粗雑な歴史観 1-5 チェコスロバキア軍の影に隠れて消されたコサック
この軍団がポルシェビキ(ソ連)の殺戮者の手から逃れられるよう、ウラジオストックまでの撤退を支援し、帰還路を確保する、という名目で行われたのが連合国の「シベリア出兵」、なのである。 もちろん裏の主たる目的はロシア帝国の復興支援。ヤバイ思想を表に出して持つポルシェビキの打倒をもくろむ、多国籍軍だった。 多国籍軍は、当事者で内戦中のロシア帝国を入れて8カ国に上り、中国革命軍も多国籍側に参加しているのである。 多国籍軍は最多のロシア白軍が40万、外国からの最多参加は日本軍の7万で、合計60万弱、敵のソ連赤軍もほぼ60万の勢力で、戦闘人員としては、ほぼ互角。 極東地域としては、とんでもない規模の大戦争だったことがわかる。 無事にチェコスロバキア軍の撤退支援は完了したが、白軍の旗色が決定的に悪くなった1920年に、そこで日本軍は撤退しなかった。 極東共和国がソ連の手に落ちるということが耐えられなかった。さらに、帝政ロシアの忠実な主力軍隊部族であるコサック兵たちとの共同戦線から、単独で気楽に抜け出せなくなっていたということもある。 日本軍が抜け出せば、彼らが民族ごと惨殺されることは見えていた。 日露戦争では正面の敵主力だった相手だが、主に日本兵と姿かたちの似た、モンゴル系の人々が多い、勇猛な部族だった。 コサックたちはロシア全土に440万ほどいたようだが、308万人ほどが、その後、戦死、処刑、流刑死をとげたという。民族単位で、ほとんど抹殺されたのである。