わかったような気がします
今まで病気に振り回されていたことがわかってきたような気がする。病気であったことは、間違いない。いろいろな症状が出て、苦しい思いをし、何度か発作を起こし、誰かに見つかったときは、救急車を呼んだこともある。一人のときは、じっと耐えていた。その恐怖感がすべての原因だったようだ。恐怖感などと呼べるようなものではない。感情を越えたところにある恐怖だった。だから、わかりにくかったのだろう。自分がわからないのだから、見ている人がわかることなどまずないのではないだろうか?同じ苦しみを味わいたくないというのではなく、同じ恐怖を味わいたくなかったのだ。その恐怖の正体は今もわからない。ただ、その恐怖を認め、向かっていく気持ちが必要だったのだ。恐怖感という言葉は、ぴったり来ないところもあるが、一番近いような気がする。向かっていくために、必要なものもわからず、いろいろなものを求めた。精神的にだ。安心感、自信、やすらぎetc.どれも的外れではなかったと思う。さらに必要なものがあった。素直さだ。自分の弱さを認める素直さだ。そして、それに対峙しようとする、心の強さだ。この強さがあるときは、平然としていられた。でも、この強さがなくなったとき、いろいろな発作に悩まされていた。そんな気がする。他に気にかけないといけないことが、増えすぎたとき、心の強さがなくなっていったような感じだった。いろいろ言われて、いろいろ考えて。そういうときも、強さがなくなっていくようだった。本当の強さ。それが必要だったのだ。他人とは関係のないところにある、自分の心の強さ。鍛えるしかないだろう。試行錯誤を繰り返すことをも恐れない強さ。失敗をも跳ね返す強さ。持っていると思っていた。でも、足りなかった。いや、足りないときがあったという方が近いかもしれない。生きているうちは、修行が必要なんだな。