アマテラスの暗号
アマテラスの暗号 [ 伊勢谷 武 ] 本書を小説に入れない訳はおよそ小説の体をなしていないからだ。 ただし古代史的にはとても面白い。 前回は(今日、何読んだ? 200628 )(今日、何読んだ? 210117)と令和2年,令和3年に読んでいるが,そのときもあえてカテゴリーを歴史にしたのだった。 たしかに本書に羅列された日本古代史やら日本語と古代ユダヤの歴史や物品、言葉の相似は,作者が言うように否定すべき合理的な理由がない。 したがって本書は古代史的には実に優れたものなのだ。 それがつまらないストーリーで歴史のダイナミズムを薄められたのが実に残念だ。 それはともかく,まずもってアマテラスが男性であったこと,アマテラス以下の神々はアマテラスそのものでそれが神武に繋がったということ,そしてなによりアマテラスはYAHAだということは私も納得できる。 つまり天照神道は唯一神なのである。 その神はYAHAで,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の神と同じなのである。 アマテラスが女性になったのは持統天皇の仕業である。 持統が自分の政権基盤を強固にするためアマテラスを女性にしてしまったのだ。 大嘗祭の儀式で天皇が神坐に臥すのはキリストの復活を表すものだという。 いずれ六芒星やら言葉の類似やらとにかくその裏付けは説得力がある。 だから本書の歴史部分は私なんざあ,これが定説?と思えてしまうのだ。 残念ながら伊勢谷武という作家はメジャーじゃなくてその分せっかくの慧眼も闇に埋もれてしまう。 それに訳のわからんサスペンスを盛り込んだばかりに興味深い古代史論が日の目を見ることができないのだ。 私はこの伊勢谷の古代史論に対する明確な反論がほしいですなあ。 その2つを対比して私は決着したいのだ。 少なくともアマテラス男性論,神宮の神がアマテラスに非ず論は巷間囁かれていることだと私は認識している。(2/9記)