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今日、何読んだ?

全7件 (7件中 1-7件目)

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報道

2020.08.18
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カテゴリ:報道

朝日新聞と私の40年戦争【電子書籍】[ 渡部昇一 ]

 そもそも著名な英語学者にして知的巨人である著者がなにゆえ朝日新聞と一戦を交えることになったのか。
 またそれが40年もの長きに渡ったのはなぜか。
 それらについてコンコンと述べられてあるのが本書だ。
 さてその朝日新聞、今や誤報の権化みたいに言われている。
 しかし著者によればかつての言論人は朝日に頭が上がらなかったという。
 それはともかく著者が論壇デビューしたのは、
 書き上げたところで、「こんな書評でいいんですか?」と尋ねたところ、安藤氏は一読するなり「面白い!」と言って、『諸君!』1973年11月号の巻頭論文にしてくださった。
 題して「新聞の向上?──楚人冠『最近新聞紙学』を読む」。
 これが私の実質的な論壇デビュー作となりました。
​ ということだそうだ。
 楚人冠というジャーナリズムの神様がいてこの人の基準からみた1973年当時の新聞について著者が鋭く批判をしたというものだ。
 それによれば当時から朝日は鼻持ちならない新聞で、すくなくともズルの権化だったらしい。
 その後数々の誤報をし、目立たない謝罪を繰り返してきて、この国の国益を損なってきたというわけだ。
 特に自虐史観に関する朝日の役割は大きい。
 朝日は日本人の歴史観をミスリードし続けてきた。
 その結果がこのような国になった。
 逆説的に考えれば朝日とはそれだけ偉大だったのだ。
 また、『朝日新聞』は「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」(1991年12月10日付)、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。
 その人数は8万とも20万ともいわれる」(1992年1月11日付)などと報じました。
​は、全くの事実誤認だ。
 それにしてもなぜ朝日はこれだけ自国を愛することができない新聞だったのだろうか。
 なにゆえ事実と違うことを述べことさら日本を貶める道に走ったのだろうか。
 ジャーナリズムとはあったことをありのままに報じることではないのか。
 なにゆえ偏向したのか。
 興味がつきない。






最終更新日  2020.08.18 05:00:07
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2020.06.11
カテゴリ:報道

◆◆同調圧力 / 望月衣塑子/〔著〕 前川喜平/〔著〕 マーティン・ファクラー/〔著〕 / KADOKAWA

 本書の著者は3人。
 最後の外国の方についてはよくわからない。
 望月衣塑子と前川喜平(敬称略)はアンチ安倍政権の代表格。
 本件については、この両名の言い分しかないので、政権側の考えがよくわからないから、軍配を上げることはできない。
 ただし、本書は、望月にしろ前川にしろその言い分が理路整然としており、本書だけを読むと、政権側がずっと分が悪くなるのは確かだ。
 今回は望月の案件についてのみ書くが、前川が書いた分も本当に面白い。
 この、望月・前川の案件については、政権側の言い分も含めてまた俎上に上げたいと思う。
 それはともかく、望月事件の端緒的な部分であるが、​
 菅官房長官は奥野議員の質問に対し、興奮して声を荒らげている。
 「取材じゃないと思いますよ。決めうちですよ。事実と異なることを記者会見で、それも事前通告も何もないわけですから。私だってすべて承知しているわけじゃありませんから」  
 「東京新聞に対しては9回の申し入れを行っています」
 顔を真っ赤にして語気を強める菅官房長官の様子に、同僚や幹部らはあっけにとられている。
 ポーカーフェイスで通してきた菅官房長官が、私の質問に対してだけむきになることは、これまでの定例会見でも何度か目にしていたが、そのとき発していた内容が内容だけに体が熱くなるのを感じた。
 「あいつは記者じゃない」と一方的に決めつけられたも同然ではないか。
 ふつふつと怒りが湧いてきた。
 これではどちらが「決めうち」か。
​と、まずは、菅vs.望月の構図のようなところ、最終的には、
 2月18日に共同通信が各加盟社に対し、いったん配信した記事の一部を削除すると通知してきた。
 その記事は、官邸側が私の質問に対して制限をかけようとしてきたことに対し、さまざまな反対の声が上がっていることを紹介する内容だった。
 1で紹介した年末の申し入れ書が出された経緯や、その後に報道関連団体から出された抗議声明、識者の見解などを紹介する記事の終盤に差し掛かる以下の段落の記述が削除されたという。
 〈 メディア側はどう受け止めたのか。
   官邸記者クラブのある全国紙記者は「望月さん(東京新聞記者)が知る権利を行使す
  れば、クラブ側の知る権利が阻害される。
   官邸側が機嫌を損ね、取材に応じる機会が減っている」と困惑する〉
 さらに共同通信は削除理由について、こう記していたという。
 〈 全国紙記者の発言が官邸記者クラブの意見を代表していると誤読されないための削除
  です〉
 

と、共同通信の記事削除事件につながり、政権vs.ジャーナリズムの構図に変わる。
 現政権は憲政史上一位の超長期政権なので、そりゃあほこりも黴菌もたくさんあるだろうが、そのどれもが釈然としないまま今日に至ってしまったのではないか。
 そして今回のコロナ禍のあたふたとしたおそまつな舵取り、これらをつぶさに見てそして本書のような報道機関に対する締付けがあったとしたら、ただただ長いだけの政権で終わってしまうのではないのか。
 あの安倍政権というのは一体何だったのか、ということになってしまうのではないのか。
 それはともかく、菅官房長官が心から嫌った望月衣塑子記者というのは一体何者だったのか。
 なぜ菅長官がそれほど嫌ったのか。
 本書以外に何もすることはできないので、今は事実の検証のみにするが、本書のうち望月事件については、政権vs.ジャーナリズムの問題に発展している分、見逃せない。
 ジャーナリズムは本件をもって果たして現政権を打倒することができるのか。
 甚だ興味の深い問題だ。






最終更新日  2020.06.11 06:13:55
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2020.05.24
カテゴリ:報道

日本テレビの「1秒戦略」(小学館新書)【電子書籍】[ 岩崎達也 ]

 現役時代はテレビのことなどあまり考えたこともなかった。
 しかし、定年退職後は結構テレビを観る機会が増え、特にワイドショー関係は、まるで横並び、1つの事柄が起きるとアリのようにその話題に各局群がり、そして同じようなコメントを集め魔女裁判を遂行していくことを目の当たりにした。
​ メディアたるテレビがこれでいいのだろうか。
 よろしいわけがない。
 それじゃあ、なぜテレビ界では横並び現象が起きているのだろうか。
 それは当然視聴率戦争の結果だ。
 お台場にあの球形を施したフジテレビの新社屋が落成した折、確かフジテレビはテレビ界の王者だった。
 フジテレビは81年にキャッチフレーズを、母と子のフジテレビ、から、楽しくなければテレビじゃない、に刷新して大々的にアピールし、お笑い要素の濃いバラエティ番組中心の編成を進めた。
​ これがあの、ひょうきん族、でしたね。
 ここでフジが王者となる。
 しかしそのままであってはならないのがテレビ界で、​
 94年4月の大改編後、日本テレビの視聴率はみるみる上昇していった。
 9月末日の94年上期の時点でフジテレビは、全日9.0%、ゴールデン15.1%、プライム14.7%、対する日本テレビは、全日10.4%、ゴールデン16.9%、プライム16.3%。
 なんと日本テレビがすべての時間帯でフジテレビをリードしていたのだ。
と日テレが王者を奪回する。
 このような熾烈な戦いの結果今のテレビ界があるわけだ。
 テレビは、かつて映画からその主役を奪ったがごとく今やインターネットを中心とした様々なメディアからその主役を虎視眈々とねらわれている。
 もはや絶対王者ではない。
 だから、横並び、護送船団方式で生き延びようとでも言うのだろうか。
 テレビ界にとってこわいのは、視聴率だろう。
 1局が他と違う異論を挟むことは実に危険なことには違いないが、常に大同におもねっている必要性はどこにもないのではなかろうか。
 たまには、その局独自の意見を聞きたいものだ。






最終更新日  2020.05.24 06:12:45
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2020.04.24
カテゴリ:報道

報道の脳死(新潮新書)【電子書籍】[ 烏賀陽弘道 ]

 こんな本が2012年に刊行されていたことに驚いた。 
 現役を引退して暇になり思ったことは、まさに、報道の脳死、だった。
 特にテレビのワイドショーの横並びはひどい。
 そして魔女裁判。
 同じ題材を取材して違う見解を述べたものなど一つもない。
 一番ひどかったのが一昨年の日大タックル事件。
 ワイドショーで袋叩きにあった魔女である、内田さんと井上さんは後に警視庁により嫌疑無しで検察庁に送付され、検察庁においても不起訴終了だった。
 つまり魔女は無罪だった。
 にもかかわらず魔女は、テレビのワイドショーで丸焼きにされてしまった。
 対する被害者は検察庁に送致されている。
 同じように塚原夫妻を魔女にした報道の魔女裁判があった。
 これらの報道の魔女裁判の裏には、実は著者が指摘する、​
◎ 粗悪記事のタイプ別分類
 こうした3.11報道で顕著になった新聞・テレビが陥っている粗悪な記事のパターンを私なりに雑駁に分類してみた。
1 パクリ記事
2 セレモニー記事
3 カレンダー記事
4 えくぼ記事
5 観光客記事
の存在があり、なかでも4の、えくぼ記事について著者は、
 3.11報道でのえくぼ記事のパターンは大体こうだ。
1 ポジティブな物語
2 笑顔の写真
3 復興あるいは回復の物語
 そしてもう一つの重要な要素は
4 悲嘆、憂鬱、不安、憎悪、対立、離別、離散、絶望など、負の人間的要素、を一切消してあることだ。
 実際に3.11の被災地を歩いた経験があればこうしたえくぼ記事がいかに人間の矛盾、奥深さ、不可解さに無頓着かすぐにわかる。
 (略)
 救援物資はあり余っていて何が欲しいかと被災者に聞いたら、酒とタバコ、と言われた。
 災害の中嫁と姑が喧嘩する。
 夫婦が離婚する。
 家が破壊されても隠れてセックスをする。
 不幸の中で笑う。
 冗談を言う。
 全部私が被災地で見聞した話ばかりだ。
 人は矛盾している複雑だ。
 建前や綺麗事など現実ではありえない。
 (略)
 こうした現実を踏まえて3.11報道のえくぼ記事を見返してみる全く顔から火の出るような恥ずかしいおめでたい話ばかりだ。
 まるで中学の生徒会長が書いた作文のように世間知らずな内容である。
と指摘する。
 こうしてみると、あの巨大地震の後報道は脳死してしまったということになるのだろうか。






最終更新日  2020.04.24 05:00:08
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2020.04.19
カテゴリ:報道

こんな朝日新聞に誰がした? (Wac bunko) 長谷川熙 永栄潔

 そもそも朝日新聞は左翼新聞である。
​ それは、
 ただ、慰安婦報道を主導した一人である論説委員が、AERA、時代に、朝日に左翼じゃない記者なんているのか?と長谷川さんに聞こえよがしに嫌味を言ったという朝日社内の空気もはわかる気がしましたが、戦前・戦後を通じて朝日が共産主義者で満ちているという見立ては、そうなのかなあ、と思いました。
とか、
 「なぜ、このような暴虐が社会主義国家では起こり得たのか」という部分で、それをデスクは、「社会主義国家で」と、つまり、「国家では」を「国家で」と修正したのです。
 ー ある意味、非常に的確な修正ですね。たった一字の直しで意味が逆になってしまう。
 どうしても共産主義、社会主義を悪しきものにしたくないという意識が条件反射的に働くのでしょう。
 これを私は、「崩壊 朝日新聞」で「パブロフの犬」と評したのです。
​という記事から明らかである。
 上記、崩壊朝日新聞、は朝日新聞を研究する者にとっての必読書だということが本書を読んでわかった。
 朝日が左翼であるとの前提で、更に突っ込めば、あの悪名高い、吉田清治の、従軍慰安婦事件よりもひどい、杉山外務審議官事件、というのが存在するらしい。
 杉山外務審議官が国連で語った、従軍慰安婦に関する見解を朝日は記事にしなかったというのだ。
 他の新聞がきちんと書いたにもかかわらず。
 人には正確な物書きを要望するくせに自分の非は語らない、というのが朝日の岩盤だと、本書では語っている。
 朝日については、私は、実は、平成元年から31年まで実に30年もの長期間に渡って読者だった。
 今もデジタル版はチェックしている。
 朝日をやめたのは、単に冒頭に書いたように、左翼、だからではない。
 むしろ、左翼だからこそ、今が見える、ということもあり、また、様々な意見を聴くべきであるというポリシーも手伝って、取り続けてきた。
 さらに、私自身、毎日の一方的な報道攻撃にあって困っていたときに、反論を、というより、正論を載せて救ってもらったこともあって、30年もの永きに渡り取り続けていたのだ。
 それが、従軍慰安婦の問題やら数々の誤報捏造に対する同紙のスタンスがもはや私には我慢できないレベルに達し、袂を分かつことにしたのだ。
 崩壊朝日新聞、私にとって必読だ。






最終更新日  2020.04.19 05:00:08
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2019.08.05
カテゴリ:報道
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NHK、鉄の沈黙はだれのために 番組改変事件10年目の告白 [ 永田浩三 ]

 NHKの問題は受信料のあり方だけの問題ではなくその報道姿勢が時の政権に対してどうかという問題をはらんでいる。
 時の政権による報道統制と捉えられるものが数多くあるらしく、
 最初は伊東さん自身も放送前に本を見せたと言っていた。
 それがなぜ急にNHKをあげて否定に転じたのだろうか。
 伊東さんが世を去った今本人に確認するすべはない。
 しかし中川氏から放送前に働きかけがあったとの痕跡を徹底して消しておきたかったと考えるのが自然ではないだろうか。
​という憶測記事も生まれている。
 時は21世紀になって間もなくのころですな、関係する政治家は、中川昭一氏、安倍晋三氏、ということで、つまり現総理大臣の今から17年も前の話だ。 
 ETV 2001シリーズ,戦争をどう裁くか,第2回目の放送前日の2001年1月29日午後野島直樹総合企画室担当局長らが中川昭一氏,安倍晋三氏に呼ばれ議員会館などでそれぞれ会った。 
 両議員は公平で客観的な番組になるように求めた。
 中川氏においては公平な番組ができないようならやめてしまえと放送中止についても言及したと言う。​
​ というような牽制ですな、それがあって、NHKはかなり難儀したらしい。
 というよりも本当に正しい報道だったのかも含めて検証されなければならない問題なのではないか。
 今のようなメディアの反証のない一方的な垂れ流し的報道に対しこのころは報道の前に右に位置する議員の検閲が入っていたらしい。
 こういう検閲もいかがなものかとも思うが、特に大きな報道はその裏付けが十分だと判断できなければ報道すべきではないし、報道するならばその反論も必ず交えるべきで、一方的な魔女裁判は断じて行ってはならないと思う。
 特に昨今のワイドショー的な報道のあり方は問題ではないのか。
 昨年の日大アメフト問題では一方的に善悪が作られ悪と思われる方を糾弾していた。
 しかし捜査に関しては真逆の結果になった。
 捜査の段階でですよ。
 起訴とか公判に至っていないんですからねえ。
 日本の至宝ともいうべき体操の塚本夫妻が糾弾された問題もしかり。
 この2つの問題は奇妙にも同姓の未成年アスリートが絡んでいましたなあ。
 問題はパワハラという点に収斂されるんでしょうが、それ以外の点の細かい検証がなされないままメディアによる断罪がなされています。
 捜査の段階で嫌疑不十分となった事案についてメディアが断罪する権利があるのでしょうか。
 これも人権侵害の一つではないのでしょうか。
 今年の吉本問題はどうですか。
 これまたみごとに問題がすり替えられ、犯罪集団の存在や被害者を無視して、吉本上層部VS.記者会見した二人の芸人となり話が進んでいる。
 そしてまた同じような図式で頼りない管理者たちを断罪する暴挙に及んでいる。
 一方で粛々と謹慎期間ボランティアなどをしてきた関係芸人たちは9月にも復帰するという。
 さて、問題は奈辺にあるのでしょうか。
 一つしかない真実の切り方次第では悪も善になり善も悪になる。
 それを作ることができるのがメディアだということです。
 つまり両刃ということです。
 だからメディアはどんなときでも公正中立であるべきだ。
 一方的な断罪ではいけない。
 必ず反証を添えるべきだ。
 今回の吉本問題では良識的な意見を出していると、高橋真麻さんが評価されているようです。
 また反証してくれる吉本側の女性も番組に出て弁護してくれています。
 魔女狩りはもういい加減やめてほしい。
 今回の吉本問題が去年の日大問題女子体操問題のような一方的な魔女狩りにならないことを望んでおります。






最終更新日  2019.08.05 05:00:07
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2019.08.02
カテゴリ:報道
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【中古】 徹底検証!NHKの真相 大手メディアが報じなかった“伏魔殿”の正体! East Press Nonfiction/イーストプレス特別取材班(編者) 【中古】afb

 N国党の問題でまたNHKに関する話題が上がっているがそもそもNHKの問題は昔からあったもので、平成16年には次のようなことが起こっている。​
 (略)
 どんな事件が起ころうとも最初の40分は地震だけという硬直した発想でNHK ニュースは金縛り状態になってしまうのだ。
 典型は04年10月29日のニュース7。
 この日の日本人の主要な関心ごとはイラクの日本人人質の斬首期限切れでどうなった香田証生さんの首はまだ繋がっているのかという心配だった。
 ところがNHKはあろうことかもう2日前からみんな繰り返し見た中越地震土砂崩れでの2歳児救出の映像を先に流した。
 以後7時40分まで地震速報で埋め尽くしたが,とにかく無事に時間を引き延ばさなければならないから,後ろの方はスカスカの水増し報道となり,素材を要求される現場は苦労する。

 このことは時の政権を慮ってのことだということを言いたいわけだ。
 また、
 だが視聴率がテレビの大原則であるということと全ての番組は視聴率を高くすることだけを至上の目的にしなければならないということは全然別の話。
 大原則にも例外が必要だということも忘れては困る。
 中越地震で避難所生活を余儀なくされた被災者が10万人近くもおり,寒い夜が始まって朝までに亡くなるお年寄りが出るかもしれないというときにその関連項目を後回しにして何日か前に助け出された幼児が病院でプリンを食っただのと最初に伝えるのはニュースとして間違っている。

と、先の中越地震の報道のあり方に疑問を呈している。
 が、あの地震で奇跡的に助かった幼児の姿を伝えて何が悪いのかね。
 NHKに対する批判の視点がずれてやしないか。
 先の記事では地震よりイラクの人質問題に人々の関心が行っているのではないかそれなのになぜ政権に慮っているのかということを言っているのだと思うが、そうだろうかあのときの大多数の国民の関心は地震にあったと私は思う。
 あの地震は巨大地震の前の話であの時代ではとても大きな地震だった。
 私は自宅の本棚を必死におさえていた記憶がある。
 従妹の嫁ぎ先はとんでもない害を被った。
 それだから今でも鮮明に覚えている。
 そして助かった幼児があの災害のかすかな曙光だった。
 ならばあの地震を例にしてNHKを語るのはいかがなものか。
 NHK批判に関してはもっと別の切り口があったろうに…。



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最終更新日  2019.08.02 05:00:06
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