カテゴリ:経営者の視点
会社で、偏差値が話題になりました。
偏差値: テストの成績を評価する際に用いられる指標のひとつ。平均点からの差を数値化したもの。偏差値は平均を50とし、個人の得点が平均点よりもどれだけ高いか、低いかを相対的に表すもの(だそうです)。 つまり、偏差値70が意味するのは、 正規分布という統計的な分布を仮定すると、偏差値70は上位約2.28%に位置し、100人中2人か3人しか取れないような、非常に優秀な成績であることを示す指標である一方で、その優秀なグループの中でテストをすると、偏差値が50という人が出てくると言う、指標だと言う事。 有名私立の中学、高校、大学は非常に高い偏差値で表されており、入学の難しさが示されています。簡単な話、頭がいい、と理解できますが、今回自分が卒業した大学と比べて、自分は頭が悪いから、社会人になっても、偏差値の高い大学を卒業した人が言う事は、本当っぽく聞こえて、そうじゃない自分は負けてると言うか、劣等感を感じで仕事をしている人もいるんだとか。 確かに有名難関大学を突破した人は優秀だと思います。その競争に勝った勝者でしょう。ただ、その人が必ずしも正しい事を伝えられているのか、社会に貢献出来ているかは別だと考えています。現代を生きる私たちは、事業を起こし(組織の中で働き)、世の中の為に価値を提供し、対価に還元し、その対価を受け取り、生活をしより豊かな生活を送れるよう努力をする。そして、子孫や資産を繁栄させる事が私たちの役割だと考えています。頭が良くなる為に生きているわけではありません。 勉強とは、基本的に教科書に書いてある事ですから、やるか、やらないか、基本が身についていて、応用ができるのか、と言う事をインプットしてアウトプットするだけですから、その可能性を信じる人であれば、ある程度の高いレベルまではいける、と言うのが私の考えです。 例えば、陸上競技で私は日本選手権に出場したわけですが、何も特別な才能があったわけではありません。甲子園に出る人もいれば、他の種目で全国大会に出場している人もたくさんいます。勉強をスポーツに置き換えただけです。もちろん勉強も同様です。 この勉強とスポーツで素晴らしい成績を上げる人たちに共通している事は何でしょう。 多くの時間をそこに費やしている、と言うことです。偏差値の高い学校(勉強した人にしてみれば、甲子園?)に入学できた人は、勉強に多くの時間を費やしているわけです。逆にスポーツで全国大会に出場できるような人は当然ながら多くの時間をそこに費やしています。ここは共通しています。 で、ここからが大切な事で、この共通点である多くの時間を費やした人は、その間に新しい発見をし、伸び悩んでいた事を突破できるタイミングがあったはずです。それを何度も何度も経験し、乗り越えた成功体験があると思っています。この成功体験は自分自身に自信を与え、揺るぎない経験として自分自身の中に蓄積されていくのです。 これが大事な事だと思っていまして、つまり、多くの時間を割かない、割けない人はこの伸びる瞬間を経験出来ずに、出会う前に諦めてしまうことが多くて、伸びる人はそこを我慢すれば出来るようになる経験を多くしているはずなんですね。 で、偏差値の話に戻りますと、有名難関学校に入ることが出来る人、つまり、偏差値が高い人(スポーツで全国大会に出れる人・スポーツ偏差値?)は、「頑張れる型を持っている人」と言う事が出来ると考えています。 頭がいい、と言うのは(それぞれの定義があるので、別の機会に譲りますが)そうかもしれませんが、先ほどもお伝えしたように頭が良くなるなる事が人生の最終目標ではありませんので、頭がいい、と言うよりは有名難関大学にいる人は「頑張れる型を持っている人」、その定義としては、目標を明確に持っていて、諦めずに努力を継続できる強い精神力を持っている人、そして運が呼び込める人、だと考えています。もちろん、資本主義に生きる私たちには常に競争が付き纏っています。頑張れる型を持ち、運を持ち、その競争に勝ってきた人は難関大学に入学する事ができた。 この事から偏差値は、学ぶ、と言う過程における学生として、どのくらいこの人は頑張れる人なのか、と言う事を表した指標である、と言う事が出来ると思います。 ただ、そこで終わりじゃないのが人生です。学生は基本的に20代で終わりです。でも人生は80年くらいまで続くんですね。 この要素、頑張れる型を持っているか、どうか、は社会人になってからも大切なモノであると考えています。与えられた目標を達成するために、諦めずに努力を継続できる、そして、自分のブレークスルーが認識でき、運も呼び込める。仕事だけではなく、人生の目標も一緒。Z世代があー言ったって、世代間ギャップがあるって言ったって、売上上がらず楽しいね、いい関係性だよね俺たち、なんて言って人生全う出来たらこんな幸せないです。夢です。Dream on!です。むしろ単純にインプットしてアウトプットするだけじゃないのが、これまた人生です。 私はこの3年で英語を話せなかったにも関わらず、毎日3時間の学習を続け、Versantで59を獲得し、CERF(B2)のレベルにまで到達する事ができました。これは複雑な英語でビジネスを進められる最低限のレベルだと言われています。 ※因みに日本人のVersantの平均点は38点。 「頑張れる型を持った人」これが私の考える、偏差値の高い人の定義です。 この定義がもし、新しい偏差値の定義だとしたら、自分たちの会社の偏差値は高いのか、これを会社の経営者としては考えていかなくてはならない、と思っています。 つまり、「頑張れる型を持っている人」が会社にたくさんいるのか、が大切なのは、多くの社会人の皆さんが経験されたように、頭の良い人がいても仕事は回らず、会社が回らないと言う経験からもご理解いただけるのではないでしょうか。 社会に出るとこれまで持っていた自分自身の物差しでは測定が出来ないほど無意味なモノになってしまいます。自分自身の価値観やプライドがせっかくの進化や変化のチャンスを蝕みます。 ただ、それまで培ってきた「頑張れる型」は自分自身の人生の礎になっていて、自転車をしばらく乗ってなくてもすぐに乗れるようになるように、「頑張れる型」はまた新しい分野でも作り上げる事が出来るのです。 この「頑張れる型」を、小さい頃に、勉強で作り上げてもいいし、スポーツで作り上げてもいい。ただ間違えないで欲しいのは、人生には自分で選べる選択肢をたくさん作っておいた方が良い、と言う事。若い時にひとつに絞ってしまってはもったいない。だから、可能な限り文武両道と言う選択肢を持っておく、と言う考えを持つ事が大切だと思います。 歳を取れば、必然的に選択肢は狭まってきます。結婚、出産、育児、昇進、転職などのタイミングで色々と選択できる事がどうしても減ってきます。 ですから、若い時は出来るだけ多くの選択肢を自分で残しておく事が必要です。人生は思い描いた通りになんか行きません。むしろ思いがけない事だらけ。そんな時にも、お金を含めた色々な選択肢を残しておくべき、私はこれまでの47年の人生で、そう学びました。 そうそう、偏差値の話。まとめると、私の考える偏差値が高い人は、「頑張れる型をもっている人」。目標、それに対して継続できる努力(なぜやるのか明確である事)。運を呼び込める人、逃さないひと。自分に克てる人。 だから、目標持ってる人はカッコいい!目標持ってると持続できる!愚直に努力してる人、私もこんな人になりたい。そう言ってくれる人たちがもっと多く、みんなの周りにいてくれたら。その人たちが、自分の目指す目標を助けてくれる。そんな偏差値が高い人を応援できる会社でありたい。 経営している人たちの多くは、そう言う偏差値の高い人を組織の中に増やそう、と思っているに違いありません。ですから、これまでの過去の学生までの偏差値なんて気にせず、「頑張れる型を待つ人」を持つ事、そして、私が経営者として果たさなければならない使命として、そんな頑張れる型を持っている人、そして、頑張れる人がもっと評価される世の中を作っていく、これが経営者としての私がやらなければならないことだと考えています。 ※参考※ CERF B2: 自分の専門分野である技術的な議論も含め、抽象的または具体的な話題で、複雑な文章を理解できる。母語話者とお互いに緊張せず、普通にやり取りできるほど流暢で自然である。また、幅広い話題について、明確かつ詳細な文章を作成することができる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025/02/18 08:30:19 PM
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