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2010.08.19
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カテゴリ:カテゴリ未分類

このページは、『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ』に関する情報をまとめた、ブログ・サイトです。

長帯・区切り

言い訳:

不本意ですが、人前に出せるレベルのブログ・サイトを作る時間がありませんでした。
サイト内に、何らかの不備がありましたら、ご容赦ください。
それでも、このページの情報が誰かのお役に立てる事を、切に願います。

帯・区切り

[ サイト・マップ:Site map ] (このブログ・サイトの、ページ構成の説明です。)

(1)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの基礎知識:
                ※フェデリーコに関する、最低限の基礎知識です。(Wikipediaより抜粋。)
(2)フェデリーコに関する付加情報:
                ※フェデリーコに関する、他のサイトには無い情報です。(BBC地球伝説より抜粋。)
(3)フェデリーコ・関連ウェブ・サイトへのLink集:
                ※フェデリーコに関する、更に詳しい情報が必要な方向けの、外部Link集です。

帯・区切り

(1)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの基礎知識:

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ:(Federico da Montefeltro, 1422年6月7日-1482年9月10日:享年60歳。)
(フェデリーコ3世とも呼ばれる。)
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロはイタリア・ルネサンス期のウルビーノ公国の君主である。

R:ウルビーノ公国の地図

( フェデリーコは、イタリア・ウルビーノ公国の領土内に、
  ウルビーノのドゥカーレ宮殿と、グッビオのドゥカーレ宮殿を所有していた。
  また、ウルビーノの宮殿にも、グッビオの宮殿にも、
  その両方に、有名な、フェデリーコの小書斎・ストゥディオーロがあった。  )

R:2つのドゥカーレ宮殿
R:2つの小書斎

( ウルビーノ公国自体は小国であり、彼は軍人として、教皇領、及び、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェなどで、
                 傭兵隊長として活躍し、一度も負けたことのない名将として名を馳せていた。 )

加工 15世紀教皇領

傭兵隊長として活躍する一方、周囲に多くの文化人を集め、
ウルビーノ宮廷に優雅なルネサンス文化を栄えさせた。
( 彼は、人文主義者であるとともに、学者としての素質もあわせ持った人物であり、
                                   多くの教養人や芸術家との交友関係があった。
  ※人文主義者とは、ルネサンス期において、
    ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究を元に、神や人間の本質を考察した知識人のこと。 )

その蔵書はヴァティカン図書館をしのぐともいわれた。

槍試合で片目を失い、そのため、ピエロ・デラ・フランチェスカ(初期ルネサンスの個性的な芸術家)による、
有名な作品(ウルビーノ公夫妻の肖像:下図参照。)を初めとして、ほとんどの肖像画が横顔で描かれている。

           フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia):『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ』より一部抜粋。

R:フェデリーコの肖像画

帯・区切り

(2)フェデリーコに関する付加情報:(他のウェブ・サイトには無い、このページだけの情報です。)

  ウルビーノの君主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの前歴は、傭兵隊長です。
イングランド国王・エドワード四世から授けられた、ガーター勲章(別名ブルーリボン:イギリスの最高勲章)
を初めとして、有り余るほどの、富と名誉を得て、ついには、ウルビーノ(公国)の君主となりました。

R:エドワード4世の肖像画&ガーター勲章

  傭兵隊長時代に彼が徴用されたのは、その冷酷さに、敵が震え上がったからです。
(しかし、)残忍なイメージとは裏腹に、フェデリーコには高い志がありました。
賢人達の英知を結集した、ギャラリーの建設です。
アリストテレス(古代ギリシャの哲学者)から、聖アウグス・ティヌス(古代キリスト教の神学者)まで、
そして、ホメロス(古代ギリシャの詩人・オデュッセイアの作者?)から、
トマス・アクィナス(中世の神学者・スコラ学『神学大全』の著者)まで、
フェデリーコは、こつこつと書物を集め、
(ウルビーノのドゥカーレ宮殿内に)ヨーロッパ屈指の(私設)図書館を作りあげました。

R:4人の賢人

(彼の小書斎の内壁に施された)象嵌細工(ぞうがんざいく:素材をはめ込んで作る工芸技法。寄木細工。)
には、そのコレクション(世界各国から集めた書物や美術品など)が誇らしげに刻まれています。

R:2つの小書斎

  戦場では陣頭指揮(自ら、軍隊の先頭で指揮をとる事。)をとったフェデリーコですが、
一方で学問の進歩を固く信じてもいました。
彼にとって、知識とは、剣(つるぎ)と同じく、欠くことのできない武器でした。
フェデリーコはこの部屋(彼の小書斎)に、世界中のあらゆる情報を収集し、
それらを実際に利用していました。
(彼には、)好事家(役に立たない知識を集める人、の意。)めいた所は少しもありません。
ここ(彼の小書斎)は象牙の塔(実用的ではない知識の集積場、の意。)ではなく、
知の兵器庫(実用的な知識の集積場、の意。)だったのです。

  フェデリーコは、ルネサンス(文芸復興期:14~16世紀)の典型的な理想主義者でした。
この世界を支配したいと願うのと同じくらい強く、世の中を理解し、向上させたいと考えていたのです。
『人生は、知識の拡大と、魂の純化による、進歩の連続であるべきだ。』
とする、新プラトン主義(3世紀頃に、プラトン哲学の再解釈から始まった思想運動。)の影響を受け、
フェデリーコは、この国(ウルビーノ公国)を地上から天上へ、神の都市・光の都市へと、引き上げようとしました。

  宮殿(ウルビーノのドゥカーレ宮殿)から地上を見渡したフェデリーコは、自分を神だと感じたかもしれません。
また、『自らの領土を、知性の上でも征服した。』そう思ったかもしれません。

                          BS朝日『BBC地球伝説(ルネサンスの真実:賢者の旅)』より抜粋。

帯・区切り

(3)フェデリーコ・関連ウェブ・サイトへのLink集:(更に詳しい情報が必要な方向け。外部Link。)

                   この項目は、2ページ目に記載します。
               このページの下に、2ページ目が表示されていない場合は、
               ココをクリックしてください。2ページ目へ移動します。

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ことわり書き:

     ブログ初心者です。歴史上の人物の情報を、Upするのも初めてです。
                            実験的な試みですので、いたらない点があったらごめんなさい。

     個人的に、独学で作成したものなので、まとめ方に不備があるかもしれません。ご容赦ください。

     内容に間違いがあった場合、知らせて頂けたら幸いです。出来るだけ迅速に訂正します。
                                      ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。






最終更新日  2010.08.20 06:07:47
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