618039 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

熾天使4444

熾天使4444

Freepage List

Recent Posts

Archives

2024.04
2024.03
2024.02
2024.01
2023.12

Calendar

2013.01.11
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 5行スペースが空いています。Lucifer & seraphim




私は、ずっと自分のことをだめだと思ってきました。自分のことをだめだと思わないようにしよう、神様が作って下さった自分をだめだと思うことは、神様をないがしろにしていることになるということを頭では理解していましたが、気持ちが付いていかず、自分をだめだと思う気持ちがなくなりませんでした。そんな自分が嫌で、嫌いでした。




怒る自分、意地悪な自分、幼稚な自分、我が儘な自分、自分勝手な自分、偉そうな自分等、どれもこれも嫌い、だめだと思ってきました。




義母とのことでは、腹が立つこともあり、腹を立てる自分が嫌い、腹を立てることがだめだと思ってきました。

義母から意地悪が見えれば、自分が意地悪、意地悪な自分がだめだと思ってきました。もちろん、意地悪はいいことではありません。









 一箇所詰めました。Lucifer & seraphim









でも、意地悪をされれば腹が立つこともある、不愉快な気持ちになるのは当たり前なのだと思いました。意地悪が見え、その意地悪を責めるから、責める自分をまただめだと自分を責めてしまう、直さなければいけないとなんとかしようとしてしまうのだと思いました。もちろん、そうなのですが、自分がだめだと思うから、義母から意地悪が見えるとだめだと思い義母を責めたくなるのだと思いました。




意地悪な義母が見えれば、自分の姿だと思い振り返らなければいけないのですが、そんなこと(意地悪)をしたら、不愉快な思いをすることを伝えればいいだけなのだと思いました。伝える勇気がない自分に問題があるのだと思いました。









 一箇所詰めました。Lucifer & seraphim









私は「節電」したいと、使わないコンセントを抜いたり、電気をこまめに消したりします。これは、私のやり方ですが、義母からすれば「そのくらいたいしたことがない」と言っていました。義母の部屋の電気、エアコンはいつも付けっ放しです。私は、義母の電気の使い方をもったいないと責める気持ちがありました。

最近、義母は、リビングのエアコンや電気、洗面所、トイレ等の電気はこまめに消してくれます。今朝も、朝食を食べる時、義父の部屋の電気がついていたので消していました。ただ、義母の部屋の電気はついていましたが、、、この事を責めるのではなく、義母が他の部屋の電気を消すことに気づいてくれ協力してくれて いるように、いずれ義母の部屋の電気も、部屋にいない時には消してもらえるようになることを待てばいいのだと思いました。義母が気づいて消してくれたことに「ありがとう」と感謝を伝えていけばいいのだと思いました。




人から責められたと感じると責められないようにするだけ、自分で気づいてもらえるようにする、気づいてくれたことには感謝を口に出す(認める)ことが大事なのだと思いました。




ここまでメールを書き、「節電」と書きましたが、節電と言いながらケチを思われていないだろうかと言う気持ちが自分の中にあったのだと思いました。自分の中にケチをいう気持ちがあるから、節電することに自信を持てないのだと思いました。

父のことをケチ と思ってきた、義母が見せてくれて「これくらいたいしたことがない」と思ってきたのは自分自身なのだと思いました。

父が見せてくれたのは、ケチではなく節約です。

ケチで節電しているのか、皆に我慢をさせているのではないかと考えていました。自信を持っては言えないのですが、主人も子供たちも我慢はしていないと感じています。昨日、義父から「お正月もあり、今月は電気代が高くなるんじゃないか?」と聞かれ、私は「心配してくれてありがとう。今年の冬は寒いので我慢しないでエアコン付けてね」と言うと、義父は「我慢はしてないな」と言いました。




自分にもっと自信を持ち、節電に協力してくれている義母の姿を認め、一緒に頑張ります。




自分がまだまだ甘いことを自覚します。気持ちがついていかないということが甘えです。自分の気持ちに責任を持ちます。

主人に従い、「我欲」を手放せるように自分自身と向き合います。




まだまだ、神様から離れている自分、一度離れるとなかなか距離が縮められないのだと思い、離れないように気をつけ、自分自身と向き合います。

Y美江
























;









 ↑のマークの後、7行スペースが空いていました。

 自分がされて嫌だなあと思うことは、相手の気持ちを深く理解し、同意すると消えてなくなります。原理は前回書いた幻を消す方法と同じです。相手を変えようとか、相手に変わって欲しいと思うのではなく、自分が相手を深く理解し、相手の気持ちを深く汲み取るのです。そうすれば、相手は自分の嫌がることをしなくなります。つまり、気が済んだからです。もう一度書きますが、人間の気持ちを深く理解し、汲み取ることは、神の愛を深く理解し、汲み取ることにつながります。なぜなら、人間は神の愛によってつくられ、神の愛によって生かされているからです。人間の気持ちを深く理解し、汲み取ることが出来ないということは、神の愛も深く理解しておらず、汲み取ることも出来ていないということです。Lucifer & seraphim





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.01.11 14:36:15



© Rakuten Group, Inc.