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文化・芸術・スポーツ

Aug 4, 2005
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帝国ホテルの元料理長で、フランス料理の第一人者だった村上信夫さんが亡くなった。今日の新聞に出ていたが、亡くなったのは一昨日らしい。村上さんの下で働いていた洋食の料理人を知っているのだが、もう長いこと会っていない。村上さんの訃報で、ふと思い出した。

「料理人に大事なことの一つは、自分の舌がきちんと塩加減を判断できるかどうかだ。」と良く言っていた。また、「塩味が適当かどうかは一品一品で測るのではなく、コース全体で判断しないといけない。そうでないと、全体として塩を摂りすぎることになる。」とも言っていた。

事実、彼の料理は心持ち薄味なのだが、食事を終わってみると塩味が実に適量なのだ。

反対に、適量を遙かに越した塩の消費をここカナダで見ることができる。料理のことではない。道路のことを言っている。

カナダと言っても世界第二の広さだから、バンクーバー周辺のように寒くない地域もある。が、国土の大半は厳冬を毎年経験し、雪と氷に閉ざされる。

ところが、その割に道路には雪も氷もない。大量に塩を撒くからだ。この広大な国土でいったい一冬にどれだけ塩をばらまいているのか見当も付かないが、幸いカナダは世界第5位の塩の大生産国で、国内で使い切れない。

塩害は勿論ある。車にきちんとコーティングしたり、こまめに洗浄したりしないと、すぐに錆びてしまう。放っておくと穴すら空く。寒いのに穴なんか空いたら大変だ。

しかし、「そんな現実的な話はどうも」という方には、インテリア照明にも塩が使われるというのはどうだろうか。カナダの塩は大部分が岩塩。いろいろなミネラルが混じっているので、色もいろいろだ。岩塩の固まりに窪みをつけて電球を入れてしまえば、即席ランプになる。マイナスイオンも出るので、健康にも良いらしい。

買おうかな。






最終更新日  Aug 4, 2005 03:36:34 PM
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Aug 3, 2005
(昨日の続き)

くだんの日本画家の方は、二つ嘆いていた。

海外で割と名の売れている芸術家は、得てして日本国内で無名だったり、評判が芳しくなかったりする。芸術家間の「嫉妬」という言葉で片づけるのは簡単だが、それだけでもなかろう。

日本の伝統芸術はそのままでも外国で売れるのかも知れないが、より広範な支持を期待するのであれば、外国人の趣味に合わせた様式に変えないといけないのかも知れない。

伝統を純粋な形で守りたい日本国内の芸術家にとって、外国人受けする作品は外国人に迎合する「紛い物」であり、日本の伝統文化を歪んだ形で外国に紹介するものと映るだろう。

かたや、新しい要素を入れて外国で売れている芸術家に言わせれば、自分は日本文化と外国文化の融合を図って新しい芸術様式を創造しているのであって、日本文化に新風を吹き込み、これを高める真摯な試みを行っているということになるのではないか。

この種の嘆きは、今まで何度も聞いたり読んだりしている。それも、分野は絵画に限らず、芸術・工芸一般に幅広く見られるし、学問の世界でも同様の現象が見られる。詰まるところ、新旧のせめぎ合いと相互の嫉妬ということだ。


もう一つの嘆きは、日本の伝統芸術がこれだけ国外で高く評価されているのに、それを大学で教えていない、ということだった。後継者を養成する高等教育機関が少ない、という意味で言われたのだと思うが、日本画家などの需要と供給の関係を私は知らない。もし需要に比べて供給が著しく少ないのであれば、正当な嘆きだと思った。

それにしても、こうして日記に書くと余計に興味が湧いてくる。書くことの意味を味わった5日間だった。






最終更新日  Aug 3, 2005 11:31:39 AM
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Aug 2, 2005
(昨日の続き)

円山応挙(1733~95)は北宋画の流れを汲む狩野派とは別の道を歩んだが、最初に本格的に絵を習ったのは狩野派の石田幽汀からであったし、大人になってからも狩野探幽(1602~74)の腕はすごいと認めている。割合、柔軟な考え方を貫いた人のようだ。

さて、狩野探幽は、京都にある妙心寺の法堂(はっとう)に雲龍図を描いている。高さ13mの天井にある直径12mの円がキャンバスだ。1656年の作品というから、今から350年ほど前になる。円のほぼ中心に右目がある。どの角度から仰いでも見る人を睨んでいる「八方睨みの龍」だと言われている。何ともおどろおどろしいこの龍は、私のお気に入りである。

禅寺の法堂の天井には、丸い雲龍図が描かれるのが常らしい。ヤンチャリカさんに教えて頂いた最近の例としては、「けんちん汁」発祥の禅寺、建長寺法堂の天井画がある。これは何とも現代的だ。まさに龍が宙にぷわぷわ浮いているように見える。構図からは非常に安定した調和が感じられるし、幸運を呼び込みそうな雰囲気すらある。


龍は架空の生き物だから、写生する訳にはいかない。龍にするには暗黙のルールがある。鬼の目、牛の耳、らくだの顔、鹿の角、蛇の鱗、鷹の爪を持たせないといけない。

また、龍は雲の間だから姿を見せる。だから雲龍図と言う。これは、古くから龍神が水の神様とされているのが理由であろう。水の神様であっても、西洋のポセイドンやトリトンなど海の神とは違う。龍は飽くまで、天と地の間で力を発揮する。

上の2枚の雲龍図を良く見ると、決定的な違いがある。妙心寺のは爪が3本、建長寺のは5本ある。最も有力な説によれば、中国では昔、5本爪は皇帝しか用いることができず、高官は4本爪、一般民衆用には3本爪の利用しか許されていなかったそうだ。私がくだんの日本画家から伺った話は違っていたので、諸説があるのだろう。

話が円山応挙から大きく脇に逸れてしまった。

著作権の関係でリンクを張れないように思うので、Googleで「雲龍図」をイメージ検索して頂きたい。何枚か応挙の雲龍図が出てくる。応挙の雲龍図は今にも動き出しそうだ。というか、止まっている気がしない。「写生の祖」と呼ばれるだけある。






最終更新日  Aug 3, 2005 11:25:32 AM
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Aug 1, 2005
(昨日の続き)

では、なぜ古墨は筆跡と滲みに色の濃淡が出るのだろうか。

実はこれ、年月が経つと墨が次第に乾燥し、膠が有機分解していくためだ。

元々、煤と水は相性が悪い。煤は水に溶けにくい。膠があるからくっつくのだが、膠が減れば、水と結びつかない煤の量が増える。墨が紙に垂れても、煤の粒子はぽとんと落ちた場所に大方留まって、水と一緒に周りに広がる粒子は減っている訳である。


もう一つ。新しい墨で書くと、次第に色が褪せていくそうだ。だから、一昨日の日本画家の方から、最低でも10年以上の墨を使うよう勧められた。作られて30年以上経って漸く、脂の乗った(というか、十分に膠が枯れた)古墨になるということだった。

勿論、古ければ良いというものでもない。ワインだって、100年も経てば酢になってしまう。墨も製造後200年もすると、膠が分解し尽くして煤と同じになる。こうなると、黒点の周りには無色透明の水が広がるばかりで、これが乾けば滲みの跡は全く残らない。だが、骨董品として墨の価値は上がるだろう。


日本画家の方によれば、中国の有名な古墨に「げんりゅう(源龍?)」というのがあるそうだ。墨の表面には絵模様があるものも少なくない。「げんりゅう」には龍の文様があるということだった。

そこで明日は、前々からヤンチャリカさんに約束していることもあり、龍の話につなげたい。






最終更新日  Aug 1, 2005 09:43:47 AM
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Jul 31, 2005
円山四条派は墨を7つ以上使い分けるという話を昨日書いた。墨絵を描く上で最も大切な道具は、墨と紙であろう。そこで今日は墨の話にする。

習字の時間を思いだしてみよう。墨汁だけでは薄いといって、硯で墨を摺って足し、色を濃くしていなかっただろうか。だが、これは邪道とされる。墨汁に含まれる合成樹脂と固形墨に含まれる膠が化学反応を起こして、本来の墨の良さが失せてしまうらしいのだ。

そう。固形の墨は、主に煤(すす)と膠(にかわ)でできている。

蝋燭の火の上にガラスをかざすと煤がついて、すぐに黒ずんでいく。墨作りでは、油に灯心を入れて燃やし、上に傘を被せて煤を取る。

油には菜種油、胡麻油、椿油、桐油などいろいろあるが、特に菜種油の煤は粒子が非常に細かくて均一なので、伸び、つや、深みのある墨を作るのに最適とされている。

こうした油煙とは別に、松煤と言って松ヤニの煤を原料とするのもある。粒子が不揃い故に素朴さが現れ、また、古くなるほど微妙な青味が出るという特色を活かせる。

さて、新しい墨を和紙に垂らすと、黒点が滲んで次第に広がっていく。墨中にあった煤の粒子が膠を仲立ちにして水と均一に混じっている限り、水と一緒に煤の粒子もどんどん広がっていくから、最初の黒点と滲みの部分は同じ濃さになる。

ところが、古い墨を垂らしてみると、黒点の周りに広がる滲みは色が薄い。煤の粒子が、滲み広がる水について行けないからだ。線や字に立体感が現れ、見た目に思わぬ効果を生む。古墨(こぼく)が珍重される理由はここにある。

では、なぜ古墨は筆跡と滲みに色の濃淡が出るのだろうか。(続く)






最終更新日  Aug 1, 2005 09:31:33 AM
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Jul 30, 2005
博学で知られるアトムおじさんが昨日の日記で平賀源内に触れている。

この平賀源内。1773年に秋田藩を訪れた際、若い藩士の小田野直武に絵描きの才能を見い出し、洋画の画法を教授した。そして翌年、小野田直武は杉田玄白らが著した「解体新書」の挿絵を描いている。

人体解剖図を描くのだから、何よりも写実性が求められる。小野田直武が習ったのは洋画であったが、日本画に写実性を大胆に取り入れ、「写生の祖」と後に呼ばれたのは、江戸中期の絵師、円山応挙だ。

この円山応挙。日本史の教科書にも出ていたが、私の記憶に鮮明なのは、教科書外のこと。足のない幽霊を初めて描いたのは応挙だったらしい。

応挙を始点の一人とする流派に、円山四条派がある。その流派を継ぐのは今では極く少数しか残っていないようだが、今日はその一人とお会いできた。

伺ったお話では、円山四条派は南宋系。大名や有名なお寺では狩野派といった北宋系が重宝されたという。写生のように描く円山四条派は技術的に難しいようで、基礎だけで3年、一人前になるには10年かかるらしい。

特に難しい画法の一つに、白黒の墨絵なのに色彩を感じさせるというのがあった。俄にイメージが湧かないが、何でも墨を7つ以上使い分けるのだそうだ。

話題は日本画の顔料から中国の古墨、日中の紙の質、絵の保存、モノクロ絵画の受け止め方にまで及び、聞いていて大変おもしろかった。そうした話を織り交ぜつつ、久々のシリーズで、今日から少しずつ書き残そう。

実は今日は、私の敬愛するカミソリ男(床屋ではない)から昨日の日記についても非常に興味深い背景と有益なヒントが得られた。収穫の多い一日だったが、一気に2つのテーマは書けないので、こちらはもう少し頭を整理してから次のシリーズとして書いてみたい。

では、お楽しみに。






最終更新日  Jul 30, 2005 12:35:21 PM
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Jul 11, 2005
昨晩8時からオタワ大学にあるホールでバイオリンとピアノのコンサートがあったので、家族4人で出掛けた。
「正装する必要はないから。」と言われていたので、中の上くらいの普段着を着込んだ。

前に住んでいたイタリアとの大きな違いは多々あれど、服装もその一つであることは間違いない。

イタリアであれば、外出するだけでもおしゃれをする。
特に年配の世代は、その傾向が強い。
だからコンサートに行くとなれば、思い切りおしゃれをする。
男性ならスーツだし、女性なら宝石をちりばめる。
靴もぴかぴかだ。
何と言っても、イタリア人は人を足下から見るから、靴が汚れていたらそれで終わりだ。

オタワはイタリアの対極を成すようだ。
家の中ではTシャツに短パン。
外出しても、若者ならずとTシャツに短パンで町中をうろつく。
コンサート会場にも、Tシャツと短パンが少なくない。
靴も運動靴が少なくない。
誰も服装のことを気にしない。

我が家で丹念に靴を磨く習慣は、オタワで廃れたが、それでも多少は気になっている。
町中を短パンでうろつくのは、どうも抵抗がある。
コンサート会場に運動靴で行くのは、さすがに自分の良心が許さない。

振りかえれば、今回のコンサートでは伴奏のピアニストもラフな服装であった。
主役のバイオリニストも、最高級の服装ではなかった。
コンサートは無料であったし、大学のホールが会場だったから、みんなラフな服装だったというかも知れないが、それだけではない。

本を糺せば、服装に対する彼我の考え方の違いは、歴史上、貴族社会を経験したか否かにかかっているように思う。
貴族社会の有無は、事ほど左様に文化や習慣を左右しているように思う。

伝統を重んじるイタリア人がこの観客の服装を見たら仰天しただろうが、しかし、お互いに見栄を張らずに音楽だけ楽しむということなら、ラフな服装で何が悪いと思ったりもする。
実際、観客はみんな楽しんでいた。

見栄を張らない国。カナダ。






最終更新日  Jul 12, 2005 12:50:35 PM
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Jul 9, 2005
遊び心にも程がある、か。「ビーバーの尻尾」で遊んだら、家内から注意を受けた。

「ビーバーの尻尾」を英語にするとBeaver’s tailだが、オタワっ子がこよなく愛するのはBeaver Tailというお菓子。

一種の揚げパンというか、ドーナツのようなものだが、ビーバーの尻尾とそっくりの形をしている。ただし、毛は生えていない。

生地を菜種油か大豆油で揚げて、シナモン・シュガーをかけたりして食べる。
シナモン・シュガー以外に、メープル・バターやアップル・シナモン、チョコ・ヘーゼルナッツなどで味付けすることも多い。
いずれにしろ甘いお菓子だ。

世界一長いスケートリンクのリドー運河でスケートをしていると、ちょっと何かをつまみたいなという時に、このビーバーテールが実にいい。さくさくするし、甘さが疲れを癒してくれるような気がする。

実はこのお菓子、それほど歴史がある訳ではない。1978年生まれだから、まだ27年に過ぎぬ。

もともとBeaverTailsというのは路上スタンドの店名なのだが、そこで出していたこの名物菓子がいつの間にかBeaver Tailと呼ばれるようになった。店の名前は変わっていないが、「ビーバーの尻尾」と言えば、オタワではやはりお菓子のイメージが強い。

クリントンが米国大統領としてオタワに来た時、車中からBeaverTailsの看板を見て思わず「あれは何だ」と同乗していた大使に聞いたそうだ。クリントン大統領も多分、カナダ人はビーバーの尻尾を本当に食べるのかと思ったのだろう。

そんな訳で、お騒がせしたことをお詫びするとともに、どうもお菓子のイメージが湧かないという方のために、このページをご紹介して本日はおしまい。






最終更新日  Jul 11, 2005 12:35:03 PM
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Jul 8, 2005
テーマ:たわごと(21915)
仕事帰りの車中から、グラウンドホッグ3匹が脇目もふらずに芝生の間に顔を突っ込んでいるのが見えた。
ウッドチャックとも言うが、和名はなさそうだ。

リスの仲間で、40~60センチくらいある。
コロコロしていて可愛い。
見た目はビーバーにも似ている。


ビーバーはカナダにとって、とても大切な動物だ。
国のシンボルにもなっている。
オーストラリアにとってのカンガルーやコアラみたいなものだろう。

カナダ開拓の時代は、毛皮貿易の時代でもあった。
ヨーロッパ人は先住民族から様々な毛皮を買い付けていた。
ビーバーの毛皮もその一つ。
ビーバー・ハットという帽子の材料としてだ。
そして、16世紀半ばには600万匹いると言われたビーバーは、乱獲のため、19世紀半ばに絶滅の危機に瀕した。

幸い、ビーバーの毛皮に代わり、シルクを毛羽立たせて帽子にするのがイタリアで流行りだした。
カナダでも保護体制が整えられ、ビーバーは絶滅を免れた。
シルク・ハットがビーバーの恩人とは。

世界最初の切手は英国のPenny Black。
1840年のことだ。その僅か11年後、
カナダ最初の切手Three Penny Beaverが印刷された。
真ん中にビーバーの絵が描かれている。
この切手は今や博物館か切手収集家しか持っていない。

今誰でも持っているビーバーは、5セント硬貨にある。

そして、ビーバーは1978年に食品業界に進出した。

オタワ市民に人気のある冬の食べ物と言えば、
ビーバーの尻尾。

特にスケートをした後は、なんと言っても
ビーバーの尻尾。

形はそのまま、
ビーバーの尻尾。

夏だって売っているだろう、
ビーバーの尻尾。

来週久しぶりに食べてみるか、
ビーバーの尻尾。

という思いが、3匹のグラウンドホッグが横目の視界から消え去る前によぎった。






最終更新日  Jul 10, 2005 03:21:23 PM
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Jul 6, 2005
国際オリンピック委員会(IOC)は6日、4回目の投票で2012年夏季五輪の開催地としてロンドンを決定した。1ヶ月前に公表されたIOCの評価報告書では明らかにパリが最も高く評価されていたが、今回行われた4回の投票でパリは一度も最多得票を得られなかった。三度目の夏季五輪開催を獲得したロンドンと、90年代以降三度目の敗北を喫したパリ。フランスの政界トップはロンドンに祝意を表明しているが、関係者は「最大限のことをやったのに」と落胆の色を隠せず、マスコミは早速「最高の条件を備えながら、フランスはなぜ負けたのか」という分析を始めている。IOCは常にアングロサクソン系に有利だというやっかみ(或いは事実?)もあるようだ(しかし、フランスよ、怒るなかれ。世界には欧米諸国に有利なものが非常に多くて、フランスは欧米諸国の一つなのだから)。

オリンピックに限らず、開催地決定というのは選挙そのものだ。そして、選挙というものは日本に限らず、どぶ板選挙になる。かつてIOC委員は開催候補地を実際に訪問して、関係者から説明を受け、ついでに接待漬けになっていた。日本国内の選挙なら選挙法違反に問われるようなものだが、これは別物。しかし、2002年にあまりにひどい買収スキャンダルが発覚して、さすがにIOC委員の現地視察は禁止されてしまった。だから、前述のIOC評価報告書と、投票直前に行われる各候補地の最終プレゼンテーションが、IOC委員の判断材料として最も重要とされている。そうは言っても、すべてがクリーンになったかどうかは分からない。

開催地としての客観的な基準が最大満たされていたパリが選挙で負けたということは、この選挙においては、評価報告書に掲載されている基準以外の基準によって委員の判断がなされたことを意味する。フランスはその点を甘く見ていたということだし、英国は追い上げる途中でその点を重視していたということだろう。「ロンドンはプレゼンテーションが良かったから勝った。」とか「ブレア首相やサッカーのベッカムがシンガポールで浮動票を獲得した」とかがまことしやかに囁かれている。開催地市民或いは国民の熱意とか、感性に訴えるメッセージの強さなどが、客観的な基準以外の基準ということなのだろう。

スポーツは政治と切り離して考えよう。とは近代オリンピックの歴史において何度も叫ばれている。古代オリンピックでは戦争中でも戦争を中断して競技を行ったということだが、近代オリンピックは大戦中にはそもそも中止されたし、80年のモスクワ・オリンピックでは、前年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する意味で、日本も含め多くの西側諸国がボイコットした。近代オリンピックは国威発揚の手段であり、政治とは切っても切り離せない。政治が関わることの善悪や是非を論じても結論は変わらない。なぜならば、オリンピックを開催すると、開催国には無視できない経済効果があり、また、時の政権にとり大きな政治的メリットがあるためだ。政治が絡まない筈がない。それでも個人的にはスポーツはスポーツと割り切って欲しい。オリンピックがスポーツから離れていくことにうんざりしているIOC委員もいる。

それにしても、フランスのシラク大統領が、「フィンランドに次いでメシのまずい英国など信用できようか。」などと発言したのは、いくら最近英仏関係がぎくしゃくしていても、いくら多くの人が内心賛成しても(失礼!)、一国の大統領としては言い過ぎであろう。また、それに目くじらを立てて怒る英国も大人気ない。「オリンピックを機会に、世界一のグルメ国家となる。」とでも笑って言っておけば済む話だ。飛ぶ鳥を落とす勢いのある国なら、小さな話に拘泥することもないのだが、こういう低レベルな争いがあったということは、英仏両国も余裕がなくなってきているのかも知れない。ま、日本も他国のことは言えないが。






最終更新日  Jul 7, 2005 03:05:33 PM
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