バベルの図書館-或る物書きの狂恋夢

2011/12/06(火)17:59

『南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎』@サントリー美術館、行って来ました。

アート(102)

 年末進行も念頭に置いた日々、とにかく忙しいのですが、これだけは何としても押さえておかなくてはいけない。それが『南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎』@サントリー美術館。  というのも、西洋でもなく、直球の「和」でもなく、それらが絶妙にブレンドされた、ある種日本史の狂い咲きのような「南蛮」という様式は、単に歴史的・美術的価値があるだけでなく、私自身のアイデンティティにかかわる大きなテーマ、ライフワークに関わることだからです。  こうしたエキゾティシズムに類する枠組みというのは、海外でいうジャポニスムやハーレムルネッサンスのような、「誇張された観察者/他者的目線」あるいは「不細工な模倣/なり切り」の世界ではあるのですが、純然たる正統に位置づけられない境界的な柔軟性と自由さがあり、またそれゆえに実験的試みの豊饒な土壌となり、それ自体一つのユニークなアイデンティティを獲得してしまう力を有しているところに魅力があるのです。そして、激しく揺さぶられながらアイデンティティを獲得する過程はドラマティックであり、同時に、きわめて多文化主義的だと感じるのです。  超日本的ルーツと、西洋のルーツを生得的に持ち、牧歌的カトリシズムの中で育ち、かつ沖縄的チャンプルー文化の洗礼を受けた私としては、日本に居ながらにして感覚する現代的グローバリズムよりも、どこか閉塞感と開放感の緊張の間で花開いた「南蛮」様式の持つヒリヒリとした感じの方に、リアリティを感じるのです。「南蛮」という言葉に込められた、希望、好奇心、野次馬目線、斬新さ、スタイル、疎外、哀愁、鑑賞、暴力。そのすべてが、四世紀以上の時間を超えて、今を生きる私を惹きつけてやまないのです。  本展の目玉は、やはりなんと言っても、桃山時代初期の洋画の傑作「泰西王侯騎馬図屏風」。そもそも絵画的手法にまったく近似性がなかった西欧と日本。日本人が、新しい絵画手法や技法を知り、それをものにしようとする“すさまじい瞬間風速”の結晶を感じ取ることができます。この精神は、まさに日本人の魂に連綿と受け継がれてきたひとつの「文化」ではないでしょうか。  「南蛮」と聞いて、また心動かされるのは、「世界の発見」、そして「渋さと華やかさの同居」というテーマです。日本人の多くは、世界を知らない時代でした。その日本人が、地図を描く。日本の海の彼方、天竺のさらに向こうにも様々な国があることを知る。文化人類学的発想が一気に加速し、進歩する瞬間でした。そして、様式の面からいえば、この「南蛮」様式の、渋さと華やかさの共存は、やはり一種独特であると呼ばざるを得ません。日本人が古来感覚し、有してきたものとは違う「色」を発見し、それを咀嚼して用いていく。そこに、「南蛮色」が生まれるのです。当時の日本人の色彩感覚がどのようなものによって規定されていたのかが透けて見えるのです。そして、その感覚は、非常にユニークだったことが作品を通じて分かり、同時にこの美しさに感嘆するのです。  華やかさの裏に、禁教令によるキリスト教の迫害の歴史があり、それが凄惨であればこそ、禁令をかいくぐって、塗り壁から出てきた聖具など見ますと、本当に人間の意志の力を感じます。屏風以外にも、聖具や聖画、ハイブリッドの美の極致たる南蛮漆器など、心に届く作品が多々鑑賞できました。  「和」にあって、「和」になく、「西洋」でもあって「西洋」にいない。求めずとも「和」であり、といってあえて「西洋」を求めることもしない。そういう私には、やはり「南蛮」スタイルが一番馴染むと確信した、よい時間でした。きわめてプライベートなことではありますが、『南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎』は、私にとって、大きなテーマを整理するための、貴重で意義深いきっかけになりました。(了)

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