TESTAMENTO

2018/12/19(水)10:11

Θブラックボックス社会に生きる

考えたこと(242)

その仕組みや原理が判らなくても、便利に使いこなせるハードやソフトに囲まれて生きている。  生まれた時からそのブラックボックスを上手に使いこなすことで育った世代が主流となる時代が来ている。  真空管とブラウン管に灯りをともしていたテレビはもう博物館に飾られている。  ボンネットを開けて点火プラグをいじっていた自動車は骨董品扱いされている。  何も知らなくてもスイッチを入れれば、立派に役に立つ。  マニュアルさえ読まなくてもちょっと慣れれば、すぐに使いこなせるようになる。  携帯電話がスマホになり、インターネットに常時つながったコンピューターを一人一台持ち歩くことが当たり前になっている。  アプリはほぼ無料で好きなものをインストール出来るし、バージョンアップも自動的に行われるように成りつつある。  充電さえしておけば不自由なくネットワーク社会の一員として参加していられる。  その構造も電波とのつながりも情報の流れも、何も知らなくても便利に使いこなせてゆける。  中国製スマホが勝手に情報を流す仕組みになっていることは数年前から疑われていたが、その価格の安さから特に忌避されることも無く利用されている。  ネットワーク上に流される情報は、自動収集システムにより巨大企業や諜報機関にストックされるということもネット社会の創成期から言われてきた。  ハードにしてもソフトにしてもブラックボックス化したモノを通じて世界とつながり、それを使って生きて行く時代になっている。  社会のルールにしても生き方にしても、与えられたブラックボックスの中身をチェックすることも無く、上手く対応して行くことが賢い処世術になっている。  何が正常で何が異常であるかという判断も出来なくなりつつあるのではなかろうか。  与えられたブラックボックスの評価は役に立つかどうかであり、いつのまにか内容がバージョンアップと称して変わっていてもその異常に気付くこともないかもしれない。  巨大複雑な社会システムの中で何を規範として生きて行けばいいのだろうか。  かつて「祈り」は世の中全体の流れる方向を定めてきたと言われているが、いま何を「祈る」のだろうか。  「祈り」さえもブラックボックス化されて、明日への光を失ってしまうことの無いように願いたいものである。

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