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今日、何読んだ?

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俳句

2019.12.01
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カテゴリ:俳句

絶滅寸前季語辞典【電子書籍】[ 夏井いつき ]

 俳句はたった17字なのだが、決まりが多くて難しい。
 それなのに果敢に挑むのはなぜだろう。
 書いたところで真っ赤に添削されるものでもあります。
 そして季語を知らなければならない。
 青き踏む、何て季語知っていますか?​
◎ 青き踏む
 一般には馴染みのない言葉かも知れないが俳句界においてはまだまだ絶滅の恐れのない俳人好みの季語だ。
 青草が萌え始めた春の野を歩くはつらつとした喜びに満ちた季語への好感度は極めて高い。
 その証拠に例句は探さなくともゴマンとあるし現在もたくさんの俳人たちに詠み続けられているけられている。

 だそうですよ。
 早速来春使ってみましょうね。
 次の句は結構自由だと思います。​
◎ 色変えぬはずなる松の崖っぷち 夏井いつき
 昼食を済ませ家庭科の先生が持参してくださった珈琲の紙コップを握ったまま私は春の波頭が見える崖の辺りまで歩いていった。
 その頃私は俳句を始めたばかりだったので一人吟行のつもりで先生方の輪から離れたのだが、何気なく振り向くとやはり紙コップを手にしたカドタ先生がそこに立っていた。
 (略)
 彼はいきなり大声でこういいはなった。
 「せ、先生。ワタクシはニッポンの松の未来を憂いております!」

 この句は作者の説明があってはじめてわかる句でもあります。
 男に崖っぷちで迫られるなんて一体何事かと、年頃の女性ならそれ相応のことを思うでしょうね。
 大体崖っぷちなんて、サスペンスドラマの定番でもあります。
 句だけでは不明ですが、説明があってはじめて変わり者の先生が2人いましたというのがわかったという寸法であります。
 ああ、面倒だ。






最終更新日  2019.12.01 05:00:10
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2019.11.30
カテゴリ:俳句

【中古】新選俳句歳時記 潮ライブラリー

 たった17字に詩想を詰め込む。
 ああなんと言う文化なんだろう、俳句は。
 それ以上にこの記事を​、ホリエモンの本を真に受けてスマホでフリック入力で書いている自分の浅はかさ。
 この記事を書き出してからすでに1時間以上が経過しております。
 なんともったいない時間の使いかだ。
◎ 秋はふみわれに天下の志 夏目漱石
 本とか書物とか更にあらたまって書籍とかは明治の書生たちには知的闘争の武器だった。
 本を読み本を書くことで天下に志を述べたものなんですね。
 ずっと時代が降っても、60年代は本の時代だった(長田弘)。
 ああそれも昔。

 いや昔のことではありません。
 今も本は、知、そのものであります。
◎ 秋風に首吊りという既製服 小寺勇
 君その服、首吊りか?
 大阪の若い友人にそう言われて笑われた。
 大阪でも今は首吊りははやらんらしい。
 既製服のことをハンガーにぶら下がっている連想から首吊りと言うのは関西だけのことやったかどうか。

 さあ、既製服はよくありませんか?
 私なんざ、既製服しか着たことがありませんぜ。
 首吊りの何があかんのやろ。






最終更新日  2019.11.30 05:00:09
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2019.04.03
カテゴリ:俳句
俳句は日記 岡本眸

 季語のない俳句はないわけで,したがってまず季語ありきという定型性のある言葉遊びが俳句ということになろうか。
 俳句表現は技術的には季語と用語の組み合わせで成り立っています。
 その組み合わせの区分の中で作者の思いが少しずつ織り込まれるようにして,自分の言葉,自分の表現,が作り出されて行きます。
 そこで初めて作者がまるごと受け取れるような作品が出来上がるのです。 ​

​ 季語を5音とすれば,あとの12音で勝負しなければならないのが俳句である。
 そこで自分がまるごと受け取れるような作品をつくるというよりもひねり出すことの難解さよ。
 まさに上記のような文章こそ言葉遊びそのものではないのか。
 遊び,ゲーム,と考えたら,たった12音で何が表現できるのかと言う不安に苛まれ,そして,苦難の考慮の末ひねり出した言葉,しかしそれはそんなにいいものでもない,あー,センスが問われる,なんと寂しくも厳しいゲームなのか。
 それなのにその指南書が上記のような当たり前なことを記述して大家ぶっているというのはいけないねえ。
 初買のいまも変わらず切山椒 金田きみ子
 切山椒は大変美しいお正月のお菓子ですね。
 切山椒そのものが新年の季語なのでこの初買はいらないと言えばいらないのですが,ここでは新年最初の買い物を切山椒にしたと言いたいわけでどちらを削ることもできないんです。
 こういう場合は両方の言葉が相まって言いたいことをしっかり言い切ったということですから季語が二つ重なっても差し支えないと思います。
​ というのは著者の独断で,この判定こそ,リクエストで,リプレイ検証が必要だ。
 片一方で拙い語彙力で一生懸命言葉遊びをしている時に,季語が二つ重なっても差し支えない,とは何事だ,と私は思う。






最終更新日  2019.04.03 05:00:10
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2019.03.21
カテゴリ:俳句
現代俳句の面白さ 飯田龍太


 果たして俳句とは一体何なのか。
 俳句に関する本を読み進めていくとなにやら言葉遊びめいたところにたどり着く。
 言葉遊びとなれば,文学というカテゴリーから外れてしまうのではないか。
 そこで定型にこだわらない自由な俳句というものも生まれたのではなかろうか。
 それはともかくこのことを,つまり,俳句は言葉遊び,ということを著者は
​遅き日を重ねて河馬のしわ多し 川井淵
 河馬という巨獣,どこか間抜けた様な気のいいところがある。
 だが,このしわは事実としては遅日故に増えたわけではないが,こう指摘されるとなるほどと合点したくなる。
 これぞ真,詩の虚実。
 虚が実を生み出して昨品のおかしみになった。
​と巧みに表現している。
 すなわち,虚が実を生み出している,ということ。
 真実とか写実とかとは違う言葉遊び。
 俳句は本当に言葉遊びでいいのだろうか。
​ 著者は
​ゆく夏の祖父と来てゐる湯治の子​ 小宮栄作
 この句の季語,ゆく夏,は,まこと精妙の把握。
 さり気なく用いられて一句の背景をすっぽりと包み込んでいる。
 (略)
 爺さん,もう目に入れても痛くないほど可愛くて可愛くて仕方がないだろうな。
​と絶賛している。
 同じ孫を持つ身としてその解説はしみてくる。
 しかしこの句は言葉遊びどころかただ風景をうたったに過ぎないものではないのか。
 これもまた文学的香りは感じられない。
 俳句は,意言外にあるを知る,ものか。​
秋つばめある日私服の警察官​ 衣笠葉
 警備の関係で私服で勤務につくこともあるが,この句は非番の日。
 見知りの警官だが,特に挨拶したり話しかけるという間柄ではないだろう。
 たかだかと舞う秋つばめの空の下いつもの厳しい制服姿と違ってスポーティーな服装になったところを知るとどこにもここにもいる青年と何ら変わりないな。
​ などという解説など果たして必要なものかどうか。
 言葉を様々に当てはめて作る遊び,それが俳句なのだろうか。
 警察官は,消防士でも,教員でも,野球選手でも,相撲取りでも,etc…,この句は当てはまるが,結局警察官が一番絵になるということか。
 もうひとつ俳句が言葉遊びだということを表す作品。
 ずっと以前「銀座百店銘句会」で
村中が風邪ひいてゐる丸木橋​​ 杉森久英
という作品に感服したことがある。
 風邪が席題であったかどうか定かな記憶はないが,ともかく面白い作品である。
 ことに丸木橋はなんとも絶妙の景物。
 おのずから村の佇まいが念頭に浮かんでくる。
​ これはもう読み手が想像する他あるまいな。
 こうしてみると,句作はいかに多くの言葉を知っているかが勝負になるということだろう。
 自由な俳句を作っていた高校時代が懐かしい。







最終更新日  2019.03.21 05:00:11
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2019.03.13
カテゴリ:俳句
​​​
俳句、やめられません〜季節の言葉と暮らす幸せ〜【電子書籍】[ 岸本葉子 ]


​ 俳句の初歩の初歩はやはり,俳句の種,と呼ばれる12字だ。
 とりあえず上五は空欄にしておき,中七と下五から組み立てましょう。
 たとえば,今日外出したとします。
 家を出てから帰るまでの行動をなるべく細かく思い出してみます。
 靴べらを使った,玄関の鍵を回して締めた,車のエンジンをかけた,ショルダーバッグをおろした。

(春雨や,夏の雲,秋風や,冬の星)ショルダーバックおろしたる

 のように季語を入れれば一句出来上がり。
 だが,それでいいのだろうか。
 これでは単なる言葉遊びに過ぎないのではないか。
 今度は季語は変えないでその句に入るものを変えてみて季語との関係を探ります。
 冬の夜の膝の上なる(母の愛,夢一つ,毛糸編む,毛布かな,登山靴,本一冊,時刻表)
​​​ 結局俳句はまず言葉遊びだと納得することが必要なのかもしれない。
 12字の俳句の種法,か,季語先法,か。
 句作では,とにかく言葉遊びに徹することも必要なのかもしれない。






最終更新日  2019.03.13 05:00:07
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2019.03.06
カテゴリ:俳句
​​中村汀女 はじめて俳句を作る

​ さて俳句であるが,俳句の種は毎日何某かある訳で,それに季語をどう練り込むかが難しいのである。
 つまり12字+季語。
 この季語が実に難しい。
 自由な詩にはなりにくいのである。
 しかしながら季語の本を手元に置けば,少しは形がととのった俳句が出来上がることは確かだ。
 だが,これでいいのだろうか。
 そういう疑問が出来上がる。
 俳句を作る心
 消し去るにしのびない日々の色合いを記すのが俳句。
 (略)
 言ってみれば,私の俳句は身辺俳句で過ぎていく日々の中のある瞬間の思いを17字にしたに過ぎないもの。
 一種の日記と申せましょうか
​ となると,途端に俳句は難しいものになる。
 足枷を受けながらたった17字にまとめることの難しさよ。
 しかもそのうちの5字は季語と言うではないか。
 まあとにかく私もまた日記に毎日一首書き付けているものだ。
 私の俳句帳は年末に銀行や会社からいただく小さな日記をそのまま使っていいます。
 あれにはちゃんと鉛筆もついていますし,小型なので手提げにも入るし,私は帯の間に挟んでいます。
​​​ まあ,句作に励むのなら,こういうふうに俳句帳を持っていなければならないのだろうな。
 結構いい俳句が浮かんだりしているが,それを書き付けていないから,結局たとえば出先で浮かんだ句も家に帰ったときには忘れているのだ。
 こんなことが今まで一体何回あったろうか。
 この本をまとめると,日記に俳句を入れろということ,常時俳句帳を手元に置いておくこと,ということであろうか。






最終更新日  2019.03.06 05:00:11
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2019.03.05
カテゴリ:俳句
​​​​​​​​​​
俳句のつくり方が面白いほどわかる本 (中経の文庫) [ 金子兜太 ]


​ 俳句の要素に,取り合わせ,があります。
 取り合わせとは句を作るときの題材(句材),季語,と,その他のフレーズの組み合わせ。
 ぶつけることによって意外性や新しいイメージを生み出すことです。
 また取り合わせの多くは季語と他のフレーズとの組み合わせとなります。
 (例)
  曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太

 要するに季語と主題との取り合わせ。
 このことは夏井いつき先生の俳句の作り方でも,まず12字の俳句の種,それに最も合った季語をつけるとした方法に一致する。
 さて金子兜太先生は
 この近鉄に妙に新鮮な印象があるのです。
 これがお手柄ですよ。
 無意味の魅力ですね。
 語感からくる魅力のそれに近鉄特急の走っているあたりの感傷が思い出されるでしょう?
 大和と三重一帯が。
 それも当然あります。
 そういう地球の水田も土も焦げる春ですという感じが。
 かなり具体的に出てきますから,余計印象的なのです。
 ◎ 近鉄特急水田も土も焦げる春です 金子弘子
​​​​​​​​​​として上記の佳作を紹介している。
 いやあ本当に句作は難しい。






最終更新日  2019.03.05 05:00:08
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2018.02.20
カテゴリ:俳句

【バーゲンブック】俳句燦々【中古】


 趣味はなんですかと問われて私は妻ですと答える。
 今はギター弾き語り、水泳、読書、料理、絵手紙などなど多彩な趣味を楽しんでいるが、一番の趣味は妻である。
 そのような私と同じような考え、

森田澄雄
俳句燦々
 ところがいつであったかは忘れたが、博多に本を買いに行って電車に乗ったところ、大変車内が混んでいた。 
 その時車掌が「混み合っているのでお荷物は膝の上に乗せください」と告げたのを聞いてこれだと僕は思った。
 妻を一生大事に膝の上に乗せていこう。
 そう考えて結婚を決意したのだった。
 めとりし日筑紫野の菜の花
 春蝉にうづもれゐたる普賢岳

 たった17字に宇宙をこめるということ。
 結婚式の日の菜の花ですか。
 私はそんな夢見心地と違って、妻は結婚式の日の朝私のもとから結婚式へと向かった。
 もう、かれこれ37年前の話だ。
 のんきな話など何もない。
 私達は、多くの人から祝福され結婚したなどという綺麗事ではなくて、一日も早く一緒にいたいという思いで、それこそ、数々の反対に抵抗して、結婚式の朝を迎え、式場へと向かった。
 以来、今日まで私のスタンスは変わりなく、ひたすら妻を愛しこんにちに至った。
 この頃やっと妻のことを句にすることができるようになった。
 今でも夜は必ず一緒に寝る。
 私は妻がいないと何もできない。
 そんな人生に今は神に感謝している。
 これからも多くの神仏に対する感謝の気持ちは忘れないつもりでいる。






最終更新日  2018.02.20 06:00:19
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2018.02.19
カテゴリ:俳句

松尾芭蕉この一句 現役俳人の投票による上位157作品 [ 柳川彰治 ]

 上野、浅草を思う芭蕉の句である。

柳川彰治
松尾芭蕉この一句
 42位 花の雲鐘は上野か浅草か
 22点
 創作時期1687年
 数え44歳
 季節春季語花の雲
 口語散文例 花曇りの空に聞こえる鐘の音は上野の寛永寺か浅草の浅草寺か。
 解説 深川の草庵での作品。対岸にある上野、浅草はいずれも桜の名所である。

 風流ですなあ。
 桜の季節をふと思う。
 上野も浅草も深川も芭蕉の時代からあったのだなあとほのぼの思う。
 こんな句をいつかは作ってみたいと思う。
 それがいつになるかは皆目検討もつかぬ。
 そもそも凡人がこの句を作ったとすると言葉遊びだのなんのと非難轟々だろう。
 それにしても見事な情景ですなあ。
 この句は知らなかった。
 私は最高だと思う。






最終更新日  2018.02.19 08:56:26
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2018.02.18
カテゴリ:俳句

【中古】 金子兜太養生訓 /黒田杏子(著者) 【中古】afb


 自由な人生というのかなあ。
 人生に疲れてきたら、金子兜太さんのような生き方がいいのかもしれない。
 すなわち、

黒田杏子
 夜は仕事をしないでテレビを楽しむ。
 楽しむということだから責任を持ってみると言うんじゃないんだ。
 これが大事だ。
 見たくなくなれば見ない。
 他にチャンネルを回しながら見たりテレビと遊んでいるということですよ。
 だからどんな筋だったかわからないという場合がずいぶんあるんです。
 何を見たんだったかな、あの女優が良かったなということくらいしか記憶に残らない場合が結構あるんです。
 テレビで気軽に時間を潰すということかな。

というように、テレビを楽しむのだそうだ。
 こういうテレビの見方は、お脳をだめにすると脳学者が言っているが、兜太はその逆を行き、楽しんでいる。
 つまり、テレビの見方というのは、兜太のいうようなことでよろしい。
 だいたいテレビごときに気持ちを入れるなと言うことだろうねえ。
 でもテレビと言っても映画もあるので、そのときは別だ。
 スイーツは別腹と同じで、映画は別腹だ。
 その映画だが、10年ぶりにぽすれんに入り、一生懸命DVDを借りて観ているが、この度入ったひかりTVが映画のラインナップも充実していて、なかなかのもの。
 テレビはもう馬鹿にできません。






最終更新日  2018.02.18 06:00:13
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