カテゴリ:ホツマツタヱ
さて、ヒルコ、ことワカヒメの話の続きです。
カナザキ・ヱシナズ夫妻に養育されたワカヒメは美しい姫となって実の親であるイサナギ・イサナミの許に帰って来たわけですが、ここで少し時間が飛びます。ここで、ちょっとワカヒメを離れて、実際には弟でありますが、世継ぎとしてイサナギ・イサナミの許で育てられ、ワカヒメの兄となっているワカヒト、後のアマテルカミの動きを追っていくことにしましょう。 富士山麓のハラミの宮で生まれたワカヒトは、16歳の時に、イサナミの父、トヨケの教育を受けるためにヒタカミの国、今の東北は仙台の辺りに移ります。そして、教育の時期を終え、再びハラミの宮に戻ってくると、いよいよ第8代アマカミとしてこの国を統治するようになるのです。しかし、そのうちにサホコチタル、つまり今の山陰地方で問題が起こり、この国を監督し、とりまとめてもらうためにヒタカミからトヨケを招くこととなります。しかし、何分トヨケはイサナミの父親ですから、もうこの頃にはかなりの高齢になっています。やがて、トヨケの先が短いという報せが届き、アマテルカミはトヨケの許に急ぎ向います。そしてトヨケは亡くなります。トヨケが亡くなったので、サホコチタルの国をまとめなければなりません。アマテルカミは暫くトヨケのいたマナヰの宮で政務を執ることになります。そしてようやく富士山麓のハラミの宮に戻って来たアマテルカミは宮を遷すことを決意します。そしていよいよ、伊勢に近いイサワに遷都するのでした。 さて、ワカヒメの話の続きは、このイサワの宮での出来事です。キシヰの国、今の和歌山県の稲田の穂が虫に害されていると、悲しみ嘆く使いが来たのです。アマテルカミに何とかしてほしいとの訴えだったのですが、生憎なことにこの時アマテルカミはアマノマナヰに行幸になり、宮を留守にされていたのです。しかし、このような民の嘆きを聞いて放っておくわけには参りません。アマテルキミの后であるムカツヒメはワカヒメを伴って急ぎキシヰへと向います。田の東に立ったワカヒメは片手に押草(ゴマノハグサ)を持って押し、もう一方の手はヒオウギを持って扇ぎ、歌を詠んで祓います。するとどうでしょう、虫は飛び去っていきます。(実はこれ、『古語拾遺』にイナゴを祓う法として出ているものに似ています。古代からの伝承なのでしょう。)これを見たムカツヒメは、自分を中心に、その左右に30人の女性を立たせて、このワカヒメの歌を全員で歌わせます。これが稲を襲う虫、イナゴを祓う和歌のまじないです。 「タネハタネ ウムスギサカメ マメスメラノ ソロハモハメソ ムシモミナシム」 <稲種、畑種、大麦(ウム)、小麦(スキ)、大触豆(サカメ)、 大豆(マメ)、小豆(スメラ)のゾロ葉も食べてはいけない 虫はみな沈んでいくよ。> こんな意味でしょうか。この歌を全員で360回繰り返し声を響かせて歌いますと、虫は飛び去って西の海にザラザラと沈んでゆきます。こうして無事災いは祓われ、稲田は再び若やぎ、蘇って参ります。秋になると稲穂は実り、あのヒオウギの実(いわゆる「ヌバタマ」)のように真っ黒な夜の時は過ぎ、この世の民百姓は生きる糧を得ることができ大喜びです。キシヰの国の人々はムカツヒメとワカヒメに感謝してお二人に宮を造ります。アヒノマエ宮とタマツ宮です。もともとここにはアヒ宮というものがありましたが、アヒノマエ宮を新たに造りましたので、アヒ宮はクニカケ宮と名を改めました。ムカツヒメはアヒノマエ宮にしばらくご滞在になり、やがてイサワにお戻りになられます。 一方、ワカヒメの心を留め置いたのがタマツ宮です。枯れた稲が若返ったのはワカヒメの詠った歌によるもの。この歌は生命を若返らせる力のあるものとして「和歌(ワカ)」と呼ばれるようになります。そして、キシヰの国の人たちはこの故事に因んで「ワカノクニ(和歌の国)」と呼ぶようになったのです。今の和歌山という地名の由来ですね。 これが五七調の歌が和歌と呼ばれるようになったはじまり、というのですが、さて、ワカヒメと和歌にまつわる話はここでは終りません。そのタマツ宮にワカヒメが滞在していた折に、ある男性と、実に運命的な出会いをすることになるのです。歌に秀でた姫はその男性にも和歌を贈るのですが――。 この話の続きはまた次回に致しましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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