Tim Lincecum -Episode-![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2007 Exquisite "Rookie Heroes" Tim "The Franchise" Lincecum 1984年6月15日生まれ。背番号55。 ご存じ、低身長ながらダイナミックなフォームと100マイルに迫る速球でCy Young Award Winnerにまで上り詰めた、San Francisco Giantsのエースである。 ニックネームはそのものズバリの"The Franchise"。地元では(女性ファンも含み)絶大な人気を誇る。 ここでは彼の経歴を紹介する。 Timは元マイナーリーガーの父、Chrisのもとで育った。 バイオメカニクスを独学で学んだChrisは、Timに理想的な投球フォーム・ストレッチ法・試合後の肩のケアなどを教えることとなった―――今の原型である。 今でも小柄だが、高校入学時は149cmしかなかったというTim。 高校卒業時に48巡目でCubsに指名されるものの、拒否。ワシントン大学に進んだ。 背も伸びたTimは、ここで大きな成長を遂げることとなる。 2004年、大学1年。20試合、18先発で10勝3敗、防御率3.53を記録したのだ。 投球回112.1で四球82は多く、WHIPも1.47であったが、161奪三振は見事。 大学が所属するPac-10では史上初の新人賞と最優秀投手賞の同時受賞を果たした。 大学2年時は8勝6敗と一見パッとしない成績だが、防御率3.11、WHIP1.27、4完投。内容は向上していた。 Indiansに42巡目指名を受けるも、結局大学に残ることを選択した。 3年目。ここがキャリアの分かれ目となった。 12勝4敗、防御率1.94、125.1回で199奪三振を記録。四球も63まで減らし、WHIPは1.10まで下がった。K/9も14.3という数値を叩き出した。 リリーフとしても登板し、3セーブを挙げ、大車輪の働きを見せたTim。 その年のPac-10最優秀投手賞は彼のものになった。 全米大学No.1投手を選ぶRoger Clemens AwardはAndrew Millerが受賞したが、 全米アマチュアNo.1の賞であるGolden Spikes Awardを受賞した。 2006年、6月。ドラフトが始まった。 所属リーグ新記録である大学通算491奪三振をマークしたTimであったが、多くの球団は体格・フォームを嫌い、指名を見送った――――地元球団でもあるMarinersも同様だった。全体5位の指名権を持っていたが、同じく投手のBrandon Morrowを選んだ。 そんな中、全体10位の権利を持つGiantsだけは考えが違ったようだった。 「Roy Oswaltか右のBilly Wagnerになる」――GMの言葉である。 Timは全体10位でGiantsに入団した。 7月26日。TimはA-級のSalem-Keizer Volcanoesでプロデビューを飾った。 だがTimはたった2試合、4イニングでA+に昇格することになる。 それもそのはず、被安打1、無失点で10個もの三振を奪ったのだ。
8月5日にA+のSan Jose Giantsへと昇格したTim。ここでも驚異の投球を見せた。 6先発で2勝0敗、防御率1.95をマーク。27.1回で、48奪三振。まさに敵無しであった。 Timの2006年はこれで幕を閉じ、2007年にはチームのNo.1有望株に選ばれることとなった。 2007年。3AのFresno Grizzliesで開幕を迎えたTimであったが、ここでも格の違う投球で圧倒する。 5先発で4勝0敗。31回で46個の三振を奪い、失点は1。防御率はなんと0.29であった。 もはや実績は十分のTim。5月6日には22歳にしてついにMLBデビューを果たした。 4.1回で5失点は物足りないであろう。しかし、初球から97,98,97マイルの速球を記録。三振も5個奪い、十分なアピールになった。
2登板目では7回を3失点(自責点は2)で6奪三振を記録し、念願の初勝利を飾った。 3登板目ではRoy Oswaltと本格的な投手戦を演じた。 Timは7回で初の2桁奪三振となる10奪三振をマーク。失点1ながら、自責点は0。被安打2、与四球1という内容だった。 対するOswaltは7回無失点だが、奪三振は6、被安打4、与四球2。内容がどちらが良いかは一目瞭然だろう。 お互い勝敗はつかなかったが、SFが勝利、メジャーを代表するエースに劣らない実力を見せつけた。 この年最大のハイライトといえば、7月の活躍だろう。 5試合で4勝0敗、防御率1.62。33.1回を投げ抜き、38奪三振はNL1位だった。 結局この2007年は7勝5敗で終えた。しかし146.1回で150奪三振というのは23歳を迎えたばかりの若者には合格点であろう。 2007年はルーキー当たり年として知られ、NLではRyan BraunとTroy TulowitzkiがハイレベルなROY争い(2ポイント差!)を繰り広げた。 一時打率トップにも立ち、最終的にAVG.322を記録したHunter Penceでさえ3位に留まるほどであった。 それゆえ残念ながらTimには1ポイントも入らなかった。 2008年。プロ入り後に覚えた新球種、チェンジアップがリーグ最高レベルまで向上し、序盤戦から絶好調。 開幕時はまだ先発ローテーションの一選手としか見なされていなかったものの、もはやエースと認めざるを得ないほどに成長していった。 Timは前半戦を11勝2敗で折り返し、オールスターに選出された。 ライバル球団、Dodgersの正捕手であるRussel Martinは、オールスターの楽しみとして「Timのボールを受けること」を挙げたが、残念ながらTimの発熱のためそれは叶わなかった。 ちなみに、旧Yankee Stadium最後のオールスター戦は、史上まれに見る熱戦となった。 Tim以外の全選手が出場したこの試合は、15回裏にMichael Youngが放った犠牲フライによって終止符が打たれた。(AL4-NL3)
オールスター後は貧打線に足を引っ張られ、勝ち星はあまり伸びなかったものの、NL2位の18勝(5敗)の数字を残した。 防御率もNL2位の2.62を記録し、奪三振数265はNL1位だった。 シーズン中頃から、CYA受賞の目も十分に考えられていたTim。 成績面で前半戦最大のライバルとなっていたEdinson Volquezが後半失速したこともあり、CYAの受賞候補者は、防御率NL1位のJohan Santana、勝利数NL1位のBrandon Webb、そして奪三振数NL1位のTimの3人にほぼ絞られることとなった。 一般的に、「勝利数最重視」とされるCYA選考。 当然、22勝のWebbが最有力と見られていた。だが、発表されたのは意外な結果だった―――――――――――――――――――― 1位は、137ポイントを獲得した、Timであった。 Timが「シーズンを通して最高の投手」と認められた瞬間だった。
“Autograph Cards”と“Memorabilia Cards”と“Rookie Cards”で構成しています。 一部は交換可能ですが、Lincecumの同等のカードとの交換に限ります。 ジャンル別一覧
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