カテゴリ:モデル系
朝方の雨が降っていた。美樹は、ベランダの窓を閉めて、空調を入れた。キッチンから飲物をもってきて、ベットにすわり、低い位置からの部屋を眺めた。
外付けの階段から、雨音が部屋に入り込んでくる。ベランダを吹き込んだ雨が、窓ガラスに水滴をつくっている。雲の流れが速く見えた。週末に聞いた長期予報によると、長引いた雨がちの季節のあげくの冷夏が、始まりかけている。シャワーを、うっとうしく感じる。キッチンのテーブルに、卵料理の皿があった。ネクタイして、卵を焼いている男の、オフィスと同じ後ろ姿を、思い浮かべた。 彼は出かける前に、上着をきて、寝室のようすを見にきた。眠ったふりでいると、しばらくしていなくなった。 ながくなるとは、考えていなかった。これまでだと、何度か思った。そんな風に続いていくのは妥協と、思っていた。そして妥協した。ただ変わって行くのを、眺めていたい気がした。理由は分からなかった。 絨毯にパジャマを脱ぎ捨てた。シャワーをあけて、朝食のしたくをしてから、下着を脱いだ。足でペダルを踏むと、上面の蓋の部分が開くカートンボックスに、その下着を抛りなげて、バスルームに入った。 後ろ手にドアを閉め、鏡を少し眺めてから、歯ブラシを口にくわえて、バスタブに入った。膝まで水位が上がっている。水に打たれる姿勢のまま、歯を磨いた。時々白い歯磨きが、一瞬、胸に落ちたが、すぐに洗い流されて、覚醒していない視野に、それは残像のように残っていた。 水をマグカップに受けて、口をすすぎシャワーを止めたあとに、バスタブに沈み込む姿勢で髪を洗った。液体石鹸で体をブラシして、もう一度シャワーを開け、洗い流した。 バスルームが静かになる。手をのばして、濡れた躰のままバスローブを身に着けた。競技の後の運動選手..のように、タオルを肩に掛けて、それは彼に禁止されていた。二人だけで会った日、美樹がタバコを出したとき、あいにくライターはもっていないんだ、と言った。 彼は幾つか忠告を美樹に与えていたが、喫煙に関しては、何も言わなかった。彼は習慣に長けているタイプだった。女の部屋に外泊するていどの落度しか、彼にはなかった。 水を滴らせて歩いた後を消すために空調を強にして、テープレコーダーをまわした。彼好みのオーケストラが流れだした。 バスローブのまま、レンジから皿を取り出し、コーヒーをカップに空け、皿にトーストを移して、テーブルにアプリコットのジャムとケチャップを並べた。そして禁止されているフォークだけの食事にとりかかった。 手にしたスプーンから、スラックスに紅茶の滴が落ちた。 美樹はKに暮らしていた。去年の夏に会った時、転居先の住所が、判りしだい知らせるといって別れた。二ヶ月後に転居したが、忙しさに紛れ連絡もせず、仕事でKを訪れる事もなかった。 夏祭りが近づいた、七月の終りに、空いてないと思いながら、気紛れにホテルに電話をすると、空室があった。少し迷った後で予約した。美樹は申し出に抗わなかった。抗わない理由が、気になった。それを語れないなら、立ち入らないほうがいいと考えた。応じられない申し出は、待つ気配を匂わせた。 数日後、旅行の準備を終えて、玄関に小さなトランクを運んだ。そして部屋に引き返すと、デスクにすわり、タバコを吸った。約束は、すべて旅先から断わりを入れるつもりでいた。ソファに横になり、受話器のコードをひっぱって、ビールのグラスを手に、もうしわけをしている、その様子を思い浮かべた。 出る直前に、旅行を止める気になった。背広をベッドの上に投げ、ネクタイを力任せに引き外しながら、バスタブに湯を注いだ。長い時間、バスタブの中で目を閉じていた。 深い蒸気の中で、握り締めた受話器に、冷たい滴が、幾つも滲んでいる。遮閉された狭い空間に、若い女の声が、入り込んできた。否応なしに、それは、話すことを強いた。恭子の声は、部屋に招き入れられ、まちがいなく、恭子以外の女を抱いているのを、見届けるのだろう。部屋にいるときは、女を抱いているか、原稿を編んでいるかしかないと、恭子達は考えていた。たしかに、恭子達がこの部屋にいるとき、抱くか、デスクに向かっているかの、いずれかだったけれども。 「旅行にでるところだったんだ」 「誰と」 「一緒に行くのでなく、会いにいくんだ」 「女を連れてあいにいくのでしよう」 「そんなに熱くないよ、昔ね、愛してた女の今のステディが口あんぐりするところが見たくてね。いま愛し合っているより、昔愛し合っていたという、いわゆる、ほら大人達が困った時良くいうだろ、世の中は甘くないって」 「へえ、でも私、いま欲しいの、言って、もし今誰かがいるなら」 「ひとりだよ」 「いま、近くなの、私もシャワー浴びたいな、ね、いいでしょう、旅行に連れていってって言わないから」 「シャワーなら貴之のを借りたら。それとも、塞がってて私にきたのかな」 「ひどいのね、昔は回るのまっていたくせに。だからあなたって、いわずもがなの多いひとなのよ、だからね、不用意なこと話せないのよ」 「いわずもがな」 「そう、自分で良く分かってらっしゃるでしょう。だからつかれるの」 「それはひどい言い方だね」 「そしてあなたは私にステディができればいいと思っている」 「どうして」 「捨てる必要がなくなるからよ」 「これ以上話さないほうがいいね」 「そう」 「ではまた」 電話を切る。西に向いたバスルームは、夕闇が始まりかけていた。貴之は眠りに奔ばれていた。そのために疲労を必要とした。眠りが必要な夜更けには、女を抱いた。ようやく夜明けまでに、浅い眠りに入る。 それでも覚醒した暗がりで、隣に眠り続ける女を、眠ったまま、神経が鎮まるまで求めた。女を疲れさせ恭子より浅い眠りを貪った。厚手のカーテンの向こうの気配の、遠く走る車の音の刺す感じに抗って、薄い意識を眠り続けようと試みる。不調をこの眠りのせいにできた。 台所に行き、冷えたカン詰めのトマトジュースに、穴をあける時、エアの抜ける音を聞く。グラスに注ぎ、赤い握手の抱丁で、レモンを輪切る。グラスに斜めに入れたレモンはトマトに紛れて見えなくなる。少し迷ってから、流し台の下の扉を開け、ウオッカをだしてそそぎ、氷の音をたてながら、寝室に戻る。 女は、規則的な吐息を、繰り返している。 深夜に、外に出ると、アスファルトがぬれて、信号の色を歩道に映いている。 窓辺のベットで、不意に男が起き、窓をあけて言った。 「雨だ」 むしあつい外気がはいりこんでくる。 「すこしは涼しくなるかな」 「出掛けない人がどうして天気の心配するの」 話が妙な方向にむかうのは避けたいと思った。 強く降り出した雨音で、眠りが浅くなったころ、夢を見た。貴之が久しぶりに、実家に突然帰ると、既に夜になっていた。父母は、意外な顔の喜んだ様子だった。 父が応接室のドアを指で示して、貴之はその部屋に入った。洋室特有のひんやりとした空気を感じた。庭に面した壁に沿って、ソファーがいくつか並べてある、その奥まったところに、欝向いて美樹は浅く座っていた。人の気配にふと顔を上げ、貴之を見いだして、不思議そうな表情をした。ゆっくりと美樹の方に歩み寄った。 貴之に向かって、両手を支しのべて、強く抱いた。 「僕の帰るのを、君は知っていたの」 「いいえ」 「偶然なの」 「はい、お母様に、会いに来たのです」 「あの駐車場の車は、君の」 「そうです」 「母と何を話したのかい」 「はい、あなたが、」 「ぼくが」 時計は四時だった。夜明け前の、まだ暗いベランダの籐椅子に、外を眺めた。暗がりは一瞬で目を離すと、朝になってしまう。こらすようにして、タバコを吸った。小さなテーブルに乗せた灰皿に、麻美の吸殻が、一本長い影を引いていた。貴之がシャワーを浴びている時間、麻美はここに来て、タバコを吸って風景を見ていたのだろう。明けかけた白い空気のなかで、フィルターの口紅の色が、彩やかさを増しはじめた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 5, 2005 10:19:54 AM
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