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カテゴリ: 落語と映画
きょう(8/16)奥さんと隣の市に有るシネコンで『怪談』を観てきましたが、やや「??」と「不満」が残る作品でした。
映画評サイトでの評価も高いものではありませんでした。 映画の冒頭で三遊亭円朝作『真景累ヶ淵』と書いてあるのに、物語への導入を講談で語るのは納得がいきません。 これでは、この映画で初めて『真景累ヶ淵』という怪談を知った人は、作者の三遊亭円朝は講談師で、『真景累ヶ淵』は講談で作られ、講談で語り継がれていると思ってしまうのではないでしょうか? 田中秀夫監督には「怪談は講談」という思い込みが有るのでしょうか? 私は三遊亭円生師匠の『真景累ヶ淵』全巻をCDで聴いたことがありますし、いまの若手では古今亭菊之丞さんの「豊志賀」を生で聴いたことがあります。 今回の映画が、落語にも「聴かせる怪談」は有るのだ、ということを知ってもらう良い機会だと思っていたのに、それが残念です。 もし、この映画の冒頭での導入部分を講談ではなく、歌丸師匠の落語で演ったら、「笑点しか知らない多くの人が落語に興味を持つようになった」のではないかと思っています。 もちろん、演者は歌丸師匠に限りません。若手の花禄さんや喬太郎さんがやっても「落語への関心」はさらに高まったであろうと思っています。 <参考>映画『怪談』公式サイト 映画評サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.16 21:08:45
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