中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」
昨日は出張であった。空き時間に古ぼけた喫茶店に入り中日新聞の4月18日夕刊を手にとって見ていたら、高見恭子のとんでもないコラムを発見。さきほど、2ちゃんねるで検索したら文章が拾えた。高見恭子のこのコラムはたまに読むのだが、とんでもない内容が多い。18日のものはあまりにもひどいので、以下に紹介しておこう。天国の高見順はさぞや恥ずかしがっているだろう。こんなバカ娘を世間に放置したことを。------------- 中日新聞 4/18夕刊 「紙つぶて」より引用 ------------- 『お隣の痛み』 高見 恭子 (タレント、エッセイスト) お隣から「ちょっと、お願いがあって」と言われた。聞けば、わが家の塀に絡ませた蔦(つた)が、隣の敷地にまで伸びすぎているとのこと。ここに越して来た十年前、私が植えた蔦。見る見る元気に緑の葉を茂らせ、目を楽しませてくれていた。私にとっては、好きな蔦だが、「蔦が絡まる家は、繁栄しない」という言い伝えもあり、嫌う人もいる。 母もそうだった。お隣も母と同じくらいの年齢。しばらく悩んだ末、やはり我慢ができないと言いに来たのだと、ちょっと困ったような顔から伝わる。「分かりました。すぐに切ります」と次の日、植木屋さんに来てもらった。「少し、残した方がきれいだけど」と言う職人に「いえ、全部塀から取ってください」。寂しいけど、そう言った。些細(ささい)なことでも、気になり出したら、眠れないほどそのことが頭から離れない。私もそうだから、よく分かる。だったら、その原因をきれいさっぱり取り除くことが、隣に住む私の礼儀だと思う。今まで、その痛みに気付けなかったお詫びも込め。 その夜、ニュース番組を見ていたら、韓国、中国の反日デモに多くの市民が集まり、日の丸や首相の顔写真を焼き、日本への憎しみ、怒りを表し叫んでいた。日本大使館にはトマトや空き缶も投げられた。「あれは活動家の集まり」 「敵国を作り愛国心を煽(あお)っている」と言うジャーナリストもいるが、そんな言い訳はもう通らない気がする。 私たちは、もっと真剣に”隣の痛み”について、きちんと感じ取り、考えるべき時が、今ここに来ているように思える。