000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

TORA TORA TORA

PR

X

全1件 (1件中 1-1件目)

1

私が感じたキリスト教についての概要

2016年05月09日
XML

****************************************************************

そのような死が訪れるとは思っていなかったのに
そうなってしまったかのように振舞って、実際には、
自分の為にそうしようと思う話と、
人の為にそうしないといけない話だったのがある。
処刑されることを疑問視していた人は、
罪はないのに処刑されることでどれほど
人の記憶に焼きつけることが出来るかを想像した。

自分の為にしたことは、人に訴えかけることで得る名誉。
人間の為にしたことは、自分の死を振り返ってもらうこと。
人間の為にしたことは、救いに来た男の役柄を演じた自分を
人間の傲慢さが死に至らせるまでになってしまったという話。

彼は無垢な人のように十字架に飛び込むことで、
どれだけの同情を集められるかを想像していた。

それは尊敬になる。
どれだけの時を重ねても人間は自分のことを忘れない。
最後の失望を覗かせることでその同情は本物になった。

これはイエスが有名になることに
ユダヤの民が承諾をしていたこと。

本当は憑依による宣教活動はあったのだが、
イエスがまだ他国では有名ではないときに
有名になったら、ユダヤがイエスの最後を
用意してあげた話になるようにその経典は、
ユダヤが持ち続けている。

ユダヤがイエスに教えたことは、
自分から話をすることは、そのような話が本当に
あることを思わせることさえできるという生き方。

メシアが来た訳ではないと云うユダヤは、
延命を望んだ訳ではなく、延命してゆく人間がいる事により、
イエスが成そうとしたことを振り返る時間とし、
イエスの願いが伝わることを理解していた。

メシアであるという話をすることで霊界の
権利を主張したイエスがユダヤから貰った、
どのような事実を作ってゆくかという方法。

ユダヤの民だったイエスと
ユダヤの民を辞めなかったユダヤ、
どんな話にしてゆく打ち合わせが有ったかわからない。
しかし、他民族に相談することなくそうしてしまった。

これが打ち合わせもなく暗黙の了解だったとしたら、
どれほど、知恵のある民族と勇者だったのだろうか。

**************************************************************50点







最終更新日  2016年05月09日 23時57分52秒


全1件 (1件中 1-1件目)

1


© Rakuten Group, Inc.