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今日、何読んだ?

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神道

2020.10.20
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カテゴリ:神道

ていうか、神さまってなに? やばいほど願いが叶い出す!!【電子書籍】[ 荒川 祐二 ]

 久しぶりに神道の本を読みましたな。
 そういえば一年前京都を訪れたがその前に少しずつ神道の勉強をしたのだった。
 あれからもう1年も過ぎたんだな。
 本書では神というものの存在や死後のことなど事細かに説明をしてくれる。
 いわば神道の応用本だ。
 神様は存在し死後私達は神様のように存在するということが本書の肝だ。
 それはともかく、
 「『○○になりませんように』っていう願い方は、『○○になりますように』って、深層心理で言っているのと一緒やねん。
 ほれ。
 『嫁さんが愛想をつかしませんようにとか、子どもがグレませんように』って言うのは、『自分は嫁さんに愛想を尽かされるような人間です、子どもをグレさせるような人間です』って言ってるのと一緒やん」
 「たしかに!!」
 よく考えてみると、その通りだ。
 自分はどうしようもない人間だと思っているから嫁さんにいつか愛想を尽かされることを恐れているし、ダメな親だと思っているから子どもはいつかグレてしまうのではないかと恐れている。


というように本書は自分の思い通りに物事が実現するための方策本でもある。
 神に願うときはポジティブに強く願わなければならないというのだ。
 そして、
 ​スサノオさんは深呼吸をして気持ちを整えてから、まじめな顔になった。
 「『もっと〇〇になれますように』と、願いの前に『もっと』をつける。そうすると、『今も十分〇〇だけど、もっと〇〇になれますように』と、見事に深層心理の設定が変わる」
 たしかにそうだ。
 もっとお金を稼げますように。
 もっと家族が仲良くなれますように。
 もっと幸せになれますように。
 なんだか、しっくりくる。
 「おぉ!凄い!! そう、こういうのだよ!! こういうのが聞きたかったんだよ!! よっ!スっさん!日本一!」
 僕に褒められたスサノオさんは、まんざらでもない顔でうなずいた。
​など、mottoをつけた願文が必要だというのだ。
 人は死ぬことなく何らかの形で全体に繋がっているからその思いは必ず聞き入れられるのだが、言い方次第で逆になることもあるのでもっとをつけなさいということと否定的な願いはしないことの2つに気をつけてくださいというのである。






最終更新日  2020.10.20 05:00:07
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2020.05.29
カテゴリ:神道

伊勢神宮の暗号【電子書籍】[ 関裕二 ]

 著者は天照大神は架空のもので、興味もない、などと言いながら、天照大神が祀られている神宮に俄然興味を持つ。
 そのわけは、日本神話が歴史とリンクしていることに気づいたからだ。
 まず、
 この図式が見えてくると、なぜ持統天皇が「女神・天照大神」の捏造を急いだのか、その真意がつかめてくるのである。
 持統天皇にとって、「天武の王家を継承する」という意志を見せなければ、即位の可能性はなかった。
 当然、持統→文武→聖武とつづく王家は、血統の上では、「天武の王家」ということになる。
 だが一方で、持統天皇は、「天武の王家」の中でも、「持統の血を引いたものだけが王になれる」体制をつくろうと目論み、そのための大義名分を必要とした。
 そこで編み出されたのが、「女神・天照大神」という偶像だったのである。
として、持統天皇を天照大神に比定する。
 この論は他の書籍でも読んだ覚えがあるので、少しはポピュラーなのかもしれない。
 著者は、天照大神の性別にも言及する。
 そしてどうしても太陽神は男性でなければならないとして、
 そこで、伊勢神宮に祀られる神の「性別」に注目してみよう。
 『日本書紀』を信じるならば、伊勢神宮の祭神は、天皇家の祖神で太陽神の天照大神で、この神は女性である。
 けれども、本来の太陽神は「陽」で、この属性は男性のそれであり、当然、世界の太陽神は、たいがいの場合、男性である。
 なぜ『日本書紀』は、太陽神を女性としたのだろう。
 天皇家が、未婚の皇女(斎王)を斎宮に遣わし続けたことも、伊勢の神が男性だったから、と考えると合点がいく。
 この場合、斎王は神の妻である。
と述べ、最後は、日本武尊と武内宿禰が同一人物だ、とまで言い切り、神宮の御祭神は武内宿禰であるとまでいうのだ。
 これらについては、勢いで読み進まないと、何が何やらわからないことになる。
 ただ、神宮の御祭神は天照大神ではないのではないかという疑問のもと、最終的に武内宿禰に持っていったという論理だ。
 著者の推論であるから、いいも悪いもないわけで、じゃあ、科学的にどうなのよ、という話だ。
 神宮が日本の神様の大元だという事実がある以上、やはり定説になびくよりないと私は思う。
 事実関係はどうあれ日本の古代史を議論するにはとても面白い本なので、日本古代史に興味のある人にはぜひ呼んでもらいたい本だ。






最終更新日  2020.05.29 06:12:31
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2020.05.20
カテゴリ:神道
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【中古】【古本】とんでもなく面白い『古事記』/斎藤英喜/監修【文庫 PHP研究所】

 神道知りたきゃ本書を座右に置け、と言いたいほどの名著だ。
 日本の神話が実によくわかる。
 それは、古事記を元にしっかりと編集してあるからだ。
 これに国史たる日本書紀が入ると混乱を来す。
 日本の神話あるいは神道についての基本を身につけるため、とにかく本書を読んでほしいものだ。
 ところで、アメノミナカヌシから始まる日本神話だが、その神話については神話として理解するほかあるまい。
​ 気になるのは、神が地上に降りてきてからの日本の有り様で、たとえば、
 さて、この綏靖天皇から第九代・開化天皇までの八人の天皇について、『古事記』ではどんな妻がいただの、どんな子が生まれただの、何歳で亡くなったといった系譜だけがえんえんと続いて、どういった政治をしたかは何も伝わっていない。
 いわゆる「欠史八代」と呼ばれる時代だ。
という、欠史八代問題というような部分だ。
 さらには、
 後継ぎのなかった第25代・武烈天皇の死没で、途切れてしまった天皇の系譜。
 これは、本来あってはならないことだった。
 朝廷では、ほんの少しでも皇位継承ができそうな人物を、探して探して探しまくった。
 そこで担ぎ上げられたのが、第15代・応神天皇の五世の孫らしい、ヲホドだった。
 はるか近江国(現在の滋賀県)でひっそり暮らしていたヲホドは、第24代・仁賢天皇の皇女にして武烈天皇の姉、タシラカノイラツメの婿に迎え入れられ、第26代・継体天皇として皇位を継承したのだった。
 こんな形で天皇が据えられたのは、異例中の異例だった。
 それにしても情報を得る手段の少ない時代に、よくヲホドを探し当てたものだ。
 皇位継承権があるのは天皇五世の孫までとなっていたから、ぎりぎりだったわけだ。
というようなこともあった。
 つまり、現代の天皇家が脈々と同じ系統だったのかと言うと、もはやこの記述のとおり怪しいものだ。​
 昨年皇位継承があり、その後、皇位継承について男系だの女性だのという議論や世論調査がなされたりしているが、上記記述のことがわかっていてしているのか。
 上記のようなことは、実は、本書によるともう2つはあったようだ。
 とすると、万世一系、という皇統について疑問符がつくということになる。
 つまり、古事記をしっかり精査しなければ、皇位継承云々についての議論の方向性誤ってしまうということなのだ。
 すくなくとも、皇位あるいは天皇家についての議論をするのなら、古事記を読んでからでなければ、スタート位置に立てないということなのだ。
 その意味で、皇位継承とか天皇家について軽々に議論はできないということになろう。






最終更新日  2020.05.20 05:16:41
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2020.04.07
カテゴリ:神道

日本人の神【電子書籍】[ 大野晋 ]

 まずは明治維新のときに出された、王政復古やら、神仏分離令に関する通達から。
一、今回王政復古、神武創業のはじめに還り、カミの子孫である天皇を原点として政治を行い、万事を一新する、といことだから、社僧などと言って出家した僧侶の形で神社に勤めていたものは全部還俗して神主・社人として神道を以て勤めなさい。
一、仏像をもって御神体としている神社は今後改めなさい。
一、全国に有名な石清水八幡大菩薩、宇佐八幡大菩薩、筥崎八幡大菩薩などと唱える称号は今後廃止し、八幡大神と改めなさい。
一、神社の混淆は今後は廃止しなさい。  
​ つまり、それまでの仏と神の関係はこの通達とは全く逆の形であった。
 だから、神社には、出家した社僧が存在した。
 神社の御神体は仏像だった。
 八幡様は八幡大菩薩だった。
 寺と神社は極端に言うと同じものだった。
 ということになろう。
 それはともかく、日本語の神の語源はタミル語に由来するらしい。
 日本語のカミ(神)という言葉はそれを取り巻く関連語とともにセットをなして、タミル語の古代語、komi-an及びその周辺の単語群と対応するわけで、この対応は日本の宗教意識の成立の考察に対して様々な影響を生じる基本的事実となると思われる。
 ​確かに、神という言葉からの日本古代の神へのアプローチは一つの方法だろう。
 しかし、言葉のみによって日本神道の何たるかを証明することにはならない。
 つまり、総合的に日本神道の研究を進めないと、日本神道の神にいきつかないと私は思う。
 私は神道の研究はまだまだ少ないと思う。
 神話の読み込み、記紀の研究、神話が世に出された時代の歴史的背景の研究がまだまだ不足しているように感じる。
 神は現に存在すると感じることができるのだから、それでいい、のではなく、そのバックボーンを知りたいと思うのは私だけではないと思う。
 したがって、まだまだ研究が必要だと言っているのである。






最終更新日  2020.04.07 05:00:07
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2020.04.06
カテゴリ:神道

神道〈いのち〉を伝える新装版 [ 葉室頼昭 ]

 まず日本人の特性について、著者は
 日本人というのは自然とともに生きてきたから生かされるということを当たり前にやってきたから、自然のテレパシーを聞ける最高の民族なんです。
 自然のテレパシーを感じることのできる世界でも稀な民族だと私は信じています。
 今でもアマゾンの山奥とかアフリカの山奥に未開の民族がいます。
 その人たちも自然とともに生きている。
 そして自然の気というのを受けているんでしょうが、申し訳ないけれども、そういう民族には文明というものがない。
 ところが日本人は気を知る能力を持ちながらかつ文明を持っています。
 これは世界で日本だけなんです。
と述べる。
 神社に行って神を感じるということは上記のようなことを言うのだろうか。
 そうすると神とは、自然のテレパシーということになる。
 ​それはともかく
 ところが神戸はその断層の上を都会のコンクリートで塞いでしまったから、エネルギーが出るところがなくなって、とうとうああいう地震という形で現れてきた。
 それに比べ春日大社は原生林がそのままあって、コンクリートやアスファルトで塞いでいないから常に地からのエネルギーが溢れ出ている。
と地震論も論じているのだが、このことは科学的に正しいことなのだろうか。
​ 確かに私は神社で神を感じることがあるから、自然のテレパシー論に異論を出そうとは思わないが、地震に関し、地からのエネルギーを封じ込めてしまったということに関しては、地震に関し科学的にかなり進歩した現在、そしてかなりの高率で南海トラフとかいうところの地震発生が叫ばれている現代、上記地震論が妥当かどうかは疑わしい。
 しかし、南海トラフに関していえば、コンクリートやアスファルトで塞がれた地帯であることは間違いない。
 つまり、神道学的にも、大地震はまた来るということが予想できるということだ。
 桑原桑原である。






最終更新日  2020.04.06 06:14:49
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2020.03.19
カテゴリ:神道


知識ゼロからの京都の神社入門 [ 佐々木昇 ]


 本書はこれまで何回か読んだ本で、前回京都旅行をしたときにも参考にした本だが、今回は、特に貴船神社と松尾大社に行ってみたいななんて思って抜き書きしたところだ。
 ところで、神社は、
 仏教伝来から1世紀以上を経て神道が確立され、神殿を持った神社が出現する。
 神社の一般的な成立は飛鳥王朝(592年〜694年)の天武天皇(在位673年〜686年)の時代と言われる。
 その後、一部の神社を除いて、その多くは寺院に組み込まれる形で存在した。
 このような歴史的な流れがあったので、日本人の宗教は長い間、神仏習合、の状態にあった。
​というように、仏教有利な中発展したという事情があるらしい。
 明治維新でその地位が著しく逆転してしまい、今では仏教神道双方が全く異質の宗教として捉えられているのだが、この両者の結びつきが一気に否定されるものではなく、この両者を深く勉強すればするほど関係なしにはおれないという事実にも気づく。
 確かに神仏の分離は学問的あるいは宗教のイデオロギーから必要だったことかもしれない。
 しかしそれは天皇制という立場からの話なのであって、明治維新後の天皇制の前の天皇制ではたしかに神仏習合であったのだ
 それはともかく、八百万と言われる日本の神々ですなあ、これを無視することはできない。
 それは仏教とも違うパワーを感じるものなのだから。
 今回は次の2神社を訪れてみたい。
 貴船神社
 社伝によると反正天皇の御代(5世紀はじめ)の創建と言われている。
 神武天皇の母である玉依姫が黄色い船に乗って大坂から淀川、鴨川、貴船川を遡って上陸した。
 そこに水の神を祀ったのが起こりとされる。

◎ 松尾大社〜酒造にまつわる洛西の神社
 松尾大社の背後松尾山の頂上に近い大杉谷には、磐座と考えられる巨石が祀ってある。
 (略)
 秦氏の集団は松尾山の神を同族の総氏神として仰ぎつつ、新しい技術や文化をもってこの地方の開拓に従事したと伝わる。
​ 様々なエピソードに包まれた貴船神社、酒と秦氏の松尾大社、魅力がありますねえ。










最終更新日  2020.03.19 05:00:08
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2020.03.18
カテゴリ:神道

山伏ノート 自然と人をつなぐ知恵を武器に (ART OF LIVING生きる技術!叢書) [ 坂本大三郎 ]

 今度は山伏の話。
 山伏は神仏習合の象徴的な人たちだ。
 明治維新に廃仏毀釈があり、その過程で神道と仏教が分離してしまったのだが、それまでは、神仏習合で、山伏が両者の架け橋でもあったのだ。
 さて、その山伏は、八幡信仰と関係があるらしい。
 ​
 朝鮮半島から海を渡ってきた人たちが北九州のあたりに上陸し、鉱山資源を求めて山に入りました。
 そうして形作られていったのが初期の山岳信仰だと考えられています。
 彼らはタタラと言われる製鉄集団をつくりますが、大分の宇佐八幡信仰と深い関わりがありました。
 八幡は、ヤハタ、とも読みますが、ヤハタやハタは朝鮮半島の古い言葉で海や海賊を表す言葉でした。
 彼らは集団の頂点に女性シャーマンを置き、山伏と思しき男性集団たちが鉄づくりを行っていたのです。
​ ということだ。
 ​まさに北九州市八幡区あたりに上陸し大分まで言ったということでしょうなあ。
 ハタ、という言葉、これは朝鮮半島と切っても切れない関係なんですなあ。
 ​なのになぜ今彼の国との関係が悪化しているのだろうか。
 日本で一番多い神社が八幡様なんですよね。
 しかしながら八幡様は応神天皇と母君の神功皇后が御祭神と言われている。
 この辺のギャップですな、これを明らかにしなければなるまい。
 次、多分、葉山、のことだと思うが、
 また山は死の世界ともつながっていると考えられていました。
 僕が山伏修行を行っている出羽三山の東北では今でも人が死ぬと集落の近くにある小高い山にしばらく留まると考えられています。
 その小高い山のことを端の山という意味で、ハヤマ、と読んでいます。
 ハヤマにとどまった死者霊は33年という年月をかけて深山に登っていき、その過程で浄化され神様になると考えられています。
なのだそうだ。
 長井の西にある山は通称西山で、正式名称は、置賜葉山、だ。
 つまりあの山に死者霊は留まるということですねえ。
 確かに小高いというにふさわしい山だ。
 しかし今まで彼の山を眺めて、そのような霊山だったなんてことは思ったことがなかった。
 これからは見る目が変わってしまうね、西山を見る目が。






最終更新日  2020.03.18 05:00:07
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2020.03.17
カテゴリ:神道
熊野大社 篠原四郎
 
 八幡様を勉強したら今度は熊野様と思い本書を読んだが、なかなか思い通りに理解は進まない。
 神社神道というカテゴリーにありながら、八幡様も熊野様も全く別の神様で、もし宗教とか宗派と言ったものに比定するならこれらは全く違う宗教なのだとなるようなそんな感覚になる。
 熊野大社には、母神伊邪那美命が祀られる。
 花の窟の祭神は伊弉冉尊であって、万物をお産みになった母神であるから、「結び」→「産び」の神と申し上げて一名「熊野夫須美神」と申すのである。
 熊野三所権現中の一神であって、三山ではともに祀っている。
 古事記には、神去りましし伊弉冊尊は出雲国と伯伎国ととの堺である比婆山に葬る、としてある。
 それのみか、出雲神の、素戔嗚尊が熊成峯から根の国へ行かれた、とか、少彦名命が熊野の崎から常世の国に行かれたとか、出雲と熊野とを混同して記してある。
​ ということだ。
 熊野と出雲の混同が甚だしいらしい。
 昔の人も混同しているものを現代人が混同しても何らおかしくはないということになろうが、そうもいかぬ。
 私は神道を体系的に勉強したいのだ。
 さて、天皇家と熊野大社の関係であるが、
 天皇の軍は紀伊の名草邑(現在の和歌山市と推定される)に上陸して名草戸畔(なぐさとべ)を平定されたが、長髄彦(ながすねひこ)の軍に敗れて熊野灘に出られた。
 しかし大暴風雨にあって稲飯命、三毛入野命の2人が遭難される災難にあいながらも、手研耳命(てすきみのみこと)と熊野の荒坂津に上陸しその地の氏族の頭であった丹敷戸畔(にしきとべ)を平げになった。
 このとき毒気に当たって天皇の軍はみないえてしまった。
​ということらしい。
 それにしても先に書いたように神社神道のなんとヴァリエーションの豊富なことよ。
 確かに神話だけでは突き進めない。
 しかし神話なしでも進まない。
 一緒くたというのだろうか、神社という共通形を残しながら、実はそれぞれが別という、本当に摩訶不思議な宗教?いや、神道は宗教ではないという理論もあるそうで、神道を理解するのにまだまだ時間がかかりそうだ。






最終更新日  2020.03.17 05:00:07
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2020.03.16
カテゴリ:神道

【新品】【本】八幡大神 鎮護国家の聖地と守護神の謎 田中恆清/監修

 八幡神社は日本で一番多いと言われている。
 また、私の菩提真言宗の祖空海が八幡大神を信仰したとも言われ、日蓮上人が書いた本尊南無妙法蓮華経の諸神諸仏の中には八幡大菩薩がひときわ大きく書かれている。
 つまり八幡様は私達日本人に大きな影響を持つ神様ということになる。
 しかしそれにしても八幡様のことはあまりにも知らなすぎた。
 このことは恥ずべきことではないのかなとも思う。
 ​
 そんな折大尾山の神居に和気清麻呂がやってくる。
 天皇の命を受け八幡神の託宣を伺いに参ったのである。
 おりしも京都は皇位をも伺った道鏡禅師の絶頂期。
 託宣の行方が注目されるなか清麻呂は、皇位(天日嗣 あまつひつぎ)には必ず正統の皇子を立てよ、とのお告げを聞く…。
 神職らの失墜の後も八幡神はなお国の行方を左右する託宣神として重んじられていた。
 そして和気公に告げた託宣によって無道のものから皇統を守った守護神として再び歴史の表舞台に浮上するのである。

 というように八幡様は我が日本国に大きな影響を持つ神様なのだ。
 確かにあのとき道鏡が天皇になっていたら今の日本国はなかったに違いない。
 しかし、いつのことやら八幡神社の御祭神は応神天皇とその母の神功皇后ということになった。
 私は上記のエピソードや、空海、日蓮との関係を考えると、応神天皇もその御祭神に間違いなかろうが、それ以前からの神もまた八幡様なのではないのかなと思っているところである。
​ 次、
 神々が 人にメッセージを伝える方法の一つに人に憑依しその口を借りて何らかの言葉を語って聞かせるというものがある。
 託宣と呼ばれるこの方法はもちろん特定の神だけの専売特許ではない。
 だがその中でも特に八幡神は託宣と縁が深いことが知られている。
 それはすでにみたように神功皇后が神がかりして託宣する役割を果たしていたことからも知ることができる。
 ところで託宣で語られる神の言葉は直接人に届くものでないのが普通である。
 神の言葉はそれを聞いた人々に伝える役割を果たす人物を通して初めて人々に伝えられることになる。
 そのような人物は古代には、審神者、と呼ばれた。
 そして神がかりした神功皇后にも武内宿禰という有能な審神者がいた。
​ この審神者役の歴史に対する影響力は計り知れない。
 審神者によってその時々の政権が揺らぐのだから。
 それほど昔は神がかりだったんだろう。
 いや今が神を頼みにしなさすぎるのかもしれない。
 それにしても、庶民は足繁くいろんな神社に参詣している。
 確かに神頼みというのは今も生きている。
 しかしその神について知らないことが多すぎる。
 私も含めてだ。
 だからもっともっと神社神道の勉強をしなければならないのだ。






最終更新日  2020.03.16 06:16:40
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2020.03.15
カテゴリ:神道

知識ゼロからの伊勢神宮入門【電子書籍】[ 茂木貞純 ]

 孫息子が今年の夏の旅行は伊勢神宮と早々に決めてくれ、もう一度本書を読んでみた。
 垂仁天皇の 26年(紀元前4年)天照大御神が伊勢の五十鈴川の川上に鎮座されたことはすでに述べました。
 その約500年後の雄略天皇21年(478年)には豊受大御神が丹波の国から天照大御神の食事を司る神として迎えられ天照大御神を祀る内宮と豊受大御神を祀る外宮が成立しました。
 二つの宮を中心に置く神社は大変珍しいと言えます。
 (略)
 宮は、御屋、を語源とし天皇や皇族の住まいを指します。
 ちなみに、都は宮のある場所を言います。
 天照大御神が生活する場所ですから衣食住に関わる様々な神様も祀るようになりました。
 これが現在の所管社です。
​ というのが神宮の基本だろう。
 天照大御神は、まず外宮からお参りするようにとおっしゃっているそうなので、まずは外宮から訪れることにしよう。
 江戸時代には、伊勢講も作られ、お伊勢参りで賑わったとされている。
 特に60年ごとに大盛況だったとも本書には記されている。
 神社には縁遠かった私だが、昨年京都を訪れる折り、付け焼き刃的に神社神道を勉強してからは、神社の大本である、神宮、は訪れていたいものだ、その思いが孫息子にもうつったのでしょうなあ。
 今度はガイドブックを揃えて準備だ。






最終更新日  2020.03.15 05:00:07
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