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今日、何読んだ?

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歴史

2021.04.12
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カテゴリ:歴史
統一倭国と神武東征 森井章太郎

 結局歴史というのは証拠がなければ語れない。
 証拠がなければ絵に描いた餅だ。
 その証拠が特段不足しているのが日本古代史ということになろう。
 日本古代史から現代に連綿と続いているものに天皇制があるのだが、これが古代の成り立ちの部分が未だ謎のままだ。
 特に、卑弥呼、邪馬台国との関係が不明確である。
 更にさかのぼり、縄文、弥生の境などについても、​
 つまり、それは、縄文人であるとか、弥生人だとか、別種に区分けされる人種などは存在せず、交流による混血は起こったであろうが、縄文期と弥生期を人種的に分断するほどのものではなく、弥生時代とは、縄文人自身が弥生人として新たに築いた時代であったことを物語っているということなのである。
ということがDNA鑑定などから明らかになっている。
 つまり私達が小中学校で習った古代史が根底から覆されたということだ。
​ ゆえに、天皇制については、
 いや、捨てたのではない。始祖でもない人物を系図にいれなかっただけのことなのだ。
 神武たちは天孫たちの下支えをしていた集団から抜け出し、筑紫や宇佐、吉備など倭国の主要な地域での役人を経て、中央への進出を期して過ごしていたある時、東征と云う勝利すれば出世が保証される戦いに参加する好機を得、積年の夢を実現した。
 そこに邇邇芸命たち先代は何の関わりも持たない存在ではあるが、ただ、中央に進出した神武にとって出自を語る場面では邇邇芸命(天孫)からの家系であると仮託したのだろう。
​というあたりがごもっともという感じだ。
 そうして藤原不比等の日本書紀による古代史の捏造につながっていくのだ。
 合理的に考えれば、上記のようなことが十分に考えられ、しかも支持に値する論ということになろう。






最終更新日  2021.04.12 05:07:01
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2021.04.07
カテゴリ:歴史
「勘注系図」を読み解く 桂川光和

 桂川史学が面白いのは、古代史の中の重要な部分である卑弥呼・邪馬台国に関する系図を元にした考察である。
 日本古代史の研究において記紀の研究は重要な部分であるが、その記紀に卑弥呼・邪馬台国の記述が全くないことが知られており、そのことが逆に様々な憶測を呼んでいることも確かだし、さらに遺跡の発掘などによって日本の古代史がだんだんに明らかになるにつれ、現在の天皇につながる天皇家の流れの前にあったはずの卑弥呼・邪馬台国の問題がまるでミッシングリングのようになって統一的な見解がないままに今日に及んでいるのだ。
 それに対して著者は卑弥呼が現代につながる天皇家の一員であったことを系図から明らかにする。
 例えば
 系図は始祖を天火明命(あめのほあかりのみこと)とする。
 天火明命は天照大神(あまてらすおおみかみ)の児、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の児とされる。
 天皇家の祖先とされる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の兄とされる人物である。
 このように神代まで遡る系図である。
 『勘注系図』は最奥之秘記として海部氏が、千年以上に渡って隠し続けて来た系図であるが、昭和五一年国宝に指定され、平成四年『神道体系古典編一三』に活字化されて収録された。
 これにより誰でもその内容を知ることができる系図となった。
​というような系図を読み解くことによって卑弥呼と思さる女性が現在につながる天皇家の中にいるということを推定していく。
 そのことがさらにまた別の角度から科学的に明らかにされればミッシングリングが繋がるということにな
 宇那比姫命の夫が、天足彦国押人(あまたらしひこくにおしひと)命という系譜は、思いもかけぬ事実を明かすことになった。
 天足彦国押人命の弟は、倭足彦国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)すなわち六代孝安天皇(こうあんてんのう)である。
 したがって六代孝安天皇は宇那比姫の義理の弟となる。
​のような記事は中国の歴史書でも明らかになっていることであって、つまり卑弥呼に弟がいたということですね、そこから様々なことが読み解けるようになる。
 実は桂川史学恐るべしなのである。






最終更新日  2021.04.09 09:31:49
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2021.04.02
カテゴリ:歴史
景行紀 支配地の拡大 桂川光和

 さて桂川史学であるが、著者がいみじくも最後に語っている通り、日本書紀=皇国史観ということで日本書紀そのものが全否定されているという現在の日本古代史観に鑑み、それに対抗する形で自らの考えを述べている本書は、その中でも景行天皇の時代の日本武尊に関して多くの記述が割かれている。
 桂川史学は、皇国史観に基づく先の戦争遂行が
 太平洋戦争において戦争遂行のために、天皇の権威が絶対視された。
 天皇を神とさえする思想によって国民を戦争に駆り立てた。
 惨めな敗戦でこの戦争が終わると、天皇を絶対視した思想は否定され、その思想の元となった、『日本書紀』の歴史書としての価値を否定することとなった。
 歴史書として価値を否定する立場の考え方によると、『日本書紀』は、大和朝廷の正当性を主張するために書かれた物語であり、その多くは歴史的事実ではないとする。
 特に四世紀以前と思われる部分は、歴史史料としては扱えないとする。
​というような結果になり、そもそも嘘で固められた日本書紀は、日本古代史研究に何ら価値がないとする現在の史学界の考えに対抗する形で今まで述べられてきたのだという、著者の熱い思いが本書により語られていることが判明した。
 日本書紀の全否定による日本武尊の話の捏造疑惑について著者が真っ向から否定しているということなのだ。
 日本武尊はその東征の北限について著者は会津ではないかと推察する。
 日本武尊の話が日本各地に残っているということは事実であり、それが日本書紀の全否定には至らないということの著者の根拠でもある。
 私は、否定する証拠が何一つないと思うし、さらに全国に日本武尊の話があるということであれば、著者の考えを支持したい。
 『記紀』が伝える日本武尊の話は架空の物語であるとする説がある。
 だが架空の物語ではない。
 『日本書紀』には、日本武尊の東征に従軍した吉備武彦、大伴武日、七掬脛(ななつかはぎ)や、妃とされる弟橘姫(おとたちばなひめ)、宮簀媛(みやすひめ)が登場する。
 これらの人々をそれぞれの系譜の中に確認できる。
 また一部の系譜では、日本武尊に従軍したことを記す。
 系譜上の世代位置は日本武尊の時代の人とすることに矛盾はない。
 世代位置に矛盾を来さないで、架空系譜を創作することは不可能である。
 日本武尊の東征伝承を系譜伝承から裏付けることができる。

 さらに古墳から考える景行天皇らの時代の確認であるが、その考察も正しいものであると本書を読んで私は感じた。
 つまり本書は桂川史学の根本的な考えを述べている桂川史学における重要な一冊ということになろう。
 日本書紀についてはそもそも皇国史観の、あるいは大日本帝国軍国主義の台頭の、または明治維新の天皇を現人神という考えの根本になった以上に、現在の古代史の研究では藤原不比等らによる現天皇制の根本的な歴史の一種の捏造が語られているわけだけれども、著者の言うように日本書紀の一つ一つの文章を吟味して捏造なのか正史なのかこれから判断していく他に方法はないと私は考える。






最終更新日  2021.04.02 06:09:10
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2021.03.25
カテゴリ:歴史
多彩な伝承を持つ垂仁紀 桂川光和
 
 さて桂川史学まさに絶好調。
 しかしそれにしても定説について、
今日、邪馬台国畿内説をとなえる人の多くは、纏向こそ卑弥呼の王都とする。だが纏向は、邪馬台国の王都ではあるが、卑弥呼時代の王都ではない。十代崇神、十一代垂仁、十二代景行の宮の在った場所である。卑弥呼の時代から二、三十年後に始まる王都の場所である。
​と自信を持って唱えるのだから、すごいものだ。
 そもそもそれはなんの証拠もないことでしょう。
 一方、纏向遺跡については、数多の学者が卑弥呼の王都と傍証を挙げて述べているのだから、著者の勇気はすごいものよ。
 それはともかく
垂仁二五年の条に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、伊勢神宮鎮座の経緯がしるされる。天照大神は、天皇家の祖先神とされる。天照大神を祭る伊勢神宮は、明治の皇国思想によって最上位の神社とされた。戦後は神社庁により全国神社の本宗とされる。天照大神は、元から伊勢に祭られていたわけではない。伊勢に祭られるようになるのは、垂仁の時代からである。
​として天照大神についても著者は意見を述べる。
 たしかに天照大神が祀られるようになったのは明治の皇国思想によるものだろう。
 そもそも天皇家が明治以前は伊勢神宮に参拝することはなかったらしいからね。
 ようするにそういうはっきりしたことから、類推できることはたくさんあるわけで、つまり、天照大神が皇祖神ではない可能性は高く、そこから類推してもしかしたら天照大神は卑弥呼かもしれないという推測も成り立つわけだ。
 明らかにすべき課題は、卑弥呼と天皇家の関係、なぜ記紀に卑弥呼が載っていないのかを明らかにすることだろう。
 これが日本古代史の最大の課題だと私は考える。






最終更新日  2021.03.25 05:00:07
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2021.03.24
カテゴリ:歴史
中興の祖、崇神 桂川光和

 これまで様々な日本古代史の本を読んできた。
 その結果私の頭の中で少しずつ整理されてきた。
 問題は、卑弥呼と邪馬台国、そしてこれらが記紀に出ていないことである。
 この問題が明らかになれば、日本の古代史は明らかになる。
 今のところ、卑弥呼と邪馬台国は​、現天皇家とは違う系統ゆえあえて記紀に入っていないこと、したがって天照大神が卑弥呼ではありえないということになる、らしい。
 ところが桂川史論では、卑弥呼は現天皇家と深く関わっているということになる。
 次のようなエピソードを出し、
 櫛箱(くしばこ)の中に入っているから驚くなという。
 翌朝、櫛箱を見ると小さな蛇が居た。
 驚くなという大物主の言葉に反し、驚いてしまった倭途途日百襲媛は、尻もちをつき、箸で陰部を突いて死んでしまう。
 そこで大市という場所に葬られる。
 その墓を箸墓(はしはか)という。
 現在奈良県桜井市にある箸墓古墳という、全長280mの前方後円墳のこととされる。
 箸墓はその後大和朝廷が作り続ける、前方後円墳という特徴的な墓の最初の墓である。
 しかも280mという巨大な墓である。
 崇神はなぜ一介の皇女である、倭途途日百襲媛のために、巨大な墓を造る必要があったのか不思議な話である。
​箸墓に祀られているのが一体誰かと推測する。
 箸墓は、上記の通り前方後円墳であり、定説では卑弥呼の墓とされる。
 それにあえて著者は異論を唱える。
 この墓は、卑弥呼の後の女王の墓だと比定する。
 そして、神武も存在し、その神武と崇神について、
 それではなぜ二人が、最初に国を治めた人という、同じ意味の名前を持つのかである。
 神武は、最初に大和朝廷を打ち立てた人である。
 文字通り大和朝廷の初代である。
 一方、崇神は、中興(ちゅうこう)の祖なのである。
 中興の祖とは危機的状況にあった政権を立て直し、安定させた人物を意味する。
​として、神武以下の天皇の系統はまさに万世一系だと断ずるわけだ。
 そこに卑弥呼もかすっているという推論を主張する。
 しかし果たしてそれでよろしいのだろうか。
 私は、桂川史論における卑弥呼に関する推測は面白いと思うが、天皇家に関しては大方の論者が言うように神武=崇神でよろしいのではないかと思う。
 神話も記紀も現天皇家に都合良く書かれたものだということは、これまでの研究ではっきりしていることであり、それから推察される大方の定説は正しいものだと思われる。
 したがって桂川さんには、ここで、卑弥呼と邪馬台国に特化した研究をし続け、何らかの結論を出してほしいものだ。






最終更新日  2021.03.24 06:07:18
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2021.03.23
カテゴリ:歴史
欠史八代の時代 桂川光和

 著者桂川光和は独特の古代史観を持つ人で、古代史の定説に真っ向から切り込み異論を展開する。
 定説では欠史八代はないことになっていて、神武=崇神で決まりのようなことになっている。
 彼はそこに欠史八代こそ、記紀にない卑弥呼についての謎が隠されていると推理するのである。​
 『日本書紀』は神武に続く天皇として二代綏靖(すいぜい)以降の天皇名を記す。
 だが、九代開化までは、その時代に起きた出来事や天皇が行った事について、ほとんど何も記さない。
 したがってこの八代は欠史八代と称される。
 その時代とはおおよそ神武に始まる二世紀から三世紀代の事である。
 二世紀後半から三世紀前半といえば、中国史書『魏志倭人伝』や『後漢書倭伝』に記される邪馬台国の女王卑弥呼の時代である。
 最大の関心は、この邪馬台国と、後の大和朝廷とが、どのような関係にあるかである。​
 定説では、邪馬台国は纏向遺跡、卑弥呼の墓は箸墓古墳だ。
 しかしここも彼は異論を唱える。
 そしてこう展開する。
 台与が竹野媛であれば、台与と一緒に爵位を受けた男王とは、九代開化である。
 この時の朝貢の主は女王である。
 台与すなわち竹野媛である。
 竹野媛は単なる開化の妃ではなく、大和朝廷の最高権力者なのである。
 またこの事によって、欠史八代としてその実在が疑われる天皇の実年代が明らかになる。
 二六六年に開化は、中国王朝の爵位を受けたわけであるから、開化の実年代は三世紀の中ごろである。 
​ 著者は卑弥呼が大和朝廷や天皇と深く関わっていたはずだと推論し、それが欠史八代に埋もれているというわけだ。
 著者の論について定説側が明らかな証拠で突き崩すことができないのであれば、著者の推論をもっと推し進めてもいいような気もするが、未だなんとも言えない、というのが読み手である私の結論だ。






最終更新日  2021.03.23 05:00:07
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2021.03.08
カテゴリ:歴史

古代日本人と朝鮮半島【電子書籍】[ 関裕二 ]

 著者は古代史研究に関しアマチュアと称し自由に発信し続けている人だ。
 自由だけにときには話がぶっ飛んでしまう。
 だが、自由だからこそそういうぶっ飛び話が許される側面もある。
 ぶっ飛んでいるから真相でないということもあるまい。 
​ そして自由と言いつつ、ここ近年で明らかになった科学的なこと、考古学的なことは無視できまい。
 たとえば、
 問題はD(日本人の場合D2)で、日本人男性の30~40パーセントが、このハプログループに属しているが、日本周辺で、これだけ高い頻度でDのハプログループが集まっている場所はない。
などということから、日本人が中国人や朝鮮人とは違う人種だということがわかる。
 このことは日本に大量の大陸人半島人が流れ込んできたわけではないことの証左になる。
 そしてこのことは真実なのだからそこを踏まえた日本古代史論がなされてしかるべきということになる。
 日本古代史論と言えば、記紀を抜かすことはできない。
 そして、日本書紀は国史だ。
 その事実は、
 古代史を読み解くために『日本書紀』は必読書だが、権力者による政治的な意図が込められた文書だったことを肝に銘じておく必要がある。
 『日本書紀』編纂には藤原不比等が大いに関わっていた可能性が高いのだが、藤原不比等は蘇我本宗家(本家)を潰そうと躍起になった中臣(藤原)鎌足の子だ。
というもの。
 さて藤原不比等によりどれだけの日本古代史の捏造がなされたのか。
 それを読み解くことがこれからの日本古代史で極めて重要なことなのである。
 今は、著者のような自由人が自由な発想で想像しているときなのだけれど、上記のような2つの事実とか、纏向遺跡の発見、などで50年前に明らかでなかったことが明らかになっている。
 そろそろ日本古代史の研究家には本腰を入れてその謎を解明してほしいものだ。






最終更新日  2021.03.08 05:00:07
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2021.03.03
カテゴリ:歴史

古代史から読み解く「日本」のかたち【電子書籍】[ 倉本一宏 ]

 本書は上記著者の他、漫画家里中満智子の共著である。
 日本古代史は実に謎が多く、卑弥呼、邪馬台国、記紀、数々の遺跡等々決まらないことが多い。
 特に記紀のうち日本書紀は国史として編纂されたものであり、
 大王天智から天武天皇、持統天皇の時代、権威と権力が重なっていたため、民に無理を強いることもあったと思います。
 しかし、日本を先進国として認めてもらうために、律令制を整えること、都を作ること、歴史書を編纂することの「先進国三点セット」を断行したのです。
 このなかで歴史書、つまり『古事記』『日本書紀』については、天皇家に都合のいいことばかり書いてあって、事実であるか疑わしいと言われます。
 確かに、権力者が歴史を好き勝手に捏造したり、改竄したりしているほうが、話としては面白いですが、それほど簡単なものではありません。
 事実を歪めて書けば、社会的な信用をなくすだけでなく、自分の立場も危うくなるからです。
 ですから、当時の日本人たちは、英知を結集して歴史書を編纂したに違いありません。
 特に『日本書紀』は、長い歴史を持っている中国に対して、日本もこれだけ長い歴史があり、大昔から独立国として存在していたと主張するための根拠として編纂されたのでしょう。

​ などの説は定説的になってきている。
 つまり、日本古代史は、大王天智、天武天皇、持統天皇のあたりが境になっていると言えよう。
 そこのところで編纂された歴史書の、何が本当で何が捏造されたのか、というところの読み解きが今後の日本古代史の解明に必要なことになることは言うまでもない。
 それにしてもとにかく記紀に卑弥呼、邪馬台国の記載がないのがどうしても気になるのは私だけだろうか。
 本書で天皇の継承問題について
 先日、テレビ番組を見ていて驚いたのですが、「女性天皇」と「女系天皇」を混同している人がいました。
 男女平等の時代だから、天皇が女性でもいいではないかとよく言われますが、きちんとした知識は持っておくべきです。
 皇室典範では、皇位継承は父親が皇統に属する、いわゆる男系男子とすることが定められています。
 皇統譜(天皇、皇族の戸籍簿)では、天皇家は今上天皇まで百二十五代を数えます。
 そのうち女性天皇は八人おりましたが、すべて男系です。
 そして、女系天皇はひとりもおりません。
 一時はあれだけ女帝論議が高まったのに、秋篠宮家に悠仁親王が生まれた途端に消えてしまいました。
 議論をしている国会議員たちは、次の次の次の天皇を決める頃には自分は生きていないと思っているので、真剣な議論をしないのです。
 このような風潮はよくありません。悠仁親王にふさわしい妃が見つかるか、見つかったとしても男の子ができるか、男の子を授かったとしてもうまく育つか、など不確定要素が多いのですから、きちんと議論をしないといけません。
 天皇は国民統合の象徴だというのならば、政府は国民が納得するような対処をする必要があると思います。
​と述べているが、これは正論だ。
 特にメディアが上記のようなきちんとした説明なしにやれ女性だなんだと言っているのは、フェアでない。
 また生物学的にY染色体云々ということをだしにしてそれがさも科学的な話だ、みたいな議論も私はフェアでないと思う。
 まずは、継体天皇のところを紐解かなければ、本当に天皇が万世一系なのかどうかがはっきりしないのではないか。
 また古代の婚姻の様式が妻問婚であったことを考えると、この父親は母親のみぞ知るなのだから、万世一系が証明されるのは本当に容易なことではないだろう。
 しかし仮に継体天皇が正当に天皇家の血を引いており、DNA鑑定でY染色体の問題も詳らかに証明されたら、それは、男系の万世一系を認めざるを得ないということになるのであり、私達はその文化を継承すべく努力しなければならないということになろう。
 皇位継承に関しては、著者が言うように簡単な問題ではないから、真剣な議論が必要なのである。
 なんの裏付けもない女性天皇論など論外だ。






最終更新日  2021.03.03 05:00:07
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2021.02.16
カテゴリ:歴史

検証!古代史「十大遺跡」の謎 三内丸山、荒神谷、纒向、平城京… (PHP文庫) [ 関裕二 ]

 遺跡は古代史の謎の解明のための最重要なものだろう。
 いくら現代人が空想をめぐらしても事実にはかなわない。
 そのような遺跡を10挙げて、著者は持論を展開する。
 著者いわく古代史のアマチュアだから、いくら書いても論じても許されると、著者は言う。
 いずれにしろ遺跡の発見によって年代が明らかになったことも多数あるのだ。
 特に三内丸山遺跡では縄文時代が弥生に先立つ先住民の時代ではなく、それらは融合して1つのものと言う流れに変わってきているらしい。
 いずれにしろ古代史の謎の最筆頭は、卑弥呼と邪馬台国だろう。
 これについては、纒向遺跡の発見により、邪馬台国が纒向に比定され、ほぼ定説的になっているのだが、著者は、
 第一に、なぜ弥生時代後期の戦乱状態が一気に収拾されたのか。
 「この指とまれ」をしたように、一斉に人びとがヤマトに集まり、ゆるやかな連合体を構築できたのはなぜか。
 第二に、なぜヤマトの纒向の地が国の中心に選ばれたのかである。
 そして第三に、纒向遺跡こそ卑弥呼の邪馬台国だったという考えがある。
 いわゆる邪馬台国畿内説である。 
と紹介し、その中の箸墓古墳については、
 纒向遺跡の全容が明らかになってくると、纒向が邪馬台国だったのではないかと考えられるようになった。
 時代がほぼ重なることが最大の理由だ。
 特に、古墳時代の幕開けとなった箸墓(箸中山古墳)の造営が三世紀半ばと指摘する畿内論者は、「邪馬台国は纒向で決まった」と、豪語するにいたったのである。
 しかし、結論を出すのはまだ早い。
 仮に、箸墓が三世紀半ばの造営だとしても、だからといって、箸墓が卑弥呼の墓だったことの証明にはならないからだ。
 それだけではない。「箸墓は三世紀半ばの造営」かどうかも、はっきりとわかっていない。
 「もっとも古く見積もれば三世紀半ば」なのであって、邪馬台国北部九州論者たちは、 「箸墓の造営は四世紀にずれ込む可能性もある。三世紀半ばという主張は客観的なデータを恣意的に扱った結果だ」 と、叫んでいる。
 たしかにそのとおりなのだ。
 箸墓の年代観は、慎重に判断する必要がある。
​として慎重論を唱える。
 この書きっぷり、たとえば、豪語する、などという言い方からも、著者は纒向遺跡も箸墓古墳も邪馬台国・卑弥呼路線とは違うという主張を展開している。
 ここが大事なところで、つまり著者がそのような反論をなす以上、その証明が必要なわけだ。
 いくら古代史のアマチュアだからといって証明なしに論ずるのは、本書のような物書きである以上許されないことではなかろうか。
 思いのたけを述べるのはいいにしてもその裏付けがほしかった。






最終更新日  2021.02.16 05:00:07
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2021.02.07
カテゴリ:歴史
日本人基幹二系民族論による「卑弥呼の国」のその後 冨川光雄

 ようするに、日本人基幹二系民族、とは、縄文人、と、弥生人だ。
 つまり、著者もまた、この2つがデジタル的に別れた2つと考えているようだ。
 しかし最近の研究からこの2つは1つのものとわかってきている。
 何も二系などと強調する必要はないのだが、本書では、関ヶ原の戦いまで二系で論じる始末だ。
 それはともかく日本古代史の大事な論点の1つは邪馬台国と卑弥呼の問題であり、しかもそれが記紀に記載されていない点にある。
 ところが近年、纏向遺跡の発見とその研究により、邪馬台国はどうも奈良県にあったらしい、という論に傾きつつある。
 著者もまた、​
 やはり「纏向」と呼ばれる地域の中でも目立って気になるのは「箸墓」であるが、ここでの「大塚」は三輪山の裾野の最も目立つ平地に1800年近くの歴史の年月を越えてその巨大で不動の姿を見せているわけで、気にならない方が不思議であろう。
 しかしその名は古代的で、「語り手である女性による表現」を想わせる(その一見エロチックなエピソードと共に)いかにもあだ名めいた名まえのままで今日に至っている。
(この被葬者のことは「書紀」には『箸で陰を突いて亡くなったから』——となっている。「箸」とは「天照」もよく使っていた「機織りの道具」のことではないか?——他の所でも「須佐之男」が生き馬を投げ込んだ時織女の一人が陰を突いて——という記述がある)

とし、卑弥呼をアマテラスと同一視しようと試みている。
 それではなぜ卑弥呼は記紀から消されてしまったのか。
 それはともかく、次の著者の見解を考えてみよう。
 厳粛な「未婚」を条件とされた女性にとって「生態」的には当然実子はない。
 そのために(領土を巡る問題と共に)相当意味深長な後継者問題がやはり起こる。
 そして当事者の二人が「生まれる子が男か女か」ということを巡って賭けをするような場面がある。
 (やはり男か女かに拘っている)その微妙にねじれたような「うけひ」の細部はここでは省くが、それは「協議」と言うより「鬼道」とも言われそうな占いか賭のようなものであり、そのどこか一方的に説得するような記述もやや強引な印象を受ける。
 しかしその勝ち負けはやはりはっきりとは分からないが私には結果的には「須佐之男」の方が実を取ったように思える。
​という見解は、アマテラスとスサノオのうけひ神話について語られたものだ。
 ここにおいてアマテラスと卑弥呼、スサノオと卑弥呼の弟の関係が相似するというのだが、そのことを相当の方が支持していることは確かだ。
 さらにこの関係が神功皇后や持統天皇のまきにまで語られている相似形であることは注目に値するのだが、卑弥呼から神功皇后、更に持統天皇までの時間はあまりにも長すぎていて、1つのことが語られると、2つのことが忘れ去られるというジレンマに陥ってしまう。
 しかしこの3つの相似形にはなにか訳がありそうだと私は思うのである。






最終更新日  2021.02.07 05:00:07
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