本来のあなたの力

2011/06/30(木)10:04

物を貸すのがいや、人が家に来るのがいや

  こんにちは。ずっとこのことで悩んでおりますので、アドバイス頂けますでしょうか。 私は一人っ子で、昔から「自分のもの」と「人のもの」をしっかり分けるクセがあります。自分のものが人のものと混ざることをとても不快に感じます。 例えば物を誰かに貸さなければならない時は、まずその段階でイヤなので、できるだけ断る方向に持っていきますが、断りにくい時は、「もし返ってこなくても仕方ない」と最初の段階で諦めるように気持ちを持っていき、貸します。大切な物の場合は、やはり何とか理由を探して断ります。 物の貸し借りの時はまだ良いのですが、私の場合、人が家に来ることにも抵抗があります。部屋が散らかってるから、人にそれを見られるのが恥ずかしいからイヤなのではなくて、「自分の家に人が来ること」自体がイヤです。 私は、結婚しており、子供もいますので、夫の友人などが来ることがあります。他の家の子供がうちに来るのもとてもイヤです。 それをいつもいつも断るのは私も悪いと思うので、夫が時々「友達を家に呼びたい」と言う時には、いいよと言います。 私も「絶対に誰も家に入れない!」というのは不可能なことだと分かっていますので、これでもずいぶん諦められるようになりました。でも、こういう状態の場合でも、私はベッドルームは絶対に人に入られたくありません。 とにかく、どんな状況にあっても、「絶対ここだけは私の場所」というところが欲しいんです。 もっと、夫の友人たちが家に来た時でも「平気」になりたいのですが、どういう風に思考を変えれば良いでしょうか。   こんなご相談を、掲示板にいただきましたから、それについてお伝えしていきます。 それで、掲示板で、2回ほど質問をして、少しやり取りをさせていただきました。セッションと同じように、できれば、潜在意識に起きている事柄を知りたかったからです。 で、質問のお答えが、下記のようでしたね。 「感覚で、というと苦しいという感じですが、これはキャシーさんが質問して下さったことの答えになっているでしょうか? ざわざわしていて、落ち着けなくて、また、自分の存在の意味がなくなっていくような感覚があります。 人が家に来た時というのは、イヤでも自分の中にある心か何かのドアを開けなければならず、そして自分では閉めてはいけないという感じがします。その人がその人の意思でこの家から出て行った後で、ようやく自分が自分に戻ることを許されるという感じです。 頂いたご質問の答えになっていますでしょうか...。」 ここで、私は、ああ、なるほど、とわかったわけです。で、二つのことが、まずあるので、一つ目からお伝えします。 それで、セッションをする場合、その方の潜在意識に起きていることがクリアーだと、かなり問題が整理をされます。1回で起きることもあるし、少し回数がかかることもありますが要は、その人は変われる、ということです。 この方の問題は、何か、というと、考え方の偏りとして、癖として、「1回●●したら、●●」というのが、誤って信じ込まれている点です。 つまり、「心を開けるならば、もう開けていないとならない閉じられない」という信じ込みがとても強いのです。 そのために、行動として、「開けたけれど、閉める」という行動がないので、それができないので、人生がとても重苦しくなります。 これは、お金でも何でも出てきていて、「貸すか諦めるか」「家にいてもらったら、全部を諦めるか、それかシャットダウンで入れないか」というようにお考えなのですが。 まず、この癖を自覚をしておいてください。これは、今後自覚をするとわかると思うのですがあらゆる事柄に出てきているはずです。 この癖は、閉じることへの罪悪感と恐怖心からきています。だからそこを取り除くとどういうことになるか、というと。 開け閉め自由なんだ~みたいに若干なれていきます。 たとえば友達が来て、シャンプー貸して、といわれた。自分のお気に入りのは、すごく高くて、貸したくない、ならばしまっておいて、手ごろのを出すとか。(せこい話ですみません)そうやって、自分を守れるし、気軽に付き合える、みたいなのがない。 開けないとならないと思っているから、もうシャンプーのことを聞かれただけで死にそうに苦しくなる、なぜなら開けないとならない、という誤解があるから。そして貸しても貸さなくても、死にそうに辛い。 たとえば、友達が来て、寝室、見せてね、といわれた。そうすると、全部あけないとならない、と思っていて、嫌で嫌で死にそうになる。でも気軽に、「寝室は駄目~恥ずかしいから~う ふ ふ」というように(ブランクにはハートマークがほしいところ)開け閉め、自由がないんです。 「開けていても、自由に閉める」ということが、できないんです。 で、セッションでの整理は、ここそのものを解決します。問題はクリアーなので、これに伴う恐怖心をとればいいので、色んな変化は起きてくるかとは思います。 でもとりあえず、ご自身では、「開けても閉めてもいい」ということを、学んでみてください。 家に子供たちが来ていたら、「こっちの場所は駄目だからね!」と張り紙をして、鍵をかけちゃう、とか(笑)「おばちゃんの場所なんだ~、お願いね」とお願いしてもよくて、開いても閉じている場所があってよいのです。閉じていても、お菓子の時間にお菓子を出すことをしてもよいのです。閉じているのに優しいおばちゃんになれるのです。(閉じても開ける) お金を貸しても、「いつまでに返せそう?」と聞いてもいいんだし、「この間の、返してくれると嬉しいな」といえてもいいんだし、返ってこないならばこないで、それはいいのですが、貸す段階で返って来ない、という考え方は正しくはあります。 だけど、あーあ、嫌だな、開けたら、自分を諦めないととなぜ信じたのか、考えてみてくださいね、開けたら、閉めたらもう、怖いことが起きる、となぜ信じたのか。 いつもいつも、開けたら開けっ放しで自分は守れない嫌だ、嫌だ、とすごく抵抗をしておられるでしょう? よくわからないけれど、善意を示したら、示していないとならない見たいに思われるのかもしれませんね。家に呼んだら、●●していないとならない、●●したくない、と思うのはいけないみたいに。どうも、それらが、強い感情として、自然とわいてくるようです。 いったん開いたら、開いていないと、という恐怖心が支配をするので、それで、うつうつとして、これが、人生を邪魔している正体だと思ってください。よかったよかった、これに気がつけて。いただけたとしたら。 気がつけば、それは、ただの怖さであって、事実ではないんだから。制御できます。 それと、もう一つは、自分のものが守れていない、という感覚はおありに思います。「自分のものを守れていないなくなる、嫌だなーという感覚がある、でも本当は、なくても、あっても、自分のものを守ることはできる」というように考えることは、必要かもしれませんね。 こちらについては、質問をしていないので、これ以上のコメントは差し控えますが、これも、何らかの理由があるのです。 「これは、私のものだから」という安心感を持ちたいのですがそれが持ちにくくて、今は物にこだわっておられるのです。 でも、物の貸し借りで確かめているのは、この方の場合は、「自分の居場所、自分の安全」なんです。人に入られたくないことが上手に守れていない感覚です。それは人それぞれ違うのだけれど、そこが重たい感じなんですね。  どうも、なんですが、総ての根底にあるのが、「人が入ってくる、自分は守れない」という信じ込みとか、「人が入ってきた以上、自分であることは全部諦めないとならない」という極端さと関連があるので、一つでよいので、自分らしくいる、ということはしていってください。 たとえば、まず、「おばちゃんは寝室にこもるから、お菓子はここだよ、いつでも呼んでね~」気軽、引きこもり作戦です。(笑)たとえば、触られたくない物はちゃんと片付ける、触ってよいものも、「これはここに戻さないと駄目だよ」と教えて、自分を守れる感覚を協力をしてもらう、作戦です。テーマは自分の「守れない、自分を諦めないとならない」という誤解をちゃんと取る、ということですね。 これらいくつもを巻き込んで、セッションではするのですが、自分って面白いでしょう?色々なものが隠れています。そしてそこには、大切なメッセージがたくさんあるものです。 天野

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