『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ』に関する付加情報(ページ1/2)
このページは、『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ』に関する情報をまとめた、ブログ・サイトです。言い訳:不本意ですが、人前に出せるレベルのブログ・サイトを作る時間がありませんでした。サイト内に、何らかの不備がありましたら、ご容赦ください。それでも、このページの情報が誰かのお役に立てる事を、切に願います。[ サイト・マップ:Site map ] (このブログ・サイトの、ページ構成の説明です。)(1)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの基礎知識: ※フェデリーコに関する、最低限の基礎知識です。(Wikipediaより抜粋。)(2)フェデリーコに関する付加情報: ※フェデリーコに関する、他のサイトには無い情報です。(BBC地球伝説より抜粋。)(3)フェデリーコ・関連ウェブ・サイトへのLink集: ※フェデリーコに関する、更に詳しい情報が必要な方向けの、外部Link集です。(1)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの基礎知識:フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ:(Federico da Montefeltro, 1422年6月7日-1482年9月10日:享年60歳。)(フェデリーコ3世とも呼ばれる。)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロはイタリア・ルネサンス期のウルビーノ公国の君主である。( フェデリーコは、イタリア・ウルビーノ公国の領土内に、 ウルビーノのドゥカーレ宮殿と、グッビオのドゥカーレ宮殿を所有していた。 また、ウルビーノの宮殿にも、グッビオの宮殿にも、 その両方に、有名な、フェデリーコの小書斎・ストゥディオーロがあった。 )( ウルビーノ公国自体は小国であり、彼は軍人として、教皇領、及び、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェなどで、 傭兵隊長として活躍し、一度も負けたことのない名将として名を馳せていた。 )傭兵隊長として活躍する一方、周囲に多くの文化人を集め、ウルビーノ宮廷に優雅なルネサンス文化を栄えさせた。( 彼は、人文主義者であるとともに、学者としての素質もあわせ持った人物であり、 多くの教養人や芸術家との交友関係があった。 ※人文主義者とは、ルネサンス期において、 ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究を元に、神や人間の本質を考察した知識人のこと。 )その蔵書はヴァティカン図書館をしのぐともいわれた。槍試合で片目を失い、そのため、ピエロ・デラ・フランチェスカ(初期ルネサンスの個性的な芸術家)による、有名な作品(ウルビーノ公夫妻の肖像:下図参照。)を初めとして、ほとんどの肖像画が横顔で描かれている。 フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia):『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ』より一部抜粋。(2)フェデリーコに関する付加情報:(他のウェブ・サイトには無い、このページだけの情報です。) ウルビーノの君主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの前歴は、傭兵隊長です。イングランド国王・エドワード四世から授けられた、ガーター勲章(別名ブルーリボン:イギリスの最高勲章)を初めとして、有り余るほどの、富と名誉を得て、ついには、ウルビーノ(公国)の君主となりました。 傭兵隊長時代に彼が徴用されたのは、その冷酷さに、敵が震え上がったからです。(しかし、)残忍なイメージとは裏腹に、フェデリーコには高い志がありました。賢人達の英知を結集した、ギャラリーの建設です。アリストテレス(古代ギリシャの哲学者)から、聖アウグス・ティヌス(古代キリスト教の神学者)まで、そして、ホメロス(古代ギリシャの詩人・オデュッセイアの作者?)から、トマス・アクィナス(中世の神学者・スコラ学『神学大全』の著者)まで、フェデリーコは、こつこつと書物を集め、(ウルビーノのドゥカーレ宮殿内に)ヨーロッパ屈指の(私設)図書館を作りあげました。(彼の小書斎の内壁に施された)象嵌細工(ぞうがんざいく:素材をはめ込んで作る工芸技法。寄木細工。)には、そのコレクション(世界各国から集めた書物や美術品など)が誇らしげに刻まれています。 戦場では陣頭指揮(自ら、軍隊の先頭で指揮をとる事。)をとったフェデリーコですが、一方で学問の進歩を固く信じてもいました。彼にとって、知識とは、剣(つるぎ)と同じく、欠くことのできない武器でした。フェデリーコはこの部屋(彼の小書斎)に、世界中のあらゆる情報を収集し、それらを実際に利用していました。(彼には、)好事家(役に立たない知識を集める人、の意。)めいた所は少しもありません。ここ(彼の小書斎)は象牙の塔(実用的ではない知識の集積場、の意。)ではなく、知の兵器庫(実用的な知識の集積場、の意。)だったのです。 フェデリーコは、ルネサンス(文芸復興期:14~16世紀)の典型的な理想主義者でした。この世界を支配したいと願うのと同じくらい強く、世の中を理解し、向上させたいと考えていたのです。『人生は、知識の拡大と、魂の純化による、進歩の連続であるべきだ。』とする、新プラトン主義(3世紀頃に、プラトン哲学の再解釈から始まった思想運動。)の影響を受け、フェデリーコは、この国(ウルビーノ公国)を地上から天上へ、神の都市・光の都市へと、引き上げようとしました。 宮殿(ウルビーノのドゥカーレ宮殿)から地上を見渡したフェデリーコは、自分を神だと感じたかもしれません。また、『自らの領土を、知性の上でも征服した。』そう思ったかもしれません。 BS朝日『BBC地球伝説(ルネサンスの真実:賢者の旅)』より抜粋。(3)フェデリーコ・関連ウェブ・サイトへのLink集:(更に詳しい情報が必要な方向け。外部Link。) この項目は、2ページ目に記載します。 このページの下に、2ページ目が表示されていない場合は、 ココをクリックしてください。2ページ目へ移動します。ことわり書き: ブログ初心者です。歴史上の人物の情報を、Upするのも初めてです。 実験的な試みですので、いたらない点があったらごめんなさい。 個人的に、独学で作成したものなので、まとめ方に不備があるかもしれません。ご容赦ください。 内容に間違いがあった場合、知らせて頂けたら幸いです。出来るだけ迅速に訂正します。 ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。