オーギュスト・ロダン・・・東京国立西洋美術館でロダンを鑑賞!
こんにちは、今日もとても暑くなかったですか?最近めっきり暑くなってカイザーも床や玄関のヒンヤリした石の上でお昼寝してます。さて本日は東京国立美術館の敷地に建てられた有名な彫刻と人物について、無知ながらもちょっと書きとめて置く事にしたいと思います。間違っていたらごめんなさい・・・許してね。昨日も美術館名を間違って近代美術館と書いてましたが、”東京国立西洋美術館”の誤りです、失礼しました。François-Auguste-René Rodin (フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン) 1840年11月12日 - 1917年11月17日~フランスの彫刻家~19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称されています。代表作・・・『地獄の門』、その一部を抜き出したのが、有名な『考える人』です。*下のフォト上段の中央に『考える人』が彫刻されているのは分かりますか?◆パリの下町で警視庁の書記の息子として生誕します。14歳で工芸実技学校に入学をしますが、ロダンは極度の近視で黒板の字も見えないほど酷く、そのせいか学校での成績は芳しくなかったようです。その後ロダンの良き理解者で2歳年長の姉・マリアの援助により帝国素描・算数専門学校に入学して美術を学び、さらに芸術家の登竜門であった国立美術学校エコール・デ・ボザールの入学試験に臨み三度落ち遂に断念しました。それ以後、古代ギリシアのペイディアスとルネサンスのミケランジェロを師にし、ほぼ独学で彫刻を学んだそうですよ。1880年、国立美術館を建てる為にモニュメント制作して欲しいとの依頼があり、そのテーマとしてロダンが選んだのが上記のフォト、 *ダンテの『神曲』地獄篇に登場する『地獄の門』です。実際の彫刻は、ブロンズ色ではなく乳白色の石膏色になります♪ロダンはこの時期弟子であるのカミーユ・クローデル(彼女との間に一子を授かっていますが、認知せず隠し通したようですね。)と出会い妻のローズとの間で悩み疲れたのか?”いつの時代も男性は妻の元から飛び立つものですね・・・”その後、精神バランスを壊してしまったロダンは、精神病で死ぬまで一生を過ごすことになったようです。1888年に一回、『地獄門』の依頼は白紙に戻ってしまったようですが、ロダンは、自分自身の作品としてこの作品を作り続け1889年に地獄門を覗きこむ男を1つの彫刻として『思想を練るダンテ』として名付けられていましたが『詩人』として発表されました。当初依頼で設置予定だった地には、現在「オルセー美術館」が建っています。*(19世紀に建てられて印象派の作品がある事で有名です。)つまり『考える人』は、当初は地獄門の一部でもあったようですね。結局は未完成のままロダンは亡くなっています。~弓を引くヘラクレス 1909年~ーアントワーヌ・ブールデル・・・(1861~1929年)ーロダンの助手として15年間、ロダンのアトリエで務めその後作った作品です。~エヴァ・・・1881年~~アダム~オーギュスト・ロダン作~カレーの市民 (Les Bourgeois de Calais)・・・1888年完成~百年戦争時、1347年イギリス海峡におけるフランス側の重要な港カレーが、 一年以上にわたってイギリス軍に包囲されていた際の出来事に基づいて作られたものです。 こちらも応援お願いしても良いですか?