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テーマ:本のある暮らし(3315)
カテゴリ:書評
見出し:究極のフェチ小説。三日でデ・ゼッサントになる本。
ジョリス・カルル・ユイスマンス 著、澁澤龍彦訳『さかしま』(河出書房新社) まさに、究極のフェティッシュ小説である。いくら野卑な言葉が並ぼうと、いくら肉付きの良い女房に言及があろうと、いかに贅を尽くした酒食の蘊蓄が語られようと、そこには一切の有機的感覚は感じられない。すべてが、凝固して強烈な主観によって客観された対象-いや、かつては有機的であったものの骸-でしかない。 意味をなさざる、唯、言い換えるためだけの言い換えの見本市。ユイスマンスからの、いや、デ・ゼッサントからの冷たき挑戦状のようにも受け取れるこの小説、実に、冒頭から末尾まで、記されたようにすべて実践すれば、デ・ゼッサント級の耽美主義者になることも可能かもしれない(もちろん、有閑であって、財産があれば、であるが)。それほどに「デ・ゼッサントになる方法」=つまりデ・ゼッサントの嗜好や目線が、文学、酒、香水、芸術、道楽などについて、細部にわたって記されている。無論、いかに努力しても、デ・ゼッサントになどなれやしないのだから、挑戦者からの嘲笑を聞く羽目にはなるが。モンテスキュー伯爵がモデルと言われたデ・ゼッサントであるが、ダンディの象徴たるモンテスキュー伯爵とて、孤高で、辛辣で、美意識は高かったが、デ・ゼッサントほど倒錯的でも変態的でもなかった。 ある者は、デ・ゼッサントの孤独な審美眼を披瀝されて、つくづく日本人でよかったと思うかもしれない。デ・ゼッサントの美へのハードルは限りなく気まぐれで高く、日本人的な風流や粋の精神とは相容れそうにもないからである。ただし、ほんの少々、彼の虚無的な生き様を人生に取り入れれば、人生はもう少し気楽になるかも知れない。 然り、渋沢龍彦が最も愛した作品というのも頷ける、好事家を魅了して止まない“珍本”である。(了) さかしま お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/03/31 12:35:05 PM
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