|
カテゴリ:カテゴリ未分類
女性の人権と言うことから女性司祭按手を行った日本聖公会が、日本聖公会京都教区で起こった、女子児童への性的虐待事件では、まったく女性の人権を無視しています。原田文雄司祭が未だに、あの提訴した女性に関しては「否認している」とおっしゃっていますが、日本聖公会京都教区はどうなのですか?依然と同じように「事実無根」と考えていらっしゃるのですか?もしそうでないならば、何故、高地主教をはじめ常置委員会は原田文雄司祭に対して、積極的に働きかけないのですか?他の人々に関しては事実を認め、「謝罪文」まで認めていらっしゃるのですよね。にもかかわらず、提訴した女性に関してだけは、まったく否認しているということはおかしいと何故お考えにならないのですか?「時間をかけて」ということは理由になりません。既に長い間、あの被害者の方はPTSDに苦しみ続けていらっしゃるのです。 日本聖公会京都教区の主教と常置委員会は何を考えていらっしゃるのですか?私たち外部の者にはまったく理解できないことをしていらっしゃいます。しかも、誰が読んでも事件を隠蔽しようとしているとしか思えないような文書を配布し、しかも、被害者のご家族が見たこともない文書を、「被害者の関係者」が了解しているとはっきり書かれた上でその文書を配布されていますよね。どういうことなのでしょうか。本当に、誠実にこの問題に対処するおつもりがあるのでしょうか。日本聖公会京都教区の信徒の方々は、主教や常置委員会以外の方々の意見に耳を傾けて下さい。特に信者さんの意見を大切にして下さい。それは。教会委員をされている信者さんだけではなく、多くの信者さんの声に耳を傾けて下さい。 でなければ、ここまで問題が深刻化してきたら、教会は本当に音を立てて崩れてしまいます。こう記すと「『糾す会』や他の連中が騒ぎ立てるから、治まるもののも治まらないのだ」とお答えになるかもしれませんね。しかし、そうおっしゃっているようでは、この問題は深刻さを深めるばかりですし、主教や常置委員の悪意が露見してしまいます。いやもう、露見どころか、完璧に全部見えてしまっているかもしれません。「糾す会」の一斉メールにも、他のブログにも書かれていない情報が既にかなり集まってきています。特に「糾す会」には様々な情報が送られてきているようです。私や私の知人や風来坊さんにも、それぞれ独自の情報が入ってきています。悪いことは隠しきれるものではありません。京都教区の聖職者の方々は何故そのことにお気付きにならないのでしょうか。 最高裁判所の上告棄却によって、高裁の判決が確定しました。そして、高裁は被告=加害者の反論をすべて退けています。それだけではありません。既にいくつかのブログでも問題にしていますが、原告の控訴理由書に対する反論の中で、キリスト教会として容認できない発言があります。これに関してはもう、日本聖公会京都教区はお調べになられていると思いますが、如何お考えなのでしょうか。何故これを問題にしないのでしょうか。これを放置したら、日本聖公会京都教区は将来にわたって、あらゆる社会問題に発言できなくなります。そして、万が一、あの反論の中にある重大な問題性のある文言に気が付かなければ、少なくとも日本聖公会京都教区は、自らの神学的破綻を公言したのも同じことになってしまいます。 そして、気が付いていらっしゃるにも関わらず、問題を無視しているのだとしたら、それは明らかに被害者に対する二次的加害になるように思えます。そうしたことを避けるために、ここにあのメモを公開しようかと思いましたが、知人の鞍馬天狗さんが「中学生や高校生のお孫さんに頼んで読んでいらっしゃる方がいたら、中学生や高校生が読むことになってしまうから、ブログには書かない方がいいと思います」というメールをくれました。確かにそうです。熱心に教会に通っている中学生や高校生にこれを見せることは適当ではないと思います。私は、毎日の仕事が忙しくて、裁判記録を読みに行けそうにありません。鞍馬天狗さんが再度、裁判記録を読みに行く時には、あの文書の全文をメモしてきてもらうことにしています。高等裁判所の裁判記録乙第18号証です。是非、皆さまもご一読下さい。あるいは、お読みになられたかたから、お話をお伺いして下さい。 クリスチャンとしては勿論のこと、人間としてこのような反論が許されるかどうかということをお考えいただきたいのです。前述の理由からだけではなく、まだ未成年の方にこのことをお話しもしたくないので、ここにも書くことはしませんし、メールでお問い合わせ下さいましても、そのメールは無視させていただきます。ご自身のプロバイダのメールアドレスであっても、ガードが掛けてなければ他人が使うことも可能です。もしかすると日本聖公会京都教区の司祭さん達はご存じかもしれません。どなたかが裁判記録を読みに行っていらっしゃるかもしれません。しかし、司祭さんが読まれても、相当ショックが大きいかと思います。私もはじめは自分の目を疑いました。そして、様々な情報を併せて考えると、何故あのような文言が記されたのかも見えてきました。しかし、それもあってはならないことです。司祭だからではありません。誰にとってもしてはならないことです。 そもそもこの事件は、司祭だから問題になることではありません。司祭であろうがなかろうが、これは重大な問題発言なのです。高裁の裁判記録にある乙第18号証を書いたのは、原田文雄司祭夫人です。しかし、この内容を原田文雄司祭が知らなかったとは考えられません。被告として、これを読む義務があるのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.17 22:07:21
|