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La vie @ Sydney

島の生活

-Life in Bora Bora-

島での住居:
私はホテルの研修生だったんですが、ボラボラ島のアナウという地区にあるレバトゥアクラブというメリディアンの寮みたいなとこで生活していました。この寮は、昔ホテルだったのをメリディアンが買い取ってフランス本国や他の国から働きに来てるスタッフに無料で与えてくれていました。
でも・・・
最初は落ち込みましたよ~。
フランス語は最初あまり話せなかったし、知ってる人はいないし、しかもっっ!!今まで住んだことないくらいきったな~いとこだったんです!まあタダだったんで仕方ないんですけどね。
住めば都という言葉どおり、しばらくしたら慣れた自分が今となっては怖いです・・。
レバトゥアクラブはテディというフランス人のオーナーが管理していました。彼はホテルに併設されたレスパドンというシーフードレストランも運営していて、私も含め、ホテルのスタッフは皆そこで食事をとっていました。彼の出身地は南フランスなので、ブイヤベースとか、魚のスープとかをよく出してくれましたが、ブイヤベースは私が本場のマルセイユで食べたものよりも美味しかったかも。残念ながら、今はレバトゥアクラブも、レスパドンも閉鎖してしまったそうです。

島での友達:
ボラボラ島で私をずっと支えてくれていたのは、隣の部屋に住んでいたジェロームというフランス人の男の子。彼は私の島でのお守り役をひきうけてくれていました。
彼はメリディアンのシェフで、ロンドンで働いていたこともあり英語が話せました。同い年だったのもあってとても気が合い、いつも一緒にいましたが、喧嘩もしょっちゅうでした。
私はボラボラに来る前の10年ほどは、ずっと乾燥した寒い地域にいたせいか、高温多湿の島の気候になれることができず、よく病気をして島の診療所に行ったんですが、ジェロームは片道30分ほどかかる診療所までスクーターをとばして私を連れて行ってくれました。ボラボラ島の診療所は基本的に予約を全く取らないので、いくら熱が高くても瀕死でない限りはずっと外の待合室で待たないといけないんですが、時にはそれが3時間以上に及ぶことも。それでも彼は辛抱強く39度の熱を出してる私の体を支えながら一緒に待っててくれました。
島のことを教えてくれたり、買い物に連れて行ってくれたり、仕事で嫌なことがあったりするといつまでも私の話を聞いててくれたり・・・。
彼のお陰で私は島での生活を乗り越えることができたんだと思います。
余談ですが、ジェロームは今、ニューカレドニアのイル・デ・パン島にあるメリディアンのSous Chefをしています。昨年の11月末に1週間ほどシドニーに遊びに来てくれました!4月の終わりには、ヨーロッパに帰ってしまうので、それまでに遊びに行けたらなぁとは思っているのですが・・・。

休日の過ごし方:
お休みは週に2日、水曜日と木曜日でした。私とジェロームは偶然休みが一緒だったので、ボラボラ中のホテルやレストランに行ったり、アクティビティーを一緒にしたり、たまに長い休みをとってタヒチ島やその他の島々に遊びに行きました。
何もすることがない時は、マティラ岬というところにあるビーチに行ってシュノーケリングしたり、寝そべったり。寮の前にも泳げる場所があったのでそこでひなたぼっこしたりしてました。

幸せと思える瞬間:
ジェロームの部屋のテラスに座ってコーヒーやお茶(私の好きなヴァニラティーやキャラメルティー。残念ながらシドニーにはないみたい・・・)を飲み、レストランの向こうに見えるエメラルドグリーンのラグーンを見ながら、私達はしみじみ、「幸せだねぇー」って話してました。
ボラボラ島にいた6ヶ月の間、何度も病気をしたり、仕事で嫌なことがあったり、大量の蚊に悩まされたりもしてたけど、今まで過ごしたどの場所よりもストレスフリーの生活をしていたと思います。幸せだとしみじみ感じる瞬間が数限りなくあったと言った方が正しいかもしれない。
それは、地球上でも最も美しい自然たちに囲まれた場所に住み、仕事もあり、そばに信頼できる友達もいて、私を心配してくれる家族が日本にはいて、さらに愛する人がシドニーで私を想ってくれているということだけで、私にとっては毎日が満ち足りていたから。明日のことなど何も思い煩わずに、その日その日を思いきり生きることができたからだと思います。まさしくハメハメハ大王の歌そのままの生活ですね!
これが人間のあるべきままの姿、そして生き方ではないだろうか・・。何度もそう思ったし、そういう風にずっと生きることのできるタヒチの人々を心の底から羨ましく思いました。

偉大なる自然:
真っ青なラグーン沿いの道を、ジェロームのスクーターで二人乗りをして走ったり、空の色と共に少しづつ変化する海をみながらビーチで寝そべったり、寮の前に備えられた浮橋の上ですみれ色に暮れていく空を見つめたり、空一面にびっしりと敷き詰められたような星を見ている時、そばにジェロームがいるのも忘れて自然の偉大さ、美しさに心の底から感動しました。
ボラでは自然の全てが色鮮やかでその景色に6ヶ月間染まっていたからか、シドニーに来てしばらくは見るもの全てがグレーに見えました。ボラの景色、風の匂い、遠くから風に乗って流れてくるウクレレの音・・・都会の喧騒からは感じることのできないそういうものひとつひとつを、今はとても懐かしく思い出しています。

おしゃれ&ショッピング:
ボラの物価はべらぼうに高く、あまりしゃれたものなどもないので買い物の楽しみなんかはあまりなかったけど、みんなある中でお気に入りのものを見つけ、精一杯おしゃれをしました。いろんなパレオの巻き方を習い、髪にはパレオの色に合わせて色とりどりのハイビスカス、プルメリア、ティアレ・タヒチの花を飾っていました。
スイスで美白美白~と気にしてお手入れしていた肌もみるみるうちに褐色になり、黒真珠が似合うように。ヴァカンスで出かけたタヒチ島やモーレア島で、小粒ながらかわいらしいデザインのネックレスとブレスレット、ピアスを買って、毎日つけていました。私はもともと祖母が奄美大島出身のせいか東南アジア系の人と間違えられることもしばしば。もともと肌は黒いし顔のつくりもはっきりしているので、6ヶ月の終わりごろにはますますタヒチアンと見紛うほどになりました。
ボラでの生活用品・雑貨などの値段ですが、シャンプーは日本で300円くらいで買えるものと同じものが600円から700円で売ってたし、コンタクトレンズの保存液は小さいボトルが2500円くらいで売ってました。パレオは安いところで買えば1000円くらい。パニエと呼ばれる籐かごも500円くらいから売ってました。基本的にパレオとかご、サンダルがあれば暮らしていけます。

ココナッツ・ラジオ:
タヒチの人々はおおらかでみんないい人なんだけど、とにかく噂好き。
誰と誰が喧嘩をしたとか、誰々が付き合いだしたとか別れたとか、事が起こった次の日には島中が知ってました。この現象(?)をタヒチではラジオ・ココティエー(ココナッツ・ラジオ)と読んでいます。ココナッツは島中に生えているから、どこからも筒抜けってことなんでしょうね・・。かわいい表現でしょ?
ちなみにこのココナッツ、南国にはかかせないものですが、これにあたって死んじゃう人も一年に何人かいるそうなんです。私も落ちてくるところを見たことあるけど、確かにあんな高くから落ちてくる大きくて硬い実にあたれば死んじゃうよね・・・。
ココナッツジュースは生ぬるいし、甘いのか甘くないのかはっきりしないしあまり好きになれなかったけど、果肉を削いで食べると美味しいですよ~。

蚊に悩む日々:
私がいた頃はちょうど島の雨季にあたってたからかもしれないけど、とにかく蚊には悩まされました。しかもこの蚊、結構デカイし、さされると痛い。
島には日本のモノと同じ蚊取り線香やべープマットを売ってたので利用してましたが、気休めだけって感じで効き目はあまりなかったかも・・。
蚊は島に新しく来た人間を好むらしく、島に行った当所は体中刺されました。それで病気になってしまったといっても過言ではないかも・・・。でもひとつきほどしたら慣れてきたのか、あまり刺されなくなりました。でもやっぱり、最後まで悩まされてましたね。

島の動物たち:
私は蛇がとにかくキライで、タヒチという熱帯の地にどれだけいるだろうと恐れおののいていたんですが、ボラに行く飛行機の中でポリネシアには蛇がまったくいないことを知り、心からホッとしました。いたるところにマグヤと呼ばれるヤモリはいましたが、足があれば同じ顔をしてても全く平気なので、あまり気にはなりませんでした。このマグヤ、たまに共食いするらしく食べ散らかされた後が部屋に散らばってたりしてました・・・。それとたまにですが、超でっかいクモが部屋に出たりして、ジェロームや、彼が仕事でいない時にはそこら辺のフランス人の男の子達に助けを求め追っ払ってもらいました。
あと、生まれて初めてハチに刺されました。スクーターで島を走る時に、ジェロームはよく刺されてましたが、私は寮のプルメリアの木にいたミツバチにやられました。首のうしろをさされたので、恐いし、痛いしでジェロームに泣いて訴えたところ、彼はあきれながらワインビネガーを持ってきて消毒してくれました。タヒチアンは海に飛び込んだり、おしっこをかけて治すそうです・・・。あと、ウニに刺されたときもおしっこが効くそうです。

島で患った病気:
6ヶ月間ボラに滞在しましたが、その中で5回ほど島の診療所にお世話になりました。最初はボラにきて5日目くらいだったかな・・・。いまだに原因はわからないんですが、夜中に突然お腹が痛くなり眠れなくなりました。しかも普通の痛さではなくて、今まで体験したことのない、すごく変な感じの痛さ。すぐに病院に連れて行ってもらい、その日は泊まらされました。つまり入院。今まで経験したことのない状態だけに私の不安は最高潮に達し、ドクターに「私、死ぬんでしょうか・・・?」と泣きながら聞いちゃったくらい。誰かにつきそっててもらわないといけなかったので、一番仲良しのジェロームを呼んでくださいとお願いしたものの、彼は仕事でいなかったので、ギョームというナイト・オーディット(夜勤)の男の子がちょうどお休みだったので朝までついててくれました。点滴だけで何も食べさせてもらえずかなり苦しい思いをしましたが、次の日の朝にヴィオレーンという人事のトップの人がひきとりに来てくれ、無事に寮に帰れました。
2回目は生理不順で、18歳頃から使用してたピルを処方してもらいました。3度目はインフルエンザ。これは辛かった・・。熱が39度を超えてるのにもかかわらず、外の待合室で2時間半待ち。この時も、死ぬのかな・・・と思いました。「こんな具合が悪いのに、どうしてこんなに長く待たされるのよ!」とお医者さんにくってかかる元気はあったんですけどね。ちょうどその頃日本でインフルエンザが大流行してたらしいので、お客さんに伝染されたのではないかと思います。
4度目は膀胱炎。これも生まれて初めての経験でした。水を十分に飲んでなかったために起きたことでした。痛かった~。
5回目は、なんと膀胱炎を抑えるための抗生物質が引き起こしたアレルギー。これは体中にブツブツができて、自分でも気持ち悪かったです。
朝ジェロームの部屋にいって「おっはよ~」というと、振り向いた彼がギョッとして私を見てる。「え?なになに?」というと、自分の顔を見てみろとのこと。ビックリしましたよ~。なにこれっ、顔全体が青黒く腫れてる・・ショックで倒れそうになりました。とりあえず薬で治ったものの、もう二度となりたくない。私は硫黄系の薬にはアレルギーを起こすらしいということを生まれて初めて知りました。

羨ましき制度:
タヒチでは、オーストラリアのSick leaveと同じようにPapier Roseという制度があり、お医者さんに(この人はいついつまで働くことができません)ということが書かれたピンクの紙をもらうとその間はずっと有給で休めます。
タヒチアンやフランス人の中には、疲れたからちょっと2週間くらい休みたい・・とお医者さんに行き、わざとピンクの紙(フランス語でPapier Rose)をもらって休む人もたくさんいます。診察料3000フラン(日本円で3000円から3500円)を払うとほとんどのお医者さんが発行してくれるそうです。

サイクロンの恐怖:
ボラ(というかタヒチ島などを含めたポリネシア全域)には4年に一度サイクロンという大型台風が来るらしく、去年はちょうど4年目に当たっていたので11月くらいから注意を呼びかける張り紙がいたるところに出ていました。来る来るといわれて恐れおののいていたものの、結局去年は来なかったのでもしかしたら今年は来るのかも・・。時期は11月から4月の間であれば、何時来てもおかしくないらしいです。去年はソロモン諸島やニューカレドニアに来てたみたいですね。

過食&体重増加:
私はボラで過ごした半年の間に6キロも肥えてしまいました・・。
華僑が多いので、米飯もよくメニューに出てたし、フランス領なのでフランスパンもおいしい。暑いからなのか、仕事がらお腹がよく減ったのかスイスで食べていた3倍くらいの量を食べてましたね・・・。
ホテルのスタッフ食堂などでタヒチアンと一緒に食べると、つられてつい食べ過ぎていたのかもしれない。彼らはいろんなおかずやご飯をひとつの皿にごっちゃに載せ、まるで残飯状態で食べる。最初はそれを見て度肝を抜かれて食欲もあまりわかなかったけど、やはりそれにも慣れてなんとも思わなくなりました。真似することはさすがに出来ませんでしたが・・。
たまにアイスクリームなどがドラム缶みたいなバケツで出されましたが、5分もすればすっからかんになってました。

華僑の力:
中国系の人々はどこにでもいるけど、まさかタヒチにまでいるとは思いませんでした。でも、いるんです。しかもほとんどの華僑は土地持ちでお金持ちだそうです。ボラにあるスーパーマーケットも華僑が運営していました。タヒチアンは華僑の持つお店からいろんなものをつけで買ってたかわりに土地を担保としていたらしく、それが払えずにほとんどの土地はそのまま華僑のものになっていったとか。さすが、中国人は世界のどこにでもいるんですね。彼らのお陰で私もボラでは毎日お米を食べられたので感謝してます。


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