今日も世界の片隅で

2005/07/05(火)15:40

サミットに思ふ

世界(94)

例によって例のごとく、サミットを始めとする大規模な国際会議があると、必ず過激グループが暴力行為に打って出る。この現象はもう何年も前から続いており、良識のある人なら「いい加減にして欲しい」と思っている筈だ。大方の非政府組織(NGO)は平和的な手段を選んでいるのだが、極く一部の過激分子がデモに紛れ込んで大暴れする構図ができている。それは、百姓一揆のような止むに止まれぬ事情があってのことではない。フランス革命のような圧政があってのことではない。彼らには真面目な主義主張はないのであって、ただ破壊だけが喜びの犯罪者集団に過ぎない。 2001年にイタリアのジェノバでG7/G8サミットが開催されたとき、私はローマに住んでいた。ジェノバには用もないので近づきもしなかった。ただ、毎日テレビを見て、NGOに名を借りた過激派の動きが、いつか死傷者を生むだろうと思っていた。で、案の定サミットで初の死者が出た。警備に当たっていた軍警察の車両を暴徒が取り囲み、攻撃を加えたところで、車両内から発砲があった。弾丸は、大きな消化器かガスボンベのようなものを車両に投げ込もうとしていた若者の顔面に命中した。皆、逃げた。 イタリアのマスコミは、煮え切らない立場でこのニュースを報じていた。映像を見れば、軍警察の若者2人は殺らなければ殺られるという状況にあったのが明らかだったのだが、「威嚇射撃がなかった」「足を狙えば良かった」などという暴徒擁護論が少なくとも当初は優勢だったと記憶している。イタリアはどちらかというと、刑事被告人の人権が過度に保護され、被害者の人権はいったいどこにいったのかと疑問に思わざるを得ないことがある。イタリア国内でも、それを問題視する向きも多い。加害者に慈悲を示すのは、キリスト教の影響だろう。 暴徒を殺害した軍警察官は当時まだ20代前半だったと思う。何度も何度も取り調べを受け、それがその都度報道された。彼は職務を果たしている中で、最後は正当防衛とも言えるような状況で弾を打ったのに、あたかも犯罪者のように扱われた。もちろん、彼の家族や同僚を始め、彼を励ます人々も大勢いた。最後はお咎めなしということになった筈だが、それまで不当に彼を非難していた人たちは寡黙になり、誰も謝らなかった。責任を取らないのだ。そうした辛い時期を耐え抜いた軍警察官は、それでもその職を辞さなかった。立派なものだと思う。 サミット史上初の死者の父親も、マスコミから取材を執拗に受けた。でしゃばるタイプの人ではなく、子供を失った哀しみと、子供が犯した行為についての申し訳なさにさいなまれ、軍警察を批判することは最後までしなかった。これもまた立派な対応だったと思う。 暴徒は騒ぐだけ騒いで、周囲に迷惑をかけ、周囲を悲しませ、苦悩させる。今年のグレンイーグルズ・サミットを直前に控えた4日、既に30人ほどが暴れて逮捕されたようだ。昔は普通に開けた国際会議だが、今や誰が見ても警備が過剰ではないか。次第に人のアクセスが難しい場所に会場が移り、あたかもNGOや暴徒から逃げているかのように見える。警備当局としては警備が楽な施設を選ぶのだろうが、人々のために話し合う会議を人々から遠く離れた場所で行うというのは本末転倒ではなかろうか。鶏と卵の関係になってしまうが、どこかで手打ちをしないと事態は改善されまい。

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