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テーマ:障害児と生きる日常(4432)
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「脳死は人の死」を前提に 家族の同意があれば
0歳からの臓器提供を可能とする 改正臓器移植法(A案)が、参院本会議で可決された。 「移植をしなければ助からない」と言われている子どもと家族 「脳死判定基準を満たすかもしれない子」を持つ家族 どちらも 24時間365日 生命と向き合い 1分でも1秒でも 生きて欲しい そう願う気持ちは同じはずなのに・・・ 助ける命のために 犠牲になる命があってはいけないと思う。 ここまでは「生きている」 でも、ここからは「死んでいる」 「脳死」が「人の死」であるならば 誰かが その線引きをしなくてはならず 人が作った法律で 生死の線引きがなされようとしている。 生命って そんなものなの? 本人の意思が 全く尊重されないまま もの言えぬ子どもたちの臓器が摘出されたら・・・ 家族に 子どもの命を左右する権限があるの? 移植を待っている子ども達を助けたい だから「脳死」を「死んでいる」ことにする 違うと思う 間違っていると思う しかも 肝心な中身は 不透明ないまま(わずか17時間の審議) 政局の流動化が予想されるため とりあえず「脳死は人の死」と とっとと決めておこう 信じられない お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月14日 10時38分06秒
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