江









 はい、よろしい!(笑)michael





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Last updated  2011.11.11 17:07:25



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