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2023年11月12日
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カテゴリ:哲学研究室
<アントニオ・グラムシ>1891-1937年
 イタリアのマルクス主義思想家。
 イタリア共産党創設者の一人。
 「父親は村の役人であったが、権力闘争に敗れて刑務所に送られ、母親の手で育てられた」という。

 生後まもなく身体障害者となり。
 「小学校卒業後、苦学しながら奨学金を得てトリノ大学に入学」
 「イタリア共産党の結成に加わり中央委員会委員に選出され、1922‐23年までイタリア共産党代表としてモスクワに滞在し、コミンテルン執行委員をつとめた」。
 という、極めて怪しい人物。

 人物紹介にまったく出てなかったが、ユダヤ人臭さがある。
 そうであれば、家庭の経済的事情とかは全くのウソだ、ということ。
 知的で優秀な人材に同胞が無利子資金を提供しないはずはないからだ。
 しかし彼がユダヤ人である証拠などはまったくない。
  奨学金出した組織が人物保証をすると思う。

 不審な原因は宗教なのだ。
 宗教がでてこない?
 アルバニア系移民の子孫だとわかって、オイラ勝手に納得。

 アルバニアでは、独裁者のエンヴェル・ホッジャ1908-1985年によって無神論が強制された。
 宗教活動はすべて禁止されたのだが、それだけではない。
 あんた信仰持ってるか?
 日本で信仰持ってる、なんてのは、支配階級に多い一神教徒のカルト連中だけだ。
 多神教に、こころの信仰などは、ない。

 この人たちの顔つきをみてわかるが、たぶん種族的なものがある。
 日本人に似ているのだ。

 この人物も、獄中で書いたというヘゲモニ-(覇権)論議で、特に日本で(のみ?)広く知られてる人物であって。
 いうなれば世の覇権をどう奪取し確保するかそればっかし考えていた人?
 いや、実務1本槍のユダヤ人的種族とは、かなりちがうようなのである。

 この概念もウソが多いので、その批判から。
 「ヘゲモニー(hegemony)とは、支配者階級が武力ではなくリーダーシップによって従属階級の支持を獲得し、この合意にもとづいた政治関係を指す概念です」
 というのがグーグルのトップで出てきたが。

 今は、マルクス主義それもグラムシの、ほぼ専売特許用語みたいなものなのである。
 意味もはっきりとはわかっていない。
 「語源は「軍隊の指揮権・指導」を意味するヘーゲモニア(hgemonia 希)で」
 「政治的支配を意味するアルケー(arch 希)としばしば対比的に使われた用語」。
 アルケーは最初に出会う哲学用語。

 マルクス主義自体が、合意にもとづいた政治関係などではない。
 暴力革命を説く主義主張なので、どういう意図かはしらんが、これもいやらしいウソ。 ロシア革命はマルクス主義が起こした、というのもウソ。
 起こしたのはポルシェビキ。

 グラムシは、ロシア革命が、かなりおかしいことに、関与した最初から気が付いていた。
 どこか「マルクス主義的ではないのだ」と思っていた。
 「資本論に反する革命が起きている」とも彼は言っている。

  資本の流れがつかめてないのだ。
 しかし「従属諸階級」、「受動的革命」、といった独自の概念を駆使し、ヘゲモニ-奪取の構想は広がっていく。

 <借り物的意識下におかれてきた民衆>のことを「従属諸階級」と呼び。
 「支配階級が自己保存のための強力な社会プロセスを持たない政治的および制度的構造の変革」のことを受動的革命と呼ぶらしい。

 「市民社会の未熟な(これは疑問、ロシアにはロシア特有の、皮肉っぽく円熟した市民社会がある)ロシアに対し、イタリアには、もっと複雑な市民社会が混在していた」という。
 国家権力奪取しても、政治的な革命を達成できないじゃろ。
 市民社会を内部から変革していく「陣地戦」が要ると考えてた。
 ヘゲモニーは1票の藁を束ねるファッショと類似の意味で、軍隊用語でもあるのだ。

 ムッソリーニに逮捕されたおかげで、彼はソ連でスターリンに殺されることがなかったと言われている。
 獄中で書き溜めた33冊ものノートが無事に生き残り。
 多くの日本人研究者がせっせと彼を紹介し続けたおかげで、今日の見直しがあるのである。

 彼の政治的(修辞学的)立場は、「絶対的歴史主義」というものだといわれる。
 歴史的事実には、経済を超えた社会的集合的なナニカがあるんだと。
 単に「クローチェに影響された歴史主義」という見方もあるらしいが。
 まずそこらへんから。


 <ベネデット・クローチェ>1866-1952年

 「ヘーゲルの対立の論理に代え、判別の論理をもってした」という人物。
 最初ファシストで、のち反ファシスト、といういいかげんな人。
 1929年にムッソリーニとローマ教皇が結んだ政教和約(ラテラノ条約)に反対し、議員を辞職してケジメつけた。

 ラテラノ条約は、ムッソリーニ政権とローマ教皇庁間で締結された条約。
 バチカン市国の主権者たるカトリックの法王は、立法司法行政の全権を有することとなった。

 すべての歴史は現代史である、という言葉でクローチェは有名らしい。
 歴史というのは、記述され描かれた暦なので、人の観念がなきゃ、なにもないのは当然だが。
 過去の暦は過去でなく、現代だ、っつうわけだ。
 この人ヘーゲリアンのようなので、哲学とは無縁である(哲学より論理が上位にあるらしいんで)。

 「表現の科学および一般言語学としての美学」、「純粋概念としての論理学綱要」、「実践の哲学 経済学と倫理学」、「純粋概念の科学としての論理学」、「ジャンバッティスタ・ヴィーコの哲学」、「美学綱要、ヘーゲル弁証法とイタリア哲学」、「歴史の叙述の理論と歴史」、「ナポリ王国史」など、著作も多い。

 彼は「観念論としての自由主義者だ」、と捉えるむきもある。


 さてグラムシの絶対的歴史主義にもどるが。
 テキスト読んじょらんし、これのわかりやすい一般解説書もネット上にはなかった。
 かといってマルクス主義など研究したくもない。
 成功した社会主義国や共産主義国など、地上のどこにもないからだ。
 (実は民主主義国もない)。

 歴史主義というのは、国語辞典にあるのは「すべての事象を歴史的生成過程の一段階における産物として理解し評価する立場」。
 なので、「いっさいを<歴史の相のもとに>みるため、相対主義的な傾向をもつ」。
 というが。

 これも大ウソで、実は<マルクス主義的歴史観のこと>であるにすぎん。
 カルトの一種。
 むしろ、「史的唯物論的に、知の重層性の歴史法則を絶対視する立場」というべき。

 グラムシは、これに+して絶対を頭につける。
 つまりグラムシの視点のありかが問われてくるわけだが。
 これが、ようわからん、のである。

 哲学特有の享有部分がわからん、だけなのかもしれんのであるが。
 グラムシの発想は、イタリア特有のもの。
 マキャヴェッリ、ヴィーコ、デ・サンクティスなどの伝統が関わっていて、さらに人種的なものもある。
 これに共産党の理念が関わる。


 <ニッコロ・マキャヴェッリ1469-1527年>

 ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官
 「君主論」で有名。
 「ルネサンス期に、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を創始した」政治家。
 要は倫理削ぎ落し、冷血派。

 傭兵軍ではなく常備軍の編制、訓練や司令官の軍事的統率能力の重要性を論じた。
 「血筋や権威ではなく、勇敢や善行がこの統率力を強化すると」

 <ジャンバッティスタ・ヴィーコ>1668-1744年。
 
 「真理と事実とは置換できる」、で知られる修辞学者。
 若いころ身障者となった境遇がグラムシと似ている。
 「芸術の構想力が論理より優位にある」とも主張したため、反合理主義の哲学者とも呼ばれる」そうだ。

 <フランチェスコ・デ・サンクティス>1817-1883年
 美学、文学の研究者。

 「わが人生の2ページは政治と文学である」。
 「広く国民精神を見渡した展望をもち」。
 「科学や新実を追究するための偏見のない学問の場の提供を目的として活動し、イタリア教育界に多大な影響を残した」人物だという。


 さてグラムシは、彼独特の概念の読み替え幅が大きすぎるのである。
 議論の余地も、また大きくなってブレてしまう。
 「有機的知識人」、「大衆文学」、「フォルクローレ、常識」 、「知の重層性」さらに常識の本質的な要素として「良識」を持ち出す。

 ボンサンスはデカルトの哲学概念であるが、グラムシの良識が、これがサッパリわからんかったのである。
 有機的知識人にしても、「経済だけでなく社会と政治の領域においても、同質性と固有の役割についての意識を付与する機能の存在を、<有機的知識人>と言ったりする。
 彼のヘゲモニーも良識なるものも、哲学についても。
 絶対歴史主義というその概念すら、世の表に出てる要約文からは、ほとんどつかめなかった。

  オイラがマルクス主義に疎い、というのもあるが。
 概念の摩り替えがひどすぎることも要因なのだ。

 イーグルトンという人の論議見てて、やっと糸口が出てきた気がしたが、これも正しいかどうかはわからないので、踏み込むのはやめ。
 「特殊な主体が自分自身の最も深部の存在に同意する形をとって、その命令に同意するように普遍的法則を無意識裡に自分のものとして取り込むあの過程」。

 ヘゲモニーという、これはどうやら目的臭いので、これはそもそも哲学論議(ディアレクチーク)ではないのである。
 「サバルタン」という、おもしろいが、わけわからんフランス語も出てきた。
 泥沼になりそうな気もしたので、ここも踏み込むのやめたが、おもしろそうな領域だ。
 
 「ポストコロニアル理論などの分野において用いられる、ヘゲモニーを握る権力構造から社会的、政治的、地理的に疎外された人々をさす術語」。
 「日本語では「従属的社会集団」などと訳されることがある」。
 そうだが。

 意味が表裏あって、全然、100%違うのですなあ。

 「拒まれているものはサバルタンであり、そこには異なる空間が存在する。それ(サバルタン)は単に抑圧されている者のことだ、というような人はいるのだろうか? 労働者階級は抑圧されている。しかし、彼らはサバルタンではない。... いろいろな人々が、自らのサバルタンとしての位置づけを主張する。そうした人々は、ほとんど関心を引くような存在ではないし、最も危険なのだ」。
 という面白いことも、同じ解説に書いてあった。

 裏があるのだ。

 ポストコロニアル理論というのは、アメリカ人のマルクス主義学者ヴィヴェック・チバーの著書「ポストコロニアル理論と資本主義の亡霊」の中に出てくる概念。
 ポストコロニアル理論は、文化を本質化し、固定的で静的なカテゴリーとして描いている、と彼は主張するが、反論者ももちろん出ている。


 中途半端だが、まとめておきたい。
 グラムシは、F・エンゲルスの「自然弁証法」などはきっぱりと否定する類のマルクス主義なのだ。
 宇宙の弁証法的法則などという概念も、「ない」とする。
 「ブハーリンの史的唯物論における弁証法はだめだ」、とも言う。
 弁証法を「認識の学理, 歴史叙述と政治科学との精髄」と解していたらしいのにである。

 無知の知をちゃんと見てそう言ってるのかどうかは、わからなかったが。
 「ヘゲモニーの基本問題は、まだ提起されてもいない」とも捉えているようなのだ。
 結局正体わからずじまいで、敗退する。


 次回はリチャード・ローティを予定。
 **自分用コピーなどは一切自由勝手。落第しても責任持ちまへん。営利利用は要相談。





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最終更新日  2023年11月12日 09時37分20秒
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