死ぬまでに飲みたい30本のシャンパン
死ぬまでに飲みたい30本のシャンパン【電子書籍】[ 山本昭彦 ] 土曜日妻が日勤のときは正午過ぎに水泳しその後スタバで食事をしてコーヒーを飲みながら読書をするかイオンに行ってビールを買い帰宅後昼食を作ってビールを飲みながら読書をすることにしている。 今回この本を読むにあたりふと、そうか、ビールでなくてシャンパンでもいいな、シャンパンでなくてもスパークリングワインでもいいな、なんて突然思ったのだが、読んでいるうちどうもこの人は一筋縄では行かない人だぞと思い始めた。 まず シャンパンを勝利の美酒とする慣習は、ナポレオンが始めたという説がある。 噴き出す泡は確かに、勝利の雄たけびを連想させる。 アメリカの大リーグではコーベルなど自国産のスパークリング・ワインが使われる。 それならまだいいが、日本のプロ野球のビールかけはやめてほしい。 見ているだけで麦臭くなる。 ワインはブドウの香りだからいいのだ。というのだがビールかけはもはや日本の年中行事、はっきり言ってビールは日本の国酒と言っていいものであり、シャンパンだけが素晴らしいような言い方はしないでほしい。 こういうのを鼻持ちならないというのだろうな。 嫌なら見るなと言いたい。 もう一つ鼻持ちならない話。 結婚式で田舎の親戚に会ったときに聞かれた。 「ワインの飲み方を教えてください。よくわからないんです」と。 緊張をほぐすつもりで私は答えた。 「いや、難しくないですよ。グラスに注いで飲むだけです」相手の婦人は当惑した表情で固まっていた……。 構える必要はない。 そう伝えようとしたつもりが、不親切な人間と思われたようだ。 悪気はなかったのだが。もうちょっと書き方がありそうだが…。 シャンパンは シャンパンのよさは、畑の名前や格付けが「わからなくても」楽しめるところだ。 ブランドの名前で選べばいい。 それはシャンパン造りの本質に根ざしている。 第二章で述べたように、シャンパン造りは複雑なモザイクを組み上げるアッサンブラージュから始まる。 大手メゾンの製品は、基本的に畑の違いを超えたメゾンのスタイルを前面に出している。のだそうだ。 そして シャンパンを名乗れるのは、シャンパーニュ地方のマルヌ、オーブ、オート・マルヌ、セーヌ・エ・マルヌ、エーヌの5つの県の3万4000ヘクタールの畑から産するブドウを、瓶内二次発酵を含む規定の製法で造ったスパークリング・ワインだけだ。ということだ。 この辺のうんちくはとてもためになる。 しかしやはり鼻持ちならぬ話をしてくれる。 グラスに注がれるやいなや、この女性はゴキュ、ゴキュッと3センチほど飲み干し、「おいしい」と叫んだ。 私は仕方なく注ぎ足しながら、激しい後悔に襲われた。 酔っ払いに古いシャンパンを飲ませたのは間違いだった、と。 シャンパンはビールとは違う。 喉越しで味わうものではない。 渇きを癒したいだけなら、生ビールかペリエで十分だ。 泡を愛で、香りをかぎ、口の中に広げるところに、シャンパンの楽しみがある。 そうでなければ、ブドウから何年間も手をかけて世に出した造り手に申しわけない。 これなんざこの女の人に対する侮辱以外の何物でもなかろう。 酒は酒それがビールであれシャンパンであれグビグビやって何が悪い。 そうだ、と私は決めた。 すなわち今度の土曜日はシャンパンあるいはスパークリングワインをグビグビ飲むぞ!と。 本書の前半に書いてあった銀座における飲み方のほうがよっぽどお下品だと私は思うのだが…。