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2020年02月18日
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カテゴリ:ご当地グルメ



下呂市や郡上市を中心とする郷土料理から、県を代表する特産品にまで成長した鶏料理「鶏ちゃん」。たれに漬け込んだ一口大の鶏肉を野菜と一緒に炒めたシンプルな料理だが、人気は全国に広がりつつある。その起源や愛される理由を探ってみた。

 鶏ちゃんPRのため、八年前に設立された団体「鶏ちゃん合衆国」。大統領の長尾伴文さん(64)=下呂市金山町=に起源を尋ねると、「実はさまざまな説がある」と苦笑いを浮かべた。

 一番古いのは、郡上市高鷲町の高鷲食品の前身となる食堂で一九五〇年代前半に提供していたという説。同社の下條好信さん(72)は「義母が経営する食堂で出していたと聞いたことがあるが、鶏ちゃんという名前だったか分からない」と話す。ただ、義母は亡くなっており、記録も残っていない。そこで、隣に住む上村康隆さん(91)に尋ねると「当時は『とんちゃん』の名前だったはず。いつからか鶏ちゃんになった」と返ってきた。

 鶏ちゃん文化が盛んな郡上市を拠点とする「めいほう鶏ちゃん研究会」の会長、小池弘さん(72)は「朝鮮半島から来た労働者が、戦後に食べていた鶏料理が発祥では」とみている。「昔は『もつ』と呼ばれていた。鶏ちゃんは後からだった」と記憶をさかのぼる。

 一方、下呂市萩原町にある精肉店「天狗(てんぐ)」の創業者の妻、戸谷道子さん(85)は名付け親を自任する。五九年にみそ、しょうゆなどのたれに漬け込んだ鶏肉を「鶏ちゃん」と呼び始めた。「自分の愛称がみっちゃん。そう呼ばれるとうれしかったので、鶏肉料理にも『ちゃん』を付けたら親しみやすいと思って」と語る。

 別の名付け親も浮上した。鶏ちゃんの冷凍パックを同市馬瀬で生産する村山チキンセンターの創業者の妻、村山百合子さん(86)は「養鶏業をしていた夫の仲間で、中国にいたことのある男性が六十年ほど前に名付けた」と証言する。

 こうした諸説を踏まえ、合衆国の長尾さんは鶏ちゃんの誕生時期を「一九五〇年代後半とみていいのでは」と推測。「ほぼ同じ年代に、同じ名前が付くという、同時多発的な現象が起きた」と不思議がる。

誕生から六十数年を経て、鶏ちゃんは今や、郷土料理の枠を超え、県を代表する郷土料理になった。めいほう鶏ちゃん研究会はこれまで、各地で開催されたご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」に八回出場。小池さんは「全国に名前を広めてきた」と自負する。合衆国もガイドブックの作成や、ツアーの開催などで盛り上げてきた。

 下呂市萩原町の萩原チキンセンターは、年間百四十万個の家庭用パック詰めを青森県から九州の食品スーパーに納める最大手。社長の日下部譲さん(52)は「地域の歴史、文化に根差した料理として認められてきたのでは」と自信を深める。

 六〇年ごろに鶏ちゃんの提供を始めた下呂市御厩野(みまやの)の「まるはち食堂」は、初代の故伊藤いちのさんが開発した味を守り、家族で切り盛りする。定食を頼むと、ジンギスカン鍋に特殊なペーパーが敷かれ、その上に、たれに漬け込んだ鶏肉とキャベツが山盛りだ。

 常連客が考えたおいしい食べ方に従い、ひたすら混ぜ合わせると、鶏肉も最後まで軟らかいままいただけた。三代目の伊藤みどりさん(55)によると、鶏ちゃんファンは北海道から九州までいる。「初代の味をアレンジしない。このまま守っていきたい」と笑顔を見せた。

 合衆国の長尾さんは「一見、シンプルな料理だが、出す店ごとに独自のたれにこだわっている。研究熱心な姿勢がないと、長くは続けられない」と話す。提供する人と、地域の人が一緒に育ててきた鶏ちゃん。起源は特定できなかったが、愛される理由は分かった。

 (吉田幸雄)









 






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最終更新日  2020年02月18日 08時35分34秒
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