473765 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

今日、何読んだ?

2020.09.21
XML
カテゴリ:仏教
王舎城の悲劇を知る 永原智行

 王舎城の悲劇は世尊生存時の事実だ。
 経によれば世尊がイダイケ夫人に神通力で浄土の様子を見せたりするのだが、それは経独特のデフォルメと考えても世尊が阿弥陀様のことを語ったであろうことは想像できる。
 しかしながらその仏説でも
 『大無量寿経』と『観無量寿経』とには昔から矛盾があるといわれていました。
 『大無量寿経』には、五逆罪を犯した者と大乗教を誹るものは、阿弥陀仏のお救いからはずされると説いています。
 『観無量寿経』は、五逆罪を犯した者が、南無阿弥陀仏の念仏で救われるとあります。
 これが矛盾です。
​というような矛盾が生じているとのこと。
 しかしながら阿弥陀様が五逆や誹謗正法のものを救わないとしたら、それだけでこの宗は終わりになってしまう。
 そこで親鸞聖人は唯除の意味を弥陀の願船に乗っていないと取る。
 つまり五逆のものであろうが誹謗正法のものであろうが弥陀の願船に乗れば救われるとするのだ。
 これが真宗の基本的スタンスだ。
 そして、
 無根の信とは、自分の善根で信を生じるのではない。
 自分の性根には、仏となるものはなかったことを言います。
 仏から、この信を頂いて、救われたことを独白します。
 煩悩心より生じた信でなく、他力回向の信心なのです。
なのである。
 自分は阿弥陀様を信じることはできないのだ。
 しかしその信をも阿弥陀様の方から自分に抱かせてくれる。
 それが信心獲得であり信心を獲得したものを獲得してくれる阿弥陀様の救済力なのだ。
 この数週真宗について勉強を重ねてきたがまだまだ理解しきれていない。
 しかしながら、阿弥陀様の方から、というそのベクトルが薄々見えてきている。
 阿弥陀様の方から聞こえる、南無阿弥陀仏だ。
 何?
 どこから聞こえるのかとふと思ったら、何だすぐそば、じゃないか。
 遠くの西方浄土ではないことに気づいた。






最終更新日  2020.09.21 08:25:35
コメント(0) | コメントを書く
[仏教] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.